安倍政権の大失態
人質全員の殺害という最悪の結果に終わったISISの事件について、思う所を書いておく。
まず異様に感じられたのは、その報の後のテレビ報道である。同胞の悲報を受けたのに、服喪の感情も痛切な悔恨もないまま、いつものようなバカ番組を垂れ流している。
かつて誘拐殺人事件や人質立てこもり事件などが起こったとき、人々は己れの身内のように心配しなかっただろうか? そして、犯人への急襲が失敗して人質が犠牲になったりしたら、警察への非難が巻き起こらなかっただろうか? 凶悪犯に対する怒りもさることながら、救出に失敗した場合、当局の責任が厳しく問われるのは当然であろう。犯人が凶悪だったから仕方なかったということにはならない。そのような者から国民を守るために国家権力が存在するのだからである。その意味では、今般の結果は最悪であり、政権の失態は明白である。
それゆえ、政府はその無策無能ぶりを謝罪し、その事態を招いた経緯の検討を国民に約束してしかるべきであったろう。どうしてそれをマスコミは追及しないのか? それどころか、安倍や菅はその後の記者会見で完全に居直り、テロリストに怒りをぶつければ自分の責任は逃れられるかのように「テロリストに対する懲罰」を口走るありさまである。まずは自分が責任を果たせなかったことを恥じるべきではないのか? およそ危機管理のイロハもわきまえない者どもだということがわかる。
とりわけ今回は、単に降ってわいた災難ではなく、安倍の無策と愚行が招いた悲劇であっただけになおさら開いた口が塞がらない。8月湯川氏が捕らわれてから、安倍政権は何をやったのか?ISISと交渉するために渡航しようとした中田考、常岡浩介両氏を公安に妨害させ、わずかに残された交渉ルートをつぶしてしまった。
おそらく当初は、それがどれほど重大事になるか予測しなかったのであろう。あるいは公安部門が、「対テロ対策」でひと仕事したという実績をあげようとして、ありもしない「事件(北大生シリア渡航未遂事件)」をでっち上げただけかもしれない。しかしその後、事の重大性に気づいたときには、当初の失態を隠蔽するためにわざと両氏のルートを無視し、その結果、わずかに残された救出の可能性も放棄したのである。誤りを隠蔽するためにさらに大きな誤りを繰り返すパタンは、ノモンハン事件以後延々と繰り返された帝国陸軍の姿そのままである。
そう言えば、人質の運命がまだ決まっていなかった時期に、閣僚が「緊張感を持って事に当たるように指示している」と繰り返していたことも、異様に思えた。一刻の猶予もない緊迫の頂点において、あたかも閣僚の中には緊張感の欠けたトンマな連中がいるかのようではないか。多分そうだったのであろう。誰より安倍自身、人質に危険が及んでいるという緊張感に全く欠けていたとしか思えない。そうとでも考えなければ、あの時期に二人の邦人が人質になっているさなかに、よりにもよってイスラエルを訪問し、「反イスラム国」のために200億ドルを供出すると言ってはしゃぎまくるという全く子供じみた安倍の行動は理解できない。おそらくそのとき、アメリカ政府からの何らかの協力要請がきており、それに応えることしか安倍の頭にはなかったのであろう。状況の複雑さを精査して、その中で最適解を求める、またはより害が少ない方策を模索する、という熟慮の習慣が、この政権には全く欠けているのだ。もちろん、外務省の役人には、それを危惧する人もいたであろうが、アメリカの言い分をきくという単純な行動様式が身についている安倍には、そのような複雑な思考が不可能なのである。
第一、自分と違う意見を具申して首相を悩ますような役人や政治家は、速やかに遠ざけられてしまうのであろう。アメリカの大統領府で日々繰り返されているような激論が、この政権内部で闘わされるなどということは、想像もできないだろう。首相自身が議論を嫌うのが、誰の目にも明らかだからである(この点では、小泉元首相も似ている。彼らに欠けているのは自由主義の精神である。)。
アメリカ政府の要請をそのまま受け入れることが、我が国の国益につながらないばかりか、アメリカ自身の国益にもならない場合がある、ということをよくよく考えてみなければならない。アメリカといえども、人倫に大きく悖るような行動は、アメリカ自身の国益にも結局反することになりがちである。ヴェトナム戦争のような例を考えてみるだけでいい。
こと中東問題を考えるうえで、ぜひとも考慮しなければならないことは、イスラエルに対する態度が、アメリカ外交の自由度を大きく毀損しているということである。米国内のユダヤ人ロビーの絶大な影響力のために、アメリカ政権がイスラエルの違法行為を咎め立てるような政策は、非常に取りにくくなっている。それがアメリカの中東政策を決定的にゆがめてきているという認識なくして、中東問題に対するいかなるリアルな認識もあり得ない。つまり、アメリカの中東政策は、このために常に著しく正義にもとり、アメリカの国益にも反するようなことを繰り返さざるをえないのだ。
我々は、米国のこのような事情を斟酌して、彼らの政策転換のために尽力しなければならない立場にある。アメリカ政治の中にも、当然それを配慮する必要を感じている人々はいるが、強力なユダヤ人ロビーや利益団体を恐れて、なかなか発言することができない。だからこそ我々が外部から忠告することが、米国内部の良心に訴える力を持ちうるのである。もちろんすぐに説得できるとは思わないが、正義と国益と理性に訴える粘り強い親身の説得が、長期的に無駄だとは思えない。
安倍のように、「アメリカ有志連合」に加わることが、アメリカへの友情の表れどころか、裏切りでしかないことをわきまえねばならないのだ。
特に有志連合に参加している連中は、どれもやましい利害関係に関係している。たとえばイギリス。彼らは植民地主義時代の利権を手放そうとせず、そのためオスマン帝国の分割と、シオニストのパレスチナ入植を黙認したという過去を引きずっている。彼らのアラブ人に対する裏切りは、「アラビアのロレンス」にも描かれているとおりである。またフランスは、イスラエルの核武装に手を貸した張本人である。
我が国には、少なくともこの地では、そのような血塗られた過去の負の遺産がないことが、これまでわが国の外交の貴重な資産であり続けてきた。イラク戦争にはせ参じた小泉政権と、今般の安倍政権のおかげで、我が国の外交的優位性はすっかり崩れ去ったのである。
したがって問題は、安倍政権に、およそ危機管理能力がないことが暴露されたことばかりではない。子供じみた自己満足のために、我が国の外交の遺産と根幹が、毀損されたこと、戦後、政府と民間ともどもに築いてきた伝統が踏みにじられ、弊履のごとく打ち捨てられてしまったことが問題なのである。
ちなみに、今回の事件は、人質が殺害されたばかりでなく、ISISにレバノン政府を揺さぶるチャンスを与えたという意味でも、外交的失態であった。私は、アメリカの尻馬に乗ってISIS空爆に参加するレバノン政府を必ずしも支持するものではない。ただ、レバノン政府の弱体化は、中東全域のさらなる不安定をもたらすことを危惧するだけである。その限りで、レバノン政府の安定は日本外交にとってなお重要である。それを危険にさらしたのである。このことだけをとっても、安倍や菅の罪は大きい。
Posted by easter1916 at 20:30│
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田島先生
今回の事件、およそ資質がないとはいえ為政者たる安倍首相や菅官房長官は批判され、その責任を問われてしかるべきだと思います。米英政府の保身のために自国民の命を見棄てる政府など許せるものではありません。ただ同時に、日本国民のあまりの冷淡さというか、不感症ぶりに驚き呆れているのも本当です。言葉を駆使して、見たいものしか見ようとしない自らの後ろめたさを隠蔽する。端的に言えば言葉を駆使して言葉に鈍感になっているのです。しかしよくよく考えてみれば、我が国のエリートと呼ばれる者たちは、まったく自分のことしか考えていないにもかかわらず、あらゆる言葉を駆使して自らの責任を回避し、そしてそうしてしまっているという意識すら隠蔽してきたではありませんか。誰かが用意した模範解答に何の疑問も抱かずに盲従し、制限時間内にそれを丸写しするというのが学問なのだ、そしてそれをできるだけ短時間でやれるのが真のエリートなのだという誤った考えに対し、身命を賭して抵抗してこなかった我々学者だったではありませんか。私には今回の事件で、我々学者がやらねばならないことが見えた思いがします。またそれを行うことが、犠牲になった二人へのせめてもの供養になるのではないかとも思うのです。
ナジャさま
おっしゃるとほりだと思ひます。事件が発覚してからは、事実上我々にできることはほとんどありませんでしたが、それでも現政権を選んだのは我々ですから、我々自身に重大な責任があるのは確かです。それ故私は、犠牲になられた方々のご家族に対して、大変申し訳なく感じてをります。政府首脳だけを非難してすむことではないのです。今後我々にできることは何なのか、各人がそれぞれの持ち場で自問自答し続けることで、その償ひをしていかねばならないのではないでせうか?
田島先生、御退官おめでとうございます。
今後、日本をアメリカに追従しない、独自の政治判断を下す国家にするには、如何なる方策が考えられるでしょうか?
ゆくゆくはアメリカとの戦争も覚悟しなければならないと思われますか?
ひの様
コメントありがたうございます。また祝福のお言葉おそれいります。
アメリカの存在は、我々の安全と繁栄にとって極めて重要です。それ故、アメリカとの戦争などもっての外です。アメリカとの関係は、敗戦といふ事実の重みなくしては考へられません。我々の存立の条件が、主としてアメリカの許容する限界でしか有り得なかったといふ事実を無視してはなりません。ただ、そのために追従するしかないといふのは、思考停止でしかありません。以前にも論じたことがありますが、アメリカから独立した判断によって、むしろアメリカの利益に貢献し得るのだといふことをアメリカ自身に納得してもらふのでなくては、「独自外交」はうまくいかないでせう。そんなことがあり得るのか疑問に思ふ方もあるでせうが、アメリカ自身が部分的にそれを期待してゐる向きもあるのです。つまりアメリカとはちがふ角度から、独創的な提案をすることは、困難ではあるが不可能ではないのです。アメリカでは為し得ない国際貢献、それは特に中東外交では可能です。それはイスラエルに我々が縛られる必要がないからです。
アメリカの軍事的プレゼンスが後退せざるを得なくなってくるにつれて、ますます多極的な安全保障が必要になってきます。そのやうな情勢の変化が、独自外交の可能性と必要性を準備すると言へるでせう。
かつてカナダは、英連邦の一国でありながら、スエズ動乱において独自外交を展開して大きな成果をあげました。我が国が国力においてカナダに劣るとは思へないが、知恵と勇気と品格において決定的に劣る行動をしてゐるのを見るのは、憂国の情切なるものがあります。
御返信ありがとうございます。考えが短絡的過ぎました。高度なバランス感覚のうえで国際的に働きかけるという外交意識がまだ未熟なようです。それは、小室直樹氏が言うように、近代人としてのエトスを欠いているからなのかもしれません。