『集合美を生む美術家』ー現代アート作家ー梅沢 和木

梅沢和木

昭和60年 2月生まれ (インタビュー時29歳)

埼玉県出身 武蔵野美術大学映像学科卒業。

美術作家。現代美術ギャラリー『CASHI』所属。

藤城嘘氏主催のSNS集団『ポストポッパーズ』を経て『カオス*ラウンジ』のメンバーとしても活動中。

「グラシャラヴォス」

「グラシャラヴォス」
2010年頃の作品
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まえがき

秋も終りを告げ、そろそろ次のインタビュー書きたい。誰か良い人はいないだろうか?

そう思っていた時一つのインタビューサイトを見つけた。何か面白い記事は無いだろうかと探しているうちにハッとする様な質問をぶつけている人に出会った。

『もし仕事がなくなったらどうしますか?』(梅沢和木:美術作家)

聞きたいと思っても面と向かって中々出来る質問ではないと思った。少なくともサラリーマンや公務員では出てこない質問だ。

梅沢さんもまた仕事がなくなると言う不安を持っているからこそ、その質問をしたのではないだろうか?

梅沢和木――一体どんな人なのだろうか?

調べてみると何やら以前、梅沢さんの作品についてネット上で騒動があったと言う事らしい。
俗にゆう炎上というものだ。

それでも作品を作り続けているのは何か思うところがあるに違いない。

このインタビューを読んだ人が梅沢さんと言う人物を少しでも知るきっかけになってくれればと思う。

『集合美を生む美術家』

NOLCA「よろしくお願いします」

梅沢「よろしくお願いします」

NOLCA「梅沢さんはどうして美術の道に進もうと思ったんですか?」

梅沢「両親が両方とも芸術大学の出身だったので絵に触れる機会は多かったんです。

自分も美術の道で生きていくかと思い始めたのが中学校の終わり頃。高校受験の時ですね。

一般の教養を学ぶよりは美術の道に行った方が良いなと思いまして。

絵を描くのが好きだったのに対して、色々な教養を学んで一般的な社会と繋がっていく事に全然自信がなかったんですね。

ですのでちょっとでも自分の得意分野である絵を、若いころからちゃんと方針をそっちの方に定めておかないと将来「死んじゃうんじゃないか」って言う危機感があって」(笑)

NOLCA「なるほど」(笑)

梅沢「大宮光陵高校という外国語や書道など学ぶ専門分野が高校の時から分かれている所を選びました。その頃が美術を志したタイミングですかね」

NOLCA「中学生位の時に自分が進むべき方向を考えていたんですね。順調に来てる様にも見えますけど大変でしたか?」

梅沢「高校ではわかりやすい挫折をしましたね。「素描」というデッサンの授業があったんですが、今まで絵を描くのが得意だと思ってたのに、真面目に美術のイロハを基礎からやると色々とできない事が多くて、その現実から逃避していました。学校の授業って45分で休憩10分じゃないですか。一時間位トイレに籠って何もしない事もありましたね。画面に向かうのが辛くて」

NOLCA「大学は芸大だったんですか?」

 

「ロリータコンストラクション」

「ロリータコンストラクション」
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梅沢「大学は武蔵野美術大学の映像学科です。高校では油絵やデザインなど色んな分野の基礎を総合的に学ぶ中で映像はなかったんですね。

最初は試しにちょっとやってみるかってくらいの感覚で目指し始めました。
映像学科は絵と文章を使って物語を作るような試験があって、その試験に受かる為に予備校に通ったんです。美大の試験に受かる為の美術予備校があって、そこで学んだものが自分の中でかつて無いほど充実したものになりました。

何て言うか漫画やアニメーションの様な、自分が好きな世界に似ている部分があったんですよね。

「感覚テスト」という名前の試験だったんですけど、自分の経験とか妄想とかを膨らませて画面の中に表現するというのが凄い性に合ってるっというか、学んでいて楽しかったし非常に得るもの多かったです」

NOLCA「それが今に結びついてると」

梅沢「直結的には結びついてないんですけどね。

今はデジタルやネットのイメージを軸とした平面作品、主に絵画作品に落としこむことが多いので、コンテンツとして物語を作ることをやっているわけではない。どちらかと言うと学んだのは絵の力もそうですけど、文章力ですかね。文章で物語を書く他にも小論文の課題もありましたし」

NOLCA「小論文ですか?」

梅沢「お題に沿って自分の論を時間内にまとめる内容ですね。絵と文章の物語制作と小論文との二つ試験があるわけです。

僕は現役の時学科を全然やってなかったので浪人してます。

だから一年以上物語や文章の基礎をみっちり勉強しました。それはけっこう今に影響しているかなと。

作家って感性に任せて表現するのが良しとされることが多いですけど、理論とか自分の考えを伝えたり、全然自分のジャンルを知らない人に専門的な言葉を使わないで説明したりするのってアートにとって実は重要だと考えています」

NOLCA「自分の作品を他人に説明したり、教えるのが重要になってくるという事でしょうか?」

梅沢「一番重要ではないですけど、その力が有るか無いかは結構な差だと思いますね」

NOLCA「今の作風になったのは何時位なんですか?」

 

「マイ・ピクチャ」

「マイ・ピクチャ」
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梅沢「定まってきたのは学部3年の時ですかね。映像の作品を作ろうと頑張ってたんですが、高校の時と同じで「これで決めた!行くぜ!」という物が作れなかったんですよ。

3年の時のグループ展でインターネット上にあるいろんなイメージを自分でペンでトレースしていっぱいプリントして空間を埋め尽くす作品を作って、今の傾向に至るきっかけになりました。「マイ・ピクチャ」という作品です。

それ以前は訳の分からない抽象映像作品を作ったりしていました。でもそれはまあ全然しっくり来なくて、映像をやりたいと思っていたけど実は映像を作る事が全然向いていなかったという残念な結果があったというか…

ただまあ、映像学科では映像を独自の支持体に投射するインスタレーション作品が主流だったんですが、そういうのを学ぶ中で空間に対する意識の置き方はかなり勉強になりました。この頃凄くアニメに直球ではまりだしました。それまでも漫画とか普通に好きだったんですけど、「俺はオタクだ」と開き直るようにアニメーションと向き合うという事はしていませんでした。

単にかっこ悪いと思っていたので。

「涼宮ハルヒの憂鬱」や「らき☆すた」のアニメが流行り始めて、ニコニコ動画で色々なMADが作られて、Twitterとか今では当たり前なツールが皆にだんだん浸透してきた時期に、学校で学んでいる作品よりこういった娯楽作品やそれを取り巻く環境のほうが魅力的かつ刺激的に見えたんです。インターネットの人たちって凄い熱量で、それに比べると学校で習うアートと呼ばれる物達から直接的な熱量を感じることが自分にはできなかった。

一見分からないけど深く向き合うことで世界との繋がりを実感する、アートとはそういうものだと思って頑張って学んで理解しようとしていたけど、一周回ってアニメや動画にコメントして生産者と受け手がめちゃくちゃに混じっているような文化のほうがアートに近いんじゃないかと思うようになりました。単純に好きというのももちろんありました」

NOLCA「向き不向きに向き合うって言うの重要ですよね。苦手でも突き進むってやり方もあるんでしょうけど、自分はこっちが苦手だから好きな方に行っちゃうって言う。自分の中でそういうのを噛み砕いてこういう作品になったんじゃないですかね。
梅沢さんの作品て凄くセンスが必要だと思うんですよ。ただアニメの絵をトレースして貼り付けましたじゃ結局のところ意味がないと思うんですよね。バランスをとるのって凄く難しいんじゃないかな」

梅沢「自分の作ったものを客観的に見てバランスをとることは非常に重要ですね。絵を描く事って子供の時から好きだったんですけど…漫画家になりたかったんですよ。でも漫画も全然向いてないというか、とても叶わなかったですね」

NOLCA「一回やってみた?」

梅沢「やってみた時期はありましたね。漫画家って監督と脚本家と役者全部一人でやるようなもので、本当に大変な仕事です。自分がやりたいと思っていた事と実際にやれる事のギャップがあって、その葛藤の中で落としどころを見つけていく過程で今作っているような作品になっていったんだと思います」

梅沢「漫画は物語を作る仕事でもありますが、自分は描くということがそもそも好きだったので、それが転じてひたすら細かく描いていく細密画の世界にのめり込んだ時期もありました(「ロリータコンストラクション」という作品など)。
高校生から美大の二年生位までですかね。しっかりと定石通り空間や人を描くデッサンが得意でないということが高校の美術クラスで発覚したので、そうではない描く楽しさとしてひたすら細かく描く方向に傾倒していました。少し病的なひたすらの作業が快感でした。

あんまり映像作ってなかったですね。それもまあ結局自分よりすごい細密画の人はいくらでも居るので行き詰まるんですが、色々あって今の作品にも生きていると思います。

特に今の作風を決定付けたのが四年時の卒業制作作品ですかね。「マイ・ピクチャ」から発展して、ネットで収集した画像をとにかくたくさん大きく再構築し、壁に貼りまくって絵の具で上から加筆した、7メートルくらいの壁画です。「画像の存在証明」という大仰なタイトルを付けました。

壁に貼ってあるのでインスタレーションぽいところもあるんですが、これというジャンルを当てはめることが当時の自分には出来ないような物になりました。「壁画」と言うくらいしかない」

NOLCA「細かく書き込むって言うのが凄く生きてる感じですね」

梅沢「そうですね。上手く描くってよりは凄く高い密度を出していけばそれが強度になると言う事は自分にとってはやり易いですね」

NOLCA「(作品を見て)色があっていいですね」

 

「画像の存在証明」

「画像の存在証明」
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梅沢「MADとかアニメとかって凄くカラフルなイメージが多くて。モニターと印刷だと印象が違うんですけど、モニターの光で描かれる色って鮮やかで素敵だなと思って、それを絵画で表現するためにどぎつい鮮やかな色を結構使っていました」

NOLCA「コラージュではないんですか?」

梅沢「コラージュではあるんですけど、デジタルで描き直しているものと紙の上で描き直してるものが一緒になっている感じですかね」

NOLCA「筆だけじゃ中々出せない感じですよね」

梅沢「人間の手の動きは曲線に向いているけど、デジタルは最小単位が単に四角いので、色々組み合わせていくと矩形が多く残ります。モニターの画面て四角いじゃないですか。加工しているものもありますが、比較的カクカクしている部分が残りやすいと言うか(「画像かわいいよ画像」など)。」

NOLCA「アニメとかで良くある。プログラムが消えていく表現みたいな感じですよね」

梅沢「そうそうそんな感じです。デジタルのコラージュの過程で自然とそんな形が出て来るので、筆の作業だけでやるとそういった形は出てこないですよね。
中学生くらいの時、自分が熱量を持って心から好きだって言えるアニメや漫画の世界は絶対現実の世界には存在しないものだと理解してから凄い絶望感があったんです。アニメのキャラに惹かれる気持ちはあったんですけど、そう言う感情って周りの人間に対する感情とは決定的に違うものであって、惹かれ始めた時から絶対存在しないというか。

ただの空想上の世界でしかないから断絶があって、しかし、こちらからの愛情があるという状態が続いている訳で。自分が好きな世界に自分は絶対行く事ができないんですよね。それが凄い悲しかったというか、とにかく絶望していた」

NOLCA「そう言う気持ちがあるから、デジタルに対する思い入れみたいなものがあるんですね」

梅沢「ゲームとか漫画とかファンタジーの世界って旅とかしてますよね、魔王を倒すとか目的があって。その中で仲間との交流があって、恋愛みたいなものもあったりして成長して、最終的に物語は終わるわけですけど。あれを凄く良いなと思うわけです。本当に、焦がれる、崇高さがある。それに比べて俺の人生は何なんだみたいな。(笑)」

NOLCA「すごい感受性ですね(笑)」

梅沢「中学生くらいの時は女の子と全然話せなかったんですよね。気持ちと体が求めてても圧倒的な何かが拒絶していた。一応絵とか好きだけど、それも中途半端だったし、まあ自信がなかったんですね。女の子と人並みに話せるようになるという目的も、美術科に入った理由になくはなかったかもしれない。

これからの人生で異性とまったく話せなかったら生きていくハードル上がるから、ここで克服しないとヤバイだろという意味で挑戦でもありました。美術科は一クラス40人だったんですけど、女の子は38人で男子は2人しかいないんですよ。38人女の子でそれが3年間続けはどんな話せない奴でも話せるようになるだろうと思って。
実際最初の1、2年苦痛でしたけどね」

NOLCA「いいですね。そういう人間味のある話」

梅沢「辛かったですよ。思春期の頃は」

NOLCA「思春期の頃って誰しも通る道ですよね。女の子しゃべりたいって言う欲求が何かを生み出すってありますからね」

梅沢「とにかく苦手じゃなくなりたいって言うのがあったんですよ。単純に意識しちゃうから、それが自然にできる人って凄く素敵だなって思ったんですよ。自然に話しかけてきてくれるような人間に成れたらいいなって思ったんです」

NOLCA「なるほど」

梅沢「小っちゃい頃は本当にコンプレックスがあって」

NOLCA「小中学校なんて、運動が一番みたいなところってのあるじゃないですか。その中で引っ込み思案な人ってどうしても壁を作っちゃうってあるんですね。それから高校、大学ってなって来ると女の子も色々な価値観、スポーツだけじゃなくて美術だったり、運動以外の。でも、やっぱりイケメンの壁って言うのはあるんでしょうけど」

梅沢「(笑)まあ、文科系の良さが分かるのは年齢が上になってからですよね」

NOLCA「女の子がカッコいいって言う色々な価値観が出てきて色々な方向に向いてくれる。男の原動力と言うか起爆剤ってそれが大きかったりするんですよね」

梅沢「後はバンドとかね」

NOLCA「でも、そのさっきの話で、ゲームをやっててそれが『悲しい』って凄く深いなって思って。僕なんかだと『魔王だ』『倒そう』って普通に楽しんでいく。そこで悲しいなって感受性が強かったんだと思うんですよ。自分とキャラクターを鏡のように映してこれじゃダメだって思ったって事ですよね」

梅沢「憧れって感じですよね。当たり前なんですけど、漫画やアニメのキャラって純粋無垢に描かれてますよね。だから童貞処女が多くていろんなことがすごく恥ずかしく描かれている。現実の世界ではそういう純粋さがほとんどないと言うか、もっと殺伐としている。
現実が嫌だったんですよね。自分が識字もままならない、小さい頃に読んでいたコミックボンボンの漫画やドラゴンクエスト4コママンガ劇場とかすごい好きでした。

当時、ドラゴンクエスト4コママンガ劇場の作家さんが、少年ガンガンでオリジナルの漫画を描いてて、夜麻みゆきさんという漫画家さんの『幻想大陸』というファンタジーの漫画があって、続編で『刻の大地』という作品があるのですが、世界観やキャラクターが凄く好きでした。

当時は、漫画を描いて誰かが憧れる世界を自分でもちゃんと描く事で解消されるはずだと思って漫画家になることを考えていました。しかし現実は厳しかったですね。人生で一度だけ漫画を持ち込みに行った事があるんですけど、高校の時。編集の方から「世界観があるかもしれないけど画力がない」という評価を受けまして」

NOLCA「でもちゃんと行動してるって事は凄い」

梅沢「高校と大学のそれぞれの受験、漫画の持ち込みはかなり行動する意思がありましたね。逆に言うとそれ以外の意思が薄弱でした」

NOLCA「大学に行ってコラージュでやっていこうって決まったきっかけは何ですか」

梅沢「『コラージュでやってくぞ!』という強い意思があったわけでもないんですよね。卒業制作で大きい物を作って、そのままより良いものにして行こうと続けていく中で意思が肉付けされて行った感じです。

イメージの貼りあわせだったら絵画じゃなくて映像でやってもいい訳じゃないですか。単純に自分に絵を描く技術がそれなりにあったからというのも大きいと思います。そんなに評価されるものだとは思ってなかったですけどね。卒業制作では教授はみんな映像の人だから、いいねとは言ってくれる人はいても真剣に考えてそれを押してくれる人がいなくてけっこう孤独を感じたりしました。

まあどうせ作り続けていくからいいやっていう気持ちはありましたけど。もっとわかってくれる誰かが評価してくれるだろう、みたいな」

NOLCA「コラージュって言う手法は昔からあった訳ですけど、既存のものを繋ぎあわせて新しいものを作るって言うのはなかったのかなと」

梅沢「元々家の外に出るのは好きじゃなくて、家の中でカチカチパソコンの作業をするのが好きでした。一生自分の作品を作り続ける事を考えると、映像じゃちょっと続けられないなって感覚があったんです。途中で嫌になっちゃうなって。
パソコンで1ピクセル単位でデータをいじったりとか、インターネットで画像を集めたりとか、紙の出力とデジタルの画像の質感とを合わせてチマチマチマチマ絵具を付けていく作業なら一生飽きる事は無いなって感覚があったんです。それは例えばもし、誰かに描いて欲しいと注文を受けたり、買いたいと願う人が居なくなって仕事としての側面がなくなったとしても、単純に自分の為だけに作品を作る境遇になったとしてもずっと続けられるなと思ったんです」

NOLCA「それは凄いですね。絵とか芸術作品て急にお金になったりしないじゃないですか」

梅沢「そうですね。よっぽど限られてますね」

NOLCA「芸術作品で生活している人がいるんだよ。教科書通りの生き方以外の生活で生きている人がいるんだよって若い人に教えたいよねって思って梅沢さんにインタビューをしたいと思ったんです。」

梅沢「自分の道を貫こうと思っている人に見てもらえたら嬉しいですね」

NOLCA「自分の好きな事にどんどん寄って行っているって素晴らしいですよ」

梅沢「アニメとか漫画とか好きでしたからね。アニメとか漫画の媒体というよりキャラクターが好きなんですね。漫画の中で旅したり、恋愛をしたり。
しかし彼らは人間ではない。キャラクターと人間は違うので、それが自分が執着する理由でもある。自分は生身の体があるし、やがて朽ちて死んでいくものだし。

それに対してキャラはある種の不老不死と言うか、キャラって凄く概念が広いんですよね。モナリザとかもキャラだし、ああ言う概念って自分が生き続ける限り存在するって言うか。それに対する憧れというか凄い良いなぁみたいな感情は強いですね。何とかキャラクターの力を作品に落とし込む事はできないかという気持ちがずっと続いています」

NOLCA「良いアニメとか10年前の奴を見てもめっちゃ感動しますもんね。攻殻機動隊とか、エヴァとか。
お話を聞いていてアニメのキャラへの愛を感じるんですけど、梅沢さんの作品で「うたわれてきてしまったもの」ってあったじゃないですか。(注:匿名掲示板上の画像を使ってコラージュを作るという手法が物議をかもした作品)
実は当時あの事件を知っていて、でも梅沢さんと結びついてなくて、インタビューをしようと思って梅沢さんの事を調べたら、この騒動知ってる知ってるってなりまして。pixivの時に凄く炎上してたねって」

梅沢「自分は比較的精神的には弱くは無いと思ってたんですけど、さすがにあの時は少し凹みましたね。どんな健康的な精神状態でも自分に対して一日に20、30と「死ね」とか暴力的な言葉を浴びせ続けられると気持ちが沈みますね。この炎上で自分の作品に対する批判がネットの一部からすごく強く増えました」

NOLCA「同人誌とか二次創作とかで作ってる人っていっぱいいる訳じゃないですか。pixivなんかで載せてる人がいますよね。例えばエヴァの絵を描いてアップしましたとか。それをほかの作品に使われたって怒るのはどうかなと思ってたんですよね」

 

「画像かわいいよ画像」

「画像かわいいよ画像」
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梅沢「イメージって言うのは各自の脳内で勝手にいろいろ再解釈、再構成されてその結果が作品として現われるものだと思うんですけど、その過程や結果を辿った地図を一つの平面に落としこむ行為が今の自分の作品でやっていることです。インターネットにあるイメージとか自分が描いたものとか自分の見たものとかが一緒くたなって表出されてくる何か。自分の記憶の中から引っ張り出して自分の手で描いたもの、ネットのイメージをコラージュで再構成したもの、そんなに変わらないんじゃないかなと思うんですけどね。批判する人は居ますけどね」

NOLCA「もし、僕が絵を描いていて、梅沢さんに作品の一部に自分の絵が使われたら、この部分 に使われてるんだぜって言いたいですもん。(笑)」

梅沢「(笑)そう言ってもらえるのは素直に嬉しいですよ」

NOLCA「叩いてる人たちのほとんどが多分何も作ってない人だったり、叩き易いから叩いたって言うイメージなんですよね」

梅沢「当事者を代弁する形での叩きが多かったのはそうですね。ネットってそういう叩きがすごくやりやすい構造になっているので、仕方ないですけど。僕のキャラに対する愛の表現の仕方と、ネットの一部のオタクの人達のキャラへの愛し方がまったく相容れなかった。議論ややりとりのようなものも一時期ありましたが、平行線でしたね。「アート」と呼ばれるようなものに対する根本的な生理的嫌悪とかもあるんだと思います」

NOLCA「それでお金を稼ごうと見えてるって言うんでしょうか」

梅沢「そういうのもあるでしょうね」

NOLCA「もしお金に結びついてなければ誰も何も言わなかったんじゃないかなって思うんですね。野次馬根性って言うのが見てて僕は好きじゃないですよね。それが凄く印象に残ってて、釈然としない気分でしたね。今までもやっていない新しい事をやってそれで生活できる。それを作ったって凄い事だと思うんですけど。この凄さって他の人がやりたくてもできない事だとおもうんですよ」

梅沢「そうですね」

NOLCA「自分で何かものを作ってそれが売れれば人間て楽しいと思うんですよ。でも多くの人ってそれが出来ない。出来ないから例えばサラリーマンになったり、公務員になったりしてるするわけじゃないですか」

梅沢「自分だって抜群に上手くいっているわけではないですよ、全然。美術家というか絵を描いて作品だけでちゃんと食っていけてる人って日本だとほんと数えるくらいしかいないと思います。村上隆さんや会田誠さんなんかは違うのかもしれませんけど、大抵は美術の先生とか美大の講師とか、他の仕事やバイトを並行しながら生きてる人がほとんどです。あとは実家暮らしとか、シェアハウスとか」

NOLCA「今年、アンディー・ウォーホールの作品の『トリプルエルビス』が93億で落札されたらしいですが。エルビスプレスリーを三人並べたものが93億で落札。あれだって一つの同じ系統の手法じゃないですか。続けていって批判も受けたりもしますけれども、梅沢さんの作品は、それ位の価値あると思うんですよ。僕は93億もってないから出せないですけれど(笑)
アンディー・ウォーホールが評価されてるのはあの時代に新しい事をやったからだと思うんですね。それで、今、正に新しい事をやってるんだと思うんですよね。トレースだってパソコンだって一つの道具にしか過ぎないんですよね。その道具を使ってこういう風に作っているって言うのが評価される」

梅沢「作家は、作品の値段に対して介入できる部分と介入できない部分があります。最初10万の作品を買った人が別の場所で売って30万、40万と値段が上がっていくことがある。そういう動きに対して作家やギャラリーがどう介入したら良いか。良くない動き方をしていたら買い戻すなどして抑えていく必要もある。

必ずしも抑える必要はないんですが、そこをどうすれば正解なのかは経験が少ないというのもありますが、自分の中でまだはっきりとした答えは出ていないです。作家とギャラリーとアートコレククターと、それぞれの心理を読みながら、株を見るように作品の値段の推移をちゃんと見れるのも作家の条件の一つだとする見方がありますが、疑問もあります」

NOLCA「アンディー・ウォーホールのシルクスクリーンが売れれば売れるほど、モデルにも収入が入っていく形を採ったらしいんですね。だから誰も損する人がいなかった。こぞって有名人が写真を撮ってくれ撮ってくれって言う感じになったって聞いた事があるんですよ。梅沢さんがやった事で誰かが嫌な思いをしてしまったって事が叩かれた原因の一つだと思うんですよね」

梅沢「勝手にやってしまった事ですからね」

NOLCA「お話を聞いて分かったんですけどアニメへのリスペクトがあるって言うんですか?
そう言うのを知ればまたちょっと違う風に見えるんじゃないかと思うんですけどね」

梅沢「一度憎き者と見たらそこは中々変わらないですからね」

NOLCA「そうですね」

梅沢「残念な事ですけど」

NOLCA「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな」

 

「とある人類の超風景DX」

カオス*ラウンジの展示
「とある人類の超風景DX」
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梅沢「僕もカオス*ラウンジも、一部の人に叩かれるのはもう仕方ないかなと思ってます。
個人の作品制作以外の活動で言うと、カオス*ラウンジはキャラクターという概念に対する表現を更新し続ける、自分にとって重要な活動です。

カオス*ラウンジはもともと藤城嘘くんというネットで知り合った当時高校生の絵描きが発案した展示で、展示以外にもお絵かきオフというネットで知り合った人同士で集まって白い紙の上にひたすら絵を描き続ける会などが生まれたりしている変な集団です。最初は展示名だったけど今は集団の名前になっていて、10人で展示をやるときもあれば50人で展示をやるときもある。僕個人の制作とカオス*ラウンジの活動って色々違っていて面白いですね。
最近カオス*ラウンジでやっていることは日本美術を重視していて、その地域の特色や歴史を踏まえた上で作品を作る事が多いです。最近やった展示は80年くらいに前に作られた民家でやりました。
この家は藤城嘘くんのおばあちゃんの持家で、最近まで嘘くんが一年くらい一人で住んでいて我々もアトリエとして使わせてもらっていたりしていたんですが、取り壊される事が決まっていて、その前に展示をしようという事になったんです」

NOLCA「(写真を見て)」

梅沢「「キャラクラッシュ!」という展示です。

※ 参考1『カオス*ラウンジが活動拠点アトリエで「キャラクラッシュ!」展の開催を発表

※ 参考2『Chara Clashl

家の中なんですけど砂利が敷いてあったりして、瓦礫とか物とか色々置いてあったりして」

NOLCA「これは冷蔵庫とか家電ですか?」

梅沢「家電ですね。梅田祐さんの「にがびゃくどう」という作品です。「キャラクラッシュ!」展はカオス*ラウンジのメインメンバー三人の中の黒瀬陽平さんの企画した展示で、タイトルどおりキャラクター(character)がクラッシュ(clash)したような印象の作品が多いのですが、これは造語であり、同時に「イコノクラスム(iconoclasm)=偶像破壊」にもかかっています。

梅田さんの作品は鎌倉時代の「二河白道図」という絵がモチーフになっていて、元々は西の方にある極楽浄土へ行ける白い道を阿弥陀如来に招かれて旅人が歩いている絵なんですが、「にがびゃくどう」のインスタレーションの中では鑑賞者がそのまま白い道を歩くことになるわけですね。体験型作品とも言えます。

アニメのキャラクターグッズや、他のメンバーが海岸で集めて拾ってきた漂流瓦礫などにまみれて行き着いた先には底の抜けた押入れと、極楽浄土の代わりにメルトダウンした原発がモチーフになった風呂、ラバーで出来た巨大なナマズなどが顔を覗かせている。キャラのクラッシュと原発のクラッシュがかけあわされているというか。

ちょっと前まで極楽、というか未来や凄いものの象徴だった原子力が今では崩壊して良くないものになっているという皮肉も読み取れるけど、それ以上にとにかく空間全体が大変なことになっていて言葉の説明で理解できる以上のインパクトがある作品です。この展示のメイン作品とも言える。

自分の作品なんかはコラージュによる再構築の繰り返しによってキャラがクラッシュしているわけですが、こういった空間全体を使った異色のアッサンブラージュは自分には出来ないことなので、一緒に展示が出来て嬉しかったですね。
カオス*ラウンジはもともとSNSの繋がりをそのまま現実にインストールしたような展示を表現と言い切ってしまう「人力SNS集団」的側面から始まりました。驚くような作家との出会いが多いです」

NOLCA「そう言うところで人のつながりの重要性を感じたんですね」

梅沢「自分はそんなに人と繋がりたいと思っていたわけではなかったはずなんですけど、実際そういう交流が生まれると良いものだと思えるようになりましたね。震災以降特に増えた印象があります。こちらが現地に行って、そこから生まれるアナログな繋がりがSNSのようなデジタルな繋がりと連携することが重要ではないかと。今はそこからさらに先の繋がりが求められている気がします。
震災以後行っている個人では出来ない表現活動というと、福島第一原発観光地化計画も重要なトピックとして挙げられます。

※ 参考3『「2036年、フクシマが希望の言葉になる」
福島第一原発観光地化計画を立ち上げた東浩紀さんに聞く「未来のつくりかた」

※ 参考4『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2ーamazon.co.jp

哲学者の東浩紀さんが指揮をとっている、ほとんどアートプロジェクトと言ってもよい革新的な復興計画です。行政からは出ないような案だと思います。自分も含めたコアメンバーからかなり思い切った提案がされていて、これもまた議論を呼び、批判もありました。チェルノブイリの原発事故から25年経った今、現地では観光客が増えてダークツーリズムの人気スポットになりつつあるという現実も根拠の一つとしています。それを不謹慎だと言うことももちろん出来ますが、重要なのは事件を風化させず、いかに感心のない人々を現地に足を運んでもらうことができるかだと思うので、自分も思い切った提案をさせてもらいました。表紙のイメージにほとんど表れています。原発はもう無くす事が出来ないし、完全に無くすには100年位時間が必要です。その間完全に放っておくんじゃなく、むしろ観光地にして来た人からお金を取っていくくらいの図太さが必要なのではないかと」

NOLCA「それはありますね」

梅沢「すべてを実現するには当然様々な問題がありますが」

NOLCA「批判もあるとは思うんですけど、それによって収入を得られてそこで生活していける人がいるっていうプラスの面。そっちの方を見て応援して欲しいですよね」

梅沢「今現在、実際チェルノブイリ原発を見に来る人がけっこういる訳ですよ。そういう人にものを売ったり、場所を案内して産業にしていく事って凄く重要なだし、福島第一原発もまだ3年くらいしか経ってないですけどこれから20年、30年経っていくうちにチェルノブイリの様な需要って出て来ると思うんですね。今福島の原発がどうなっているのか、日本人で気になっていない人はほとんど居ないと思います。

実際自分の目で見て確認したいという人も居るだろうし、多くの人がそうするべきだと思う。観光地化計画のメンバーで、福島第一原発と第二原発を見学させて頂いた機会がありましたが、やはり百件は一文に如かずで、今日本でどういうことが起きているのか非常に強烈に実感し、再考することが出来ました。ただ、現状では福島で被災した地域を観光する余裕はまだないし、原発内を見学するなんて普通できません。どういう風に現地を見て考えたらいいかというイロハがほとんどない訳です」

NOLCA「そうですよね。来た人がどういう風に見るかは自由ですけど、見方の一つの方向性、それに一石を投じるって言うのはまだないですもんね。見せ方も重要ですもんね」

梅沢「僕も震災以後作る作品の傾向が変わって来ていて、キャラクターを中心にしたイメージから現実の風景を取り入れた作品を作っていくようになったんですね。
そこからの発展で、福島の瓦礫や津波のイメージを象徴として一つ、大きなオブジェとして立ち上げてしまおうというのが自分の提案です」

NOLCA「これを実際に作ってやろうって言うんですね。凄く良いアイディアですね」

梅沢「凄い難しい事ですけどね」

NOLCA「寧ろ瓦礫を積み上げるだけでも人が見に来るんじゃないですかね。規模がでかくなれば」

梅沢「震災以後それまで考えていなく楽観的な面が強かったですが、社会と芸術との繋がりを真面目に考え始めてしまいましたね。アニメのキャラクターを使って自分が好きな作品を作るって言うのは単純な自分の欲望が強いじゃないですか。それはそれでいいんですけど」

NOLCA「田んぼアートってあるじゃないですか。異なる稲を使って田んぼに絵が出来るようにする。何もなければただの田んぼなのに、あれを芸術家さんたちと作る事で凄く観光客が来てるんですね。あれもただの農業と芸術が組み合わさって人が呼べる産業になってるじゃないですか。そういうパワーってありますよね、美術って」

梅沢「以前までそういうことってほとんど考えてなかったんですけど、作品を作って見せるって事は自分以外の人と関係が出来るって事なんですよね。今までは自分の欲望に沿って純粋にキャラクターを使って大量のコラージュを作ってたんですけど、その意味を考えるようになったんですよね。

震災が起こった時にネット上に津波の映像とか瓦礫の画像とか凄い沢山あふれたじゃないですか。僕が普段だらだら見ている2chまとめサイトとかにもそういった画像が出てくるようになったくらいで。普段見えてるネット上の風景が変わってしまった。

その時に今までと変わらずキャラクターだけで作品を作るっていうのはおかしいのかなって考え始めたんですよね。キャラクターばかり使ってたのは自分が普段見ているインターネットがほとんどキャラクターで溢れていたからなんです。それが変わって来たからそのまま作品に反映されるべきだという考えに取り憑かれていった結果、瓦礫のイメージとキャラクター、その両方を使う様になりました。その時にキャラクターというのは何なのかと改めて考えるようになりました。キャラクターってそもそも概念だから死なないんですよね。僕は死ぬと言う事について凄い嫌悪感があって、でもいずれ人は死ぬ訳じゃないですか。それが凄い嫌。意識がなくなるっていうのがとにかく嫌なんですよ、でもいずれそうなるわけですよね。『それは許せんな』と思っています。常に。死にたいってよくネット上でつぶやいている人がいますけど、ほとんどが辛いとか構って欲しいとかやらなきゃいけないことを忘れて遠くに行きたいとかそれ位の意味で使われている場合が多い。

僕はとにかく死にたくないです。

母が十年前に更年期障害で重度の鬱になって、十年くらい大丈夫だったんですけどまた最近症状がやばくなってきて、最近はまた治ってきてよかったんですけど。そういうのを見ると自分の無力さを感じると言うか」

NOLCA「元気でいて欲しいですもんね」

梅沢「それはそうですよ。あれだけ辛そうにしていればね」

NOLCA「自分は昔鬱になったんですけど、こう考えるようにしてます。ただの化学反応なんだなって。幸せに感じる物質が脳から出てれば幸せに感じるし、憂鬱になる物質が出てれば鬱に感じる。だから、どうにかしてそういう状況をずらそうと言う状況に持っていけば良い。例えばお風呂に入ると一瞬でも鬱ではなくなったりします。そういう事を繰り返していくのが重要なのかなと」

梅沢「身体と心ってやっぱりリンクしているものなんですね。自分は精神的には大丈夫なほうだと思っていますが、身近で精神的に沈む人が居たり、自分でも気付けないくらいいつの間にか自分が沈んでいる時には作る作品に何かしら影響が出てくるので、注意深くそれを見逃さないようにしています。心が見えにくいような作品を作っていますが、精神が完全になくなることはやはり無いので」

NOLCA「そうですね。今後の予定とか将来の展望を教え下さい」

梅沢「今年(2014年)はニューヨークで個展を開く事が出来たのが大きかったですねえ。海外での作品発表を継続しつつ日本での活動もより頑張るというのがぼんやりとした目標でしょうか。海外って日本よりも作品が動きやすいんですね。日本では大きな家を持っていて大きな絵を飾るという人が少ないんですが、日本以外だと大きな家を持っていて大きな絵を飾る人もたくさん居る。土地の広さがまず違いますからね。3メートルとか4メートルの絵って作って発表するのにちょっと躊躇があったんですが、今回の個展の経験でそのためらいが減って、大きな作品も実験的なものも含めて割といけそうな感覚が得られたのは大きいですね」

NOLCA「海外って絵を飾って楽しむ文化がありますからね。日本は版画文化と言うか」

梅沢「そうですね。どちらかと言うとグッズやインテリア的な側面が強いです。ですので海外での作品の展示、発表はこれからも続けていきたいと思っています。日本では自分のことを知っている人がいますけど、海外だとやっぱりほとんど知られていないので、とにかく継続して頑張って行きたいですね。今回の個展で繋がりが出来たので何度か続けられそうです。その他にも英語を頑張ると。(笑)」

NOLCA「やっぱり、作品を見に来てくれる人に英語で自分の作品を語るのは難しいですか?」

梅沢「作品の説明は勢いでなんとか出来るんですけど日常会話の方が大変ですね。単純に知らない単語が多いので(笑) 日本語でも自分の作品のコンセプトや考え方が本当の意味で伝わってるか伝わってないかなんて究極のところわからないわけで。それが英語になるとなおさらです。とはいえ伝えるべき事って限られてるんですよね。

毎日ネットで漫画とかアニメとかゲームとかの画像を集めてそれをコラージュしててとにかく熱い思いがあるって事が伝えらればまずは良いのではないかと。作品の実物があるわけですからね。作品を観て感動してくれればそれが一番強い言語なので、後は補足をどれだけできるかということだと思います。
日本語で話すとついつい細かいところまで話し過ぎちゃうんですよね。この細かいこの色の部分がこう配置されてるから凄いんだ!みたいな。べつにそれは話さなくてもいいっちゃいい。この人は凄く熱意があるんだなと伝わることがまず重要かなと思います」

NOLCA「なるほど、僕は海外のほうが高い評価を受ける作品だと思います。今日はありがとうございました」

梅沢「こちらこそ、ありがとうございました」

梅沢さんからの一言
NOLCAさんのインタビューでは普段話さないような中高生の頃の事まで話してしまいました。
初期衝動的な記憶を辿ることが出来、自分でも再確認が出来た気がします。
今年はカオス*ラウンジの活動と個人の活動がますます発展して行きそうなので、頑張って行きたいです。ありがとうございました。

あとがき

人との繋がりが好きではなかった少年が人との繋がりの重要性に気付き、世界と繋がりを持つようになる。

漫画やアニメでは良くあるテーマだ。しかし、梅沢さんの人生は正にこのテーマを表していると思う。

人と話せるようになる為に自分の身をその環境に投じるのは一種の冒険だし、インターネットで知り合った仲間と騒ぎながら一緒に仕事をするのも一種の物語だと思う。

そんな彼が世界に出て自分の作品を通じて人との繋がりを深めていく。
いくつかの作品を見せて頂いたが、最近の作品には自然や事象を表しているものが多い。
そこには、梅沢さんの興味がそのまま作品に表現されてのが分かる。

挫折だったり、成功だったり、時間だったり、人が成長するのに無駄なものなど無いのだと自分は梅沢さんの作品を見て感じた。

梅ラボ
http://umelabo.info/

CHAOS*LOUNGE official web
http://chaosxlounge.com/

Image of works by Kazuki Umezawa Courtesy CASHI