ゼロ戦のプロペラに関して・・・実はアメリカの企業が特許を持っていた。日本は敗戦後「その特許料を請求してください。」と手紙した。・・・
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2013年09月04日 コメント(2)
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カテゴリ:韓国・北朝鮮
李氏朝鮮時代、朝鮮では信じられないような残酷な拷問が繰り広げられていた。
そして、朝鮮が日本の保護国となり、日本が統監統治を始めると間もなくこのような階級制度・拷問を廃止し、刑務所も広く清潔に造り替えた。 拷問の禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。 1908年の法令改正によって、拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。 「死刑の執行を見た。 身動きのできぬ囚人の足の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体重の全てを棒の片端にかけた。 囚人が続けざまに吐き出す叫び声は聞いていて実に凄絶なものだった。 脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを表現する声さえももはやないか のように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。 執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と折ってから最後に絹紐を使って首を絞めて殺した。 ―― 理由が何であれ、こんな状況がまだこの地球上の片隅に残されてあることは、人間存在そのものへの挑戦である。 とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば、真っ先にこのような拷問を廃するだろうという点だ」 「悲劇の朝鮮」スウェーデン人 アーソン・グレブスト 日本が強力に指導した大改革は広範囲に及ぶもので、両班や白丁(被差別民)などの身分制度の廃止、人身売買の禁止と奴婢(奴隷)法の廃止、宮廷にはびこっていた宦官(かんがん)の廃止、科挙の廃止と近代的官制の採用、物納から金納へと代わる税制の近代化、悪貨が良貨を駆逐して混乱を極めていた貨幣制度の改革と財政改革、巫女 (シャーマン) が行なっていた呪詛による病気治療の禁止と近代医療衛生制度の導入など、中世的世界から決別する革命的な改革で、開国以後も朝鮮人自らの手では行なえなかったことばかりだった。 李朝末期の韓国は、政治が乱れに乱れていた。宮廷は国民の大多数が生活苦に喘いでいるのをよそに、政争に明け暮れていた。役人や、両班(貴族)はみな私欲にかられて、自らの栄達と蓄財のみを求めて、弱い民衆を摂取することだけしか考えなかった。 そのために社会道徳が乱れて、精神も文化も経済も疲弊した。売官売職は普通のことだった。どこでも賄賂がまかりとおった。黄金の力と暴力が支配していた。 政治は不正行為の別名でしかなかった。民衆への収奪が極限に達していた。 いつも、ハルサリ(その日暮らし)を強いられていた庶民は、こき使われるだけこき使われ、乱暴されるだけ乱暴されて、まったく希望を抱くことができない日々を送っていた。 社会が停滞しきっていた。火賊や山賊と呼ばれる盗賊が横行していた。火賊は村を襲うときは放火して、その混乱の中で略奪したためにそう呼ばれた。日本人は徳川幕府末期の日本について大いに誇ることができようが、情けないことだが、韓国人としては李朝末期については何一つ誇ることができない。 「醜い韓国人」光文社 朴泰赫 朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。 両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。 両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。 マリ・ニコル・アントン主教 両班はキセルですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしであった。 両班はいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な手段な行為をつくし、それでもなお、望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。 イザペラ・ルーシー 私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしていなからも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。 「どうしてそれらの土地を耕さないのか」と聞いたところ、「耕せば、耕すほど税を取られるだけのことだ。」という返事があった。 マッケンジー(朝鮮の悲劇)
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