第3回 「アイドルにはまってしまった40代男ですが、妻から離婚を言い渡されました」と、モノノフは言った。


 〈本の雑誌〉の浜本発行人(同世代)に初回の原稿を送ったところ、
「普通の50のおっさんは、大森さんのようにアイドルの世界に戻るにはハードルがいっぱいあるはずで、たとえば家族とか会社の同僚、上司の目とか、とくに妻や娘の冷ややかな目線をどうクリアするかとか、金の問題も含め、一般50代が参戦する際の、そのあたりの障害をどうすれば取り除けるのか、のヒントなどを具体的に書いていただきたいと思います」という、もっともなリクエストがあったので、今回は予定を変更して、この問題をとりあげたい。

 周囲の理解というのはたしかに厄介な問題で、アイドルのライブ鑑賞が、ゴルフや釣りや囲碁のように、中高年の趣味として正しく認知されているかというと、必ずしもそうではない。まだまだ市民権を得たとは言えない状態にある。この悲しむべき現状を少しでも改善したいという意図もあって、この連載をはじめたわけですが、いまのところ、中高年がアイドルにハマるための最大の障害は、周囲の冷たい視線かもしれない。いや、中高年にかぎらず、全年齢のドルヲタにとって根源的な問題だとも言える。

 たとえば、この連載の第1回が「Web本の雑誌」に掲載されたまさにその日、村上春樹氏が読者の質問・相談その他に答える期間限定サイト「村上さんのところ」では、奇しくも、「アイドルオタクの夫」に関する相談が公開されていた。

 相談者は結婚4年の女性(32歳、主婦)。いわく、
「主人が3年くらい前からアイドルにハマっており、休みの日はアイドルばかり」(中略)「今日はチェキを撮っただの、握手をしただの楽しそうに話してくるので、話はきくのですが、正直イライラすることもあります」
 と、内心けっこうむかついている様子。夫のほうが年下だというから、旦那の年齢は30歳前後か。現場に一緒に行ったりもしているので、どうやらこの旦那は、奧さんが怒っているとは夢にも思わず、熊本のご当地アイドルを天真爛漫に応援しているらしい。
「ギャンブルやキャバクラに行くわけではないので(中略)これくらいは広い心で見守るべきか」というのが直接の相談内容。
 村上先生のお答えは、「イラっとすることもあるでしょうが、できるだけ温かく見守ってあげてください」というもの。その理由は、

 たしかにギャンブルやキャバクラにはまるよりはましです。また逆に「あまりにも正しいこと」にはまっちゃうよりもいいかもしれません。「あまりにも正しいこと」にはまっちゃうと、ときには危険です。

 そうだよね、ネトウヨになるよりドルヲタのほうがぜんぜん無害だよね――と、つい頭の中で翻訳しちゃうわけですが、たいへんもっともなご意見。ご当地アイドルの応援だと、交通費もそんなにかからないし、チェキも握手も安上がりだし、趣味としては経済的じゃないですか。
 しかしまあ、いつも笑顔で受けとめてると旦那が増長するだけなので、「あんたが若い子と握手した話をあたしが楽しく聞いてると思ったら大まちがいだよ!」くらいのことは一回ガツンと言ってもいいんじゃないでしょうか。アイドルにかぎらず、なにかにハマるとまわりが見えなくなりがち。ドルヲタ諸氏におかれましては、あなたが好きなアイドルのことをみんなが愛しているわけじゃないという事実は忘れないようにしましょう(と、自戒も込めて)。つねに一定のうしろめたさを胸に秘めていること。堂々としすぎてはいけません。

 配偶者のこうした不満は、小火のうちに消し止めておかないと、深刻な事態に発展しかねない。2012年7月に「yahoo!知恵袋」に寄せられた相談は、その悲劇的な例。いわく、「アイドルにはまってしまった40代男ですが、妻から離婚を言い渡されました

 ももクロにハマり、Tシャツやペンライトも買ったものの、家族にはずっと隠していた。あるとき意を決して妻に打ち明けたら、「家族を応援せずに、娘ほどの子を応援する、ロリコン、変態」「若いアイドルにはまった気持ちの悪い旦那とは一緒に住みたくない」と言われた――という、なんとも同情すべき事例。ももクロは、アイドルの中では比較的〝性的対象〟度合いの低いグループだし、いまや国民的な人気なので、ライブでももクロ応援するくらいでそこまで言われるのか......と思う人もいるでしょう。
 AKB48やSCANDALなら許すけど、ももクロ好きであーりん(佐々木彩夏)推しの夫は許せない――という、こちらの奥さまのロジックは、村上さんに相談した32歳の奥さまの「キャバクラにハマるよりご当地アイドルのほうがマシ」という考えのたぶん対極にある。女を売りものにしていないグループにハマるほうがむしろ悪質、みたいな? このあたりの論理を考察しはじめると危険な領域に踏み込みそうな気がするので、いまは棚上げ。どのみち理屈で説得することは不可能なので、議論しようとしないほうがよさそうです。

 夫がアイドルにハマったことを理由に妻が離婚を考えるというのはよくある事例らしく、同じ「Yahoo!知恵袋」や「発言小町」を〝アイドル 離婚 夫〟などで検索すると同様の投稿多数。
 さらに、昨年3月9日放送のNTV「行列のできる法律相談所」では、そのものずばり、「アイドルオタクの夫と離婚できるか!?」 という事例がとりあげられている。
 妻側の主張によると、「家中アイドルグッズだらけ」「いつもアイドルの曲をかけている」「アイドルの追っかけで、週3日家を空けることもざら」「月収30万円のうち、10万円はアイドルに注ぎ込む」「大勢のヲタ友を家に連れてくる」......と、こちらはかなりひどい例。これだけひどくても、離婚できるかどうかについて、4人の弁護士の判定は五分五分(2対2)で分かれているので、ちょっと安心しますね。
『アイドルに夢中の夫が気持ち悪い』そんな理由でも『離婚』できるか?」という質問に対する弁護士ドットコムの回答によれば、「アイドルに夢中だ」という理由だけで離婚することはむずかしく、「夫婦関係が崩壊したといえるかどうか」がポイント......とのこと。

 そうは言っても、身近な相手にここまで拒否反応を示されるとしたら、その前の段階で危険信号を察知して、あとは隠し通すしかないかも。アイドルのために妻も子も捨てるというのはある意味いさぎよい態度ですが、きっと後悔するでしょう......って、あんまり役に立つ対策がなくてすみません。

 もっとも、いまはスマホひとつあれば、ネット上のアイドル動画はもちろん、CD音源もDVD映像もとりこんで楽しめるので、在宅でこっそりヲタ活に励むことはむずかしくないし、月に1回くらいなら適当に口実をつくってライブに参戦することも可能。応援するアイドルによっては、無銭イベントやワンコイン・ライブもたくさんあるので、小遣いの範囲内でやりくりできるはず。家族に秘密を持つのもそれはそれで楽しいかも......。

 しかしまあ、離婚を切り出されるまで嫌悪感を持たれるケースは、たぶん少数。50代、60代になってしまうと疑似的な恋愛対象でさえなく、子供や孫を見るような感じでライブに通っているのだという言い訳が(実態はともかくとして)一定の説得力を持つので、20代、30代の既婚者の場合より周囲からあたたかく見守ってもらいやすい。子供もある程度大きくなれば、休みの日もそれぞれ勝手に出かけていくので、お父さんお母さんは時間が比較的自由になるでしょう。というか、話は逆で、当コラムでは、そういう余暇を満たす趣味として、アイドル鑑賞を提案しているわけですね。とくに事情がないなら、アイドルが好きだということは家族にも職場にもオープンにして、老若男女問わず、少しずつ同好の士を増やしていくことをお薦めします。その方法についてはいずれまた。