若者の性交渉離れ
今回、特に目を引いたのが、29歳以下の男性の性行動を巡る事情だ。性交経験率が5割を超える年齢は「29歳」で、08年の「23歳」、10、12年の「26歳」と比べて一気に高年齢化した。一方、女性は「28歳」で、過去の調査結果(24~27歳)より高かったが、男性ほどの変化はなかった。
若者の性交渉離れが話題となっています。僕自身が「絶食系男子」や「草食系男子」だったかといえば、そんな事もないとは思うのですが、どう考えても自分からアクティブに動ける「肉食系男子」ではありませんし、特に三十路を超えてからは「倫理的に生きる」を内部規範にしています。他にもアスパラ肉巻き系男子やロールキャベツ系男子など、色々な分類があって、例える主体を統一して欲しいわけですが、自身の性質を考えると「食虫植物系男子」だったのかなと思います。
その辺は所属してきたコミュニティの男女比が極端に偏ってきた事に起因していると考えています。男性が極端に多い場所ではコミュニティの秩序を重視しがちでしたし、女性が極端に多い場所にいると一挙一足が情報共有されるのでよほどの確信がなければ動けません。はてな村はコミュニティーの秩序を重視する上、男までもがゲスな噂話やマウンティングが大好きなので悪いところ取りです。まぁそんな事よりも、僕なんかに好かれる事で困った顔を見るのが嫌だったのですね。
食虫植物系男子として待ち続けた日々
つまるところで、僕が動くためには「よほどの確信」が必要であって、互いに安心なまま肉食系に変貌できるパーソナル・スペースに相手が迷いこんできてくれる瞬間を食虫植物のように待ち続けていたでしょう。自分から積極的には動けないのに、甘い香りを出すための努力だけは怠らないわけで、我ながらサークルクラッシャーの行動に似ているんじゃないかと思う事があります。
僕の人生を振り返ると、誰かの推薦で呼ばれるとか、直接的なアプローチを請け負うばかりで、自分の意思で売り込みたい場所に売り込んでいく機会が少なかったように思います。もちろん「コール」を受けていく方が圧倒的に成約率が高いし、他者から求められる事による自己肯定感を保ちやすくもあります。
でも、そうやって相手から選んでもらうための工夫ばかりして、やれやれと応じようとする態度はダサいからやめようという事を、ここ数年でやっと意識するようになりました。そもそもイケメンでも女子でもない自分にそんな事が訪れる機会は圧倒的に少ないのですし、虚像を根拠にされても長く続くとは思えません。遠くから見れば大抵のものは綺麗に見えるからこそ、綺麗なままで終わらす選択肢もあるのです。
インターネット経由で付き合うこと自体は今のご時世珍しくもなんともないけど、会ってもいない相手を好きになる奴って思い込みが強くて自分を客観視する能力が著しく欠如してるし、バカだからまともな会話が成立しないし、何かあるとすぐ「裏切られた」とか言って被害者面するしめちゃくちゃ可愛い…。
— みつば (@san_you_chu) 2015, 2月 6
日常を含めてを好きになる努力
「選んでもらう工夫」や「選んでもらう努力」、「選んでもらうための勉強」 「選んでもらう作戦」。そういうのばっかり発達してきたんじゃない? それは、恋愛やら結婚やらのことばかりじゃなく、仕事のことや人生のこと全般に言えるように思う。 まずは「こっちが好きなんだ」ということが、出発点になるんじゃないか。
ー糸井重里が『今日のダーリン』の中で
その意味では「こっちが好きなんだ」を重視しつつ、もっと日常的な部分に注目していくべきなのでしょう。それは「劇的な回心」の対極ですが、個人的な「劇的な回心」によって上手くいくのは当事者を疎外した部分だけであって、偶像として生きぬく覚悟を決めたわけでもない人々を人間疎外(モノ化)していくのは非倫理的です。石川梨華はキリストを超えましたが、そこには彼女をひとりの人間として見ていない/見られたくないという共犯的な疎外が内包されています。
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
- 作者: 濱野智史
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/12/07
- メディア: 新書
- 購入: 9人 クリック: 3,364回
- この商品を含むブログ (43件) を見る
関係性は「試す」ものではなくて「育てる」もの
恋愛においても、つい「ぼくはね、実はここが魅力的なんですよ」「わたしのアピールポイントはこれなんです」「お買い得ですよ」「さあ買った買った」という流れの中で、スムーズに人を好きになっていきたいという気持ちが生まれるのも仕方がないのだろう。
ぼくらは自分でじっくりと時間をかけて考えて、「好きだ」という気持ちを育てるやり方を忘れてしまっているのかもしれない。
もちろんのこと、眼前の人を好きにならなければいけない法はないし、現代社会では「ガチャ」をひける機会が増えてしまったので、最初からぴったりの人を探し続ける事も出来るのでしょう。だけど、それではどこにも行けない事も分かっています。
尊重し合うまでの過程を端折りながら「尊重してくれない」と怒り出すのは、結局のところで自分自身が相手を尊重していないからでしょう。
関係性は「試す」ものではなくて「育てる」ものです。
おなじ温泉に入る
そんなわけで、最初から幻想含みの好意を見せてくれる人だけを相手にするのではなくて、結果として育っていった自分の気持ちを優先しつつ、相手の気持ちにも育ってもらうためのアプローチが必要なのでしょう。そのためには「同じ温度の湯船に入ること」が必要であり、その熱源についてもガスの追加投入が必要となる「風呂」から自然発生的な「温泉」に質的転化を図っていきたいと思うのです。
自分や相手の湯船がどんどん冷めていくように思えて、その都度都度で瞬間湯沸かし器を使うなんて事を繰り返していては心が消耗していきますし、迷惑かけちゃったなと心が折れてしまいがちです。だから、もっと持続的なぬるま湯を作って、その中から出たくないと互いに思える事が心穏やかに暮らせる秘訣なのでしょう。まぁ、そういう事をブログなんかに書く事自体が、食虫植物系男子特有のおもしろ求愛ダンスなんですけどね。
- 作者: 犬山紙子,峰なゆか
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2012/06/15
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 28回
- この商品を含むブログ (7件) を見る