【紙面審ダイジェスト】大学教授の肩書に「大学院」は必要?
2015年02月06日
紙面審査委員会は、編集編成局から独立した組織で、ベテラン記者5人で構成しています。読者の視点に立ち、ニュースの価値判断の妥当性や記事の正確性、分かりやすさ、見出し、レイアウト、写真の適否、文章表現や用字用語の正確性などを審査します。審査対象は、基本的に東京で発行された最終版を基にしています。指摘する内容は毎週「紙面審査週報」にまとめて社員に公開し、毎週金曜日午後、紙面製作に関わる編集編成局の全部長が集まり約1時間、指摘の内容について議論します。ご紹介するのは、その議論の一部です。
以下に出てくる「幹事」は、部長会でその週の指摘を担当する紙面審査委員会のメンバーです。「司会」は編集編成局次長です。
<1月23日開催>
■「来年度」か「新年度」か「15年度」か
幹事 政府は1月14日の臨時閣議で2015年度の予算案を決定した。同日夕刊各紙の見出しを見比べて気づいたことを一つ。本紙は1面も中面もスポーツ面も「来年度予算案」とした。日経も同様だった。朝日と東京は「15年度」、読売は「新年度」としていた。記事は全紙とも「15年度」だが、見出しは見事に割れた。
15日朝刊の見出しは異なった。本紙は1面も中面もすべて「15年度」▽朝日はすべて「新年度」▽読売は1面とニュース面は「新年度」、社説と特集面は「15年度」▽日経はすべて「来年度」▽産経は1面「来年度」、中面「(平成)27年度」▽東京はすべて「15年度」−−だった。夕刊・朝刊、全部の面が統一されていて、何らかのポリシーを持っていそうなのは日経「来年度」と東京「15年度」だけのようだ。
昨年12月からの見出しを調べてみたが、本紙の編集者には「来年度派」と「15年度派」があるようだ。ある日の1面と中面がそろっていれば問題ないと言えるのだろうか。日によってバラバラではみっともないし、読者を混乱させかねない。本紙としてもポリシーを持っていた方がよいのではなかろうか。検討を望みたい。
見出しでは数字の「16年」とか「2月」とか「24日」とかを「来年」「来月」「あす」と記すことが多い。読者にとって感覚的にわかりやすい、と考えた上でのサービスと言っていいだろう。「15年度」を「来年度」と言い換えるのも、その延長線上にある。ただ、「昨年」「今年」「来年」と異なり、「年度」は誤解の余地が大きいのではないか。ある年の後半に「来年度」と言う場合、「来年」の4分の3は「来年度」だからほぼ同義だ。ややこしいのは1〜3月。「4月からのこと」と理屈では理解できても、「来年のこと」かと頭の中で一瞬立ち止まってしまわないだろうか。同じ日の紙面に来年度予算のほかに当年度の補正予算の記事などがあれば混乱してしまいそうだ。
司会 まず見出しの関係なのでセンター(見出し・扱いなどの編集担当)。
編集部長 当日の夕刊、朝刊のデスクに話を聞こうと思ったが、朝刊のほうはつかまらなかった。夕刊のデスクに聞いたので読み上げる。「どちらがわかりやすいかは感覚の問題なので人によって感じ方に違いがあると思う。テーマによっても違うだろう。経済指標関連については、『きょう』とか『あす』とかではなくて、数字にすべきだという意見を聞いたことがあるので、自分が番の時にはそのように指示しているが、それも統一されているわけではない。予算の場合どうするかについては聞いたことがない。方針を決めるならそのほうがいい」というのが、夕刊で「来年度」と付けたデスクの考えだ。
指摘の通り、1〜3月は確かにわかりにくいねと話す人もいるし、私も「新年度」がいいのか「来年度」がいいのかと言われるとどっちもどっちだなと思うが、かといって単純に数字にしてしまえばいいのか。せっかくここにも書いてもらったように「来年」「来月」「あす」と、読者にわかりやすいやり方もあるかもしれないのに、単純に数字にすればいいのか。この辺は少し話し合ってルール的なものができればやってみたい。読者にわかりやすくするために見出しを付けているので、本末転倒にならないように、デスクなどに意見を聞いてみたいと思っているところだ。
司会 出稿側の経済部はどうか。
経済部副部長 原稿ではあとから読み返した時にわかりやすいように数字でそろえている。見出しは指摘にもあるように「来年度」としたほうが感覚的にわかりやすいということもあると思うが、ばらばらというのはよくないので、そろえたほうがいい。そこは議論して決めていきたいと思う。
幹事 副部長はどちらがいいと思うか。
経済部副部長 「新年度」というのは原稿でも使わない。「来年度」か数字かだと思うが、「来年度」も違和感はない。ただ我々はいつも原稿は数字で書いているので、それとの整合性でいくと数字ということになる。どちらでもいいが、そろえたほうがいい。
幹事 紙面審でも私は、「『15年度』としてしまったほうがいい」と言ったが、「それは編集局が決める問題だから、検討を望むくらいにしとけば」ということになってこう指摘した。今後、検討してくれるということだが、やはりばらばらというのはよくないと思う。
編集部長 その日に頭に入っている人はあらかじめこれでいこうというふうに各面に指示して統一しているが、たまに素通りしてしまう。デスク会等で話をしてみたい。
司会 政治部はどうか。
政治部長 私は「今年度」「来年度」だと思う。14年度補正予算と言うと14年は終わっているので違和感がある。原稿は後のデータのために14年度と書くが、見出しは「今年度」「来年度」ではないかと思う。統一してもらえれば一番いい。
幹事 何か難しそうだ。
政治部長 予算案は普通は年末に決まるので「来年度予算案」で普通はいい。
幹事 今年は来年度予算と当年度の補正予算が同じ面に載っていたことがあった。見出しは15年度で矛盾はなかったが。
政治部長 例えば15年度末といったら16年3月のことなので「来年度末」のほうがすっきり入ってくる気がする。
司会 校閲はどうか。
校閲担当編集部長 数字で書いていれば間違いはないが、「今年度」「来年度」に翻訳する時に間違って大騒ぎになるという場面がよくあるので、校閲の立場からすると数字のほうがいい。ただし見出しだけ「今年度」「来年度」というのも一つの手かなという気がする。
幹事 検討をお願いする。
■大学教授の肩書に「大学院」は必要?
幹事 大学教員の肩書について「○○大大学院教授」という表記をよく見かける。以前よりも増えたという漠然とした印象を持っていたが、しばらく前、社内で「『○○大教授』でいいのではないか」という意見を聞き、なるほどと思った。大学教員はかつて学部に所属するのが普通だったが、近年は、組織改革によって全教員を大学院所属にする大学が多いのだという。形式的には大学院所属でも実際は学部で授業を持つ人が増えているということになる。だとすると、確かに肩書から「大学院」を省略した方が3文字減らすことができ、簡潔で分かりやすい。さらに社内を取材したところ、ある出稿部では、「○○大教授」を原則とし、本人が希望する場合に限り「○○大大学院□□研究科教授」などとフル表記するという運用をしたことがあるそうだ(教授の中には、「大学院教授」の方が偉いという認識の人もいるという)。妥当なやり方のように思えるが、どうだろうか。
司会 これもいろいろ意見があると思うので、各部に聞いてみたい。まず社会部。
社会部長 私は紙面審の指摘が正しいと思う。大学院といっても大学に属する教育研究機関なので、○○大学教授でいいと思う。ただ経験的に言うと、大学院でも特に法科大学院の教授は、○○大教授とされるのを望まないケースが多い。検事など法律家が務めることも多く、その専門性などから学部の教授とは違うという考えが強いようだ。同じようなケースもあるとみられ、こういった点は考慮すべきだと思うが、基本的には○○大学教授がいいと思う。
司会 経済部。
経済部副部長 私もそう思う。経済部も学者のコメントをよく使うが、原則として大学院は入れてなくて、○○大教授としている。学部の先生はだいたい大学院を兼ねる大学が多いので、両方やっているということで大学教授としている。ただ一部、法科大学院の話もあったが、学部とつながっていない公共政策大学院教授とか時々あるので、そこは本人に確認のうえ、学部の教授だったら大学教授にしていきたいと思う。
司会 生活報道部。
生活報道部長 当部は電話取材で本人の言い値でそのまま載せている。皆さんの言った通り短いほうがいいに決まっているが、一律にこちらの都合でバサッとやると、大学院というプライドを持っている人もいるので、やはり本人に確認したうえで切るところは切ったほうがいい。どうしても大学院を載せてくれという人はやむを得ないのではないかと思う。
司会 夕刊編集部。
夕刊編集部長 私も同じだが、肩書に大学院を使うようになったのは、いわゆる大学院重点化がきっかけ。つまり、制度上、大学院が「主」で学部が「従」になった。例えば、大学院の先生が学部でも教えるということだ。特に理系だと学部生より大学院生のほうが多かったりする。研究者として見ると研究は大学院のほうでやっているので、彼らの仕事の実態でいうと大学院がメインだという人がかなりいる。短いほうがいいが、特に医学部とか理系だと、大学院と書いてほしい人がいそうな感じがするので、決めつけずに確認してやればいいと思う。
幹事 その方向でお願いしたい。