怒られそうな記事を書きますよ。いいですか。
「仕事が丁寧な人」のめんどくささ
「仕事が丁寧」というのは、一般的に褒め言葉として使われますよね。このブログを読んでいる人のなかにも「仕事が丁寧」と評価されたことがあって、少なからず、それを誇りにしている人もいると思います。
が!「仕事が丁寧」というのは、必ずしも良いことではないと思うんですよ。
何かというと、たとえばぼくのところには、しばしば「超丁寧な講演依頼メッセージ」が来るんです。何かの冗談かスパムか詐欺かと思うのですが、時候の挨拶から始まって、ご丁寧に別途紙の依頼文まで届けてくれたりします。すごいな今時。
そこまではいいんですが、ときにそういう「丁寧な人」は、講演の段取りとかをしきりに確認してくるんですね。なぜ依頼したのか、ぼくがどんな話をするのか、この会は誰が来て、どういう意図があるのか、そして資料を確認したいから事前に送付してください…という具合で、講演前に細かい点を詰めようとしてくるんです。いやー、丁寧ですね。
うん、でも、なんというか、そこまでは不要なんですよ、ぼくの場合。事前に詰めておきたい気持ちはわかりますし、その方が失敗もしないんでしょうが…こちらは一応年間100回近く人前で話しているわけで、そんなに心配していただかなくても大丈夫です。
…と言いたくなります。というか、そういう風にやんわりと伝えます。
そんなわけで、丁寧な依頼文が来るとちょっと警戒するようにすらなりつつあります。大企業とかお役所は要注意ですね。
G-netの秋元さんのように、フェイスブックで「イケダさん、この日空いてます?あ、空いてる?じゃあ講演よろしく!詳細はあとで送りますわ!」という具合にフランクに頼んでくださる方がよっぽどスムーズで助かります(念のため、実際の文面はもっと丁寧です)。
積極的に「雑さ」を取り入れよう
一見「雑な」コミュニケーションからは、「その人が自分のことを信頼してくれている」ということも嗅ぎ取ることもできます。
逆にいうと、妙にやり取りが丁寧な人からは、「あぁ、この人はぼくのことを信頼してないんだろうなぁ…」という被害妄想を抱くこともあります。
そんなわけで、とかく仕事上の対人コミュニケーションにおいては、積極的に雑さを取り入れる、という考え方は大いにありだとぼくは思います。
だから、ぼくのメールは雑なんです。読んでいても返事をしないんです。わはは。すみません。ちゃんと読みます。
「常に丁寧な仕事をする」という態度の背景には、「不信」や「失敗への恐れ」があると指摘しておきましょう。その不信と恐れが、コミュニケーションの相手にストレスを与えている可能性があります。わずか2時間の講演で何度もメールをやり取りするとか、ストレスなんですよねぇ…。
リスクを犯そうが、ときには雑になった方がいいんです。ぼくのように、過度な丁寧さを嫌う人もいるわけですし。丁寧さを無条件の美徳と考えるのは、危ういと思いますね。