テロリストの定義はその主義主張ではなく、用いる手段です。直接関係のない一般民衆に暴力恐怖を与えることで政治目的を狙う人々はテロリストです。どんな立派な主義主張、どんな立派な宗教信仰を以てしても、テロリストです。
二人の日本人を殺害したテロリスト達は、まさに正真正銘のテロリストであり、戦後日本に対して初めて本当のテロを起こしました。しかも彼らは今後も世界で日本人を攻撃すると明言したのです。
ここ数年、中国でもテロがいくつもありました。日本のマスコミ、特に右翼マスコミは民間人を虐殺したこれらのテロ行為を、恰も中国政府の政策に反対する宗教や独立の動きとして報道してきました。
今回、テロリストが日本政府の政策を理由に無辜な日本市民を殺したのですから、少しテロリストの理不尽さが分かったでしょう。それから平和に抗議する市民達を「テロ」と呼ぶ政治家も少しその「テロ」という言葉の重みを知ったでしょう。
同じ漢字文化圏や儒教・仏教文化圏の中で口喧嘩を売ってもせいぜい口喧嘩で返されます。それでも二、三年もしないうちに指導者が顔を合わせざるを得ないのです。表情の作り方などの細かいことに文句を言いながら。
しかし、同じ軽いノリで異なる宗教を堅く信じる人々に口喧嘩を売ると人質が殺害され国民全体が攻撃対象にされてしまうことを、今回、安倍総理は分かったでしょう。
それよりも一番分かったことはお国の許可がないところに行った国民がテロ行為に遭っても「自己責任」という理由で彼らを見捨てる日本人の多さでした。それと二人が殺害された後、半旗を掲げる国々がたくさんありましたが、日本はそんなことをしないだけではなく、追悼の活動さえ見えてきません。
「断固非難」「絶対許しません」という無力な言葉を発されても、逃げているように見えてしまいます。遠吠えは猿でもできます。この世の中にはテロを認める人はいません。テロリスト達は自分の行為をテロではなく正義のための聖戦や抵抗だと解釈しているのです。
「日本人はみな優しい」。日本に旅行した中国人観光客は口を揃えます。実際に私もそう思います。しかし、今回の二人の殺害の際に見せた多くの日本人の、「自己責任」「勝手に行っただろう」という反応を真当たりにして私は悲しかったです。優しさとは何でしょうか。
「遊泳禁止」の看板があってもそれを無視して泳いで溺れそうな人が居ます。確かにいけません。でも人を救出する際にそんなことは考えません。懸命に救出してから説教するものです。罰してもいいのです。
しかし、結局、総理大臣が「テロに屈しません」とポーズを取っているうちに、そして国民の「自己責任」の嵐の中で、多くの時間とチャンスを無駄にし、二人の人質が見殺しにされたのです。世界屈指の大国日本の国民として皆さんはどう感じるでしょうか。
私が感じたのはいざという時の日本人の冷たさでした。日本の著名政治家と日本軍が満州に開拓民を見捨てて先に逃げた事実を思い出さざるを得ませんでした。
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見かけの優しさは単なる保身で、イジメが日本人の本質だと思っています。
今回のメルマガもいろいろと考えさせられるテーマだと感じます。
日本人は冷たい。
確かにそうかもしれません。
が、大々的に追悼集会を実施しないとか、自己責任と言っている人がテレビに出ているからと言って、一括りに「日本人は冷たい」と表現されるのは悲しいです。
それはいつもメルマガで仰られている日本のマスコミに報道される中国像と同じようなものではないでしょうか?少し一方的な表現のような気がします。
個人が多くに向かって意見を発する、自己主張するという雰囲気、習慣は日本で感じることはありません。
ただ、今回の件を痛ましく思い、憂慮している日本人は多いと私は信じています。
仰る通り自己責任だとか無関心だという日本人も多いと思います。
救った後の説教。それが出来ればどれほど良かったでしょうか?
行く前にどんな手を使ってでも止めればよかった。それが出来ればどれほど良かったでしょうか?
私にはご冥福をお祈りすることしかできません。
身近な人に、そういったことが起来た時にあがくことしかできません。
それは世界から見たら冷たい日本人という姿なのでしょうか・・・。
いつも率直なお考えでたくさんの教えをいただいて大変感謝しています。今回も中国と日本の違いについてとても深く勉強させていただきました。
中国人である宗さんがおっしゃるご意見はごもっともあると思います。私的見解として、国際的にみて正論であると思います。
しかし、湯川さんのお父さんが世に謝罪した姿は、幼少のころを日本で過ごしその文化が身に染み付いた日本人にしか理解できないと思います。
私たち日本人にも、日本文化に根ざした心があるということを心の片隅においていただけると幸いです。
「日本人は確かに優しい」という一方、「正義か悪か」という判断にはなぜか疎い。
本質を見て、何が正しく、何が悪いのか判断する力がないのか、そうした文化がそもそも育たないのかと悩むより、宋さんのような方からの指摘を真摯に受け止め、行動を変えることの方が価値的ですね。
宋さんのメルマガを拝見しました。
遊泳禁止区域で溺れてなくなる場合、自分の命以外に迷惑をかける範囲は、それほど大きくありません(比較して、です)。
しかし、
今回のように、他の自国民全員の身体生命、国家の存立、そのうえ他国の国家や国民の皆さんに、多大な迷惑をかける事例とは、同列では語れないと思います。
しかも、そのような危険が予見される、また政府からも警告されている地域に、それを振り切って「自分の意思」で行った場合は、自己責任論が適用されてしかるべきではないでしょうか。
危険が予見されない地域で誘拐されたとか、
仕事や公務で行かざるを得ない人が、誘拐されたのとは、意味が違うと思います。
私は、宋さんが言うような「日本人の冷たさ」ではなく、「日本人の危機意識の低さ」「自己防衛の意識の低さ」こそが問題である、と思います。
また、戦時中の棄民の事実は、「日本人」という括りではなく、政府や軍部といった一部の誤ったエリート意識・特権意識の組織の過ちではないでしょうか?
イラン・イラク戦争の時も、日本大使館が必死になって日本人全員の安全確保に動きました。
今でも大使館員は、その国に何かあっても脱出は最後になるはずです。
仲間は身を呈してでも守るという価値観を持つ日本人は多いと思います。
今回の件との違いは何でしょうね?
ただ、以前から言われていることですが、どのような事情があれ、日本国民が危険にさらされている場合、救出に行く007のようなAgencyが日本に居ないことが問題ではないでしょうか?
北朝鮮へ誘拐された方々も同じ話だと思います。
集団的自衛権などでもめることなく、日本人が困ったら政府が助ける状況を法律改正や体制整備をこの機会に行うべきと考えます。
とくに後藤さんは紛争弱者へ焦点を当てた活動をされてきた方で、これから先も活動してもらわなければならなかった方です。また、テロの悪辣さも十分に承知されていた筈ですから、単独で「イスラム国」の支配地域に行くこと自体を避けなければならなかったと思います。
「これから起こることの責任の全ては自分にある」と言われましたが、日本の国会運営が滞ることへの責任は個人で負えるものではありません。ヨルダンの人々の憎しみを増すキッカケを作ってしまったことへの責任も大き過ぎます。ですから、後藤さんは「イスラム国」へは行ってはならなかったのです。それを主張することが「冷たい」と指摘なされるのでしたら、単に半旗を掲げたり「I'm KENJI」とツィートすることには「うわべだけの迎合」と申し上げたい。
宋さんの言われるとおりだと思います。
今の政府、政治家も、いざというときには満州から我先に逃げ出した当時の日本軍と変わりないのかもしれませんね。
そうですか。日本も強力な軍隊が必要ですね。
憲法9条等を改正して、日本人救出ができるようにしましょう。「自己責任」と非難することと、それらの人々を救うことは別物です。救える人を救うことができるという前提が必要です。
救いに行けるなら、日本人は全力で救いますよ。自分の命も厭わずに。
救いに行けないのは、憲法改正に反対している反日勢力の妨害があるからでしょう。それらの勢力に賛同しているあなたも冷たい人ですね。
今回の人質事件は本当に寂しく怒りが収まらない事件でした。
宋さんの意見について、日本人の冷たさと満州開拓民を見捨てた軍人を一緒にするのは全くレベルの違う話だと言わざる負えません。
日本人は基本的に団体責任の意識を小学生から背負わされます。今回の件も政府がダメと言っているにもかかわらず渡航した結果団体に迷惑をかけた・・・との深層意識があるのだと思います。
満州の件は「自分さえよければ」と人間だれでも命の危険があるときに自己を優先する行動の表れです。日本人に限ったことではありません。中国人の方がさらに強く持つ感情でしょう!?
日本の教育を受けたことがなければわからないかもしれませんが、同じではないことを理解ください。
中国6年駐在の者より〜
。宋さんのコメントは納得できる点が多く普段は8−9割同意しながら読んできました。
ただ今日のコメントはいつもと視点・立ち居地が異なっていて、違和感を覚えた為、初めて投稿した
次第です。
感じた点は次の4点です。
1.中国におけるテロについて
日本のメディアが提供する情報がベースですが、テロというよりは理不尽な地方政府に対する最後の
抗議活動と認識しています。もともとは
地元の少数民族の土地でありながら、その土地・資源の開発により潤うのは漢民族だけで少数民族にはお金が回ってこない。
いわゆる格差の拡大がベースにあるところで地方政府・官憲の嫌がらせにより爆発してしまった。
ただ10−20年前はこういう事件は、漢民族の地方都市でもよく起こったような気がします。
漢民族同士だと民族間の争いとは言われないが、反抗した側が少数民族だと中国政府はテロと呼ぶ
日本を悪者扱いするのと同様、少数民族のテロをハイライトすることで政府に対する不満のガス抜きをしている。
(ただ私も香港と上海には住んでいたこともあるので、自分が住んでいた周りで少数民族に
対する差別があったと感じたことはなかったです。)
2.ISILは狂信者とそれに連なる運命共同体の集まりであって一般的なムスリムとは異なると思っていますが、
宋さんはそうではないのでしょうか。すべてのムスリムは多かれ少なかれ寛容的ではなく何をするかわかったものではないと
言ってる様な気がします。
3.冷たさと自己責任
これに関してはある程度同意します。
湯川さんは個人で軍事会社を立ち上げその箔をつけるためにシリアへ行った。
それを私は自己責任と呼び、冷たいことであることも(宋さんのコメントで)再認識しました。
その背景には、アメリカなどとは異なり日本の外務省は海外でトラブルにあった同胞人を助けたりしないから。
(パスポートをなくしたとかそんな軽い程度の助けしかしない)
何かあったら自分で何とかしないといけないと思っています。だから自己責任と言います。
ただそれでも政府が裏で救助工作をするのであればそれは評価します。
また犠牲になった身内にの方に、非難の言葉を向けるのは心無い、知性の低い輩で彼らが
日本の多数でない事を祈ります。
4.開拓民を見捨てた政治家・軍
冷たいのではなく、品性が卑劣・卑怯・自己中心的だと思います。
賄賂でどんどん太る中国の国営企業・政治家・地方役人と同じレベルでしょう。
そのとおり、日本人は冷たいのです。そしてそれがいざというときの強さにもなり、恐ろしさにもなります。
安倍首相が感じた恐怖と同様、宋さんも自分の(中国人の)価値基準で他国(日本)を批判することの愚かさと恐怖を感じていただければ幸いです。
宋さんのやられていることは(宋さんのいう)日本の右翼メディアが中国に対してやっていることと同じです。
おそらく宋さんのエントリーに共感される方も多いと思います。
当たり前ですがすべての日本人がそうではありません。
しかし、宋さんが”日本人の”と括られた集合を語るのであれば、確かに”日本人”は冷たく、それは”中国人”にも国民性があるように、”日本人”の国民性です。恥じることではありません。
宋さんが”中国人”であることを恥じることがないように。
考えてみて見てください、日本人同士、いや他人同士はいざとなったら冷たいもんです、世界中どこでも同じではないでしょうか?
あえて言えば、それでも本当に困っていると感じたら手を差し伸べるのも「日本人」です、でおあくまで自立を待つ。宋さん自身も共感できませんか?今回の件は、手の差し伸べようがないと思った「日本人」が多かったと思います。やっちゃいけないことをやってしまった、、、
満州の話は、なぜここで出てくるのか奇異に思います。なぜそこまで過去の話を何度もされるのか、宋さんの周りにいる人達、接する情報に影響されてませんか?
あと、発信しすぎかと思います。特にTwitter。あたりさわりのないことを書くのも必要かと思います。
まず、「どんな立派な主義主張、どんな立派な宗教信仰を以てしても、テロリストです。」と言っておきながら「同じ軽いノリで異なる宗教を堅く信じる人々に口喧嘩を売ると人質が殺害され国民全体が攻撃対象にされてしまう」とおっしゃっていますが、イスラム教を自分たちの都合のいいように解釈しているテロリストが、他人の発言を自分たちの都合の良いように捉えるのは当たり前で、言っている方は「軽いノリ」ではないと思いますが。テロリストがどう受け取るかまで配慮して日本の首脳陣は発言しろということですか?
あと「遊泳禁止」の例を出しておられますが、水の中に入れば助かるかもしれない状況と、今回の状況は全く違いますよ。宋さんの例えで言うなら、今回の例はそもそも消防や警察が入れず、軍隊ぐらいしかまともに行けないような場所ですよ。
「結局、総理大臣が「テロに屈しません」とポーズを取っているうちに、そして国民の「自己責任」の嵐の中で、多くの時間とチャンスを無駄にし、二人の人質が見殺しにされたのです。」とおっしゃいますが、自衛隊でも派遣しろということですか?
そして極めつけが「私が感じたのはいざという時の日本人の冷たさでした。日本の著名政治家と日本軍が満州に開拓民を見捨てて先に逃げた事実を思い出さざるを得ませんでした。」というコメントです。これ、宋さんは日中政府がもめている時に必ず言われますが、今回は政府が渡航を見合わせるよう、特に後藤さんには面会までして説得しているのに、本人がそれを振りきって行っているものをどうしろと?満州のように政府が後押しした例とは違うと思いますが。
このメッセージが全ての日本人に届いて欲しいです。
一番大切なものは何か、忘れないように、ブレないように、自分も含め一人ひとりが意識していたいと思います。
「助けたい」だけでは救助は出来ません。救助する能力が無ければ二重遭難です。今回の事例はまさにこれであり、高村正彦副総裁は「蛮勇」と評されましたがむしろ「無謀」とすべき所です。
無謀の結果たまたま成功した例も数多くありますが、好き好んで救出限界点を越えたのだから、手が出せなくて当然、それを冷酷と言われては確かに返す言葉はありませんが、私は「冷静」であると思っております。
義を見てせざるは勇無きなり、ですが、その結果、さらに自体を悪化させるならばそれは成すべきでは無かった、一時の感情で動くべきでは無かった、と言う事だと信じております。それを「冷酷な国民性」と言われるなら、それは確かにその通りでありましょう。ですが、結果がさらに悪化するよりは冷酷であるべきだと信じております。
初めて感想をメールさせていただきます。
今回の「2人は自己責任」だと考えている一人です。 それが、優しくないこととは、思ってもみませんでした。
今回の、評論も、「そんな見方があるのか」と良い意味で感じました。
ありがとうございます。
「軽いノリで異なる宗教を堅く信じる人々に口喧嘩を売ると人質が殺害され国民全体が攻撃対象にされてしまう」
・・・宗教の問題ではありません。イスラム教の人々が皆同様に非難しているではありませんか。
「「自己責任」という理由で彼らを見捨てる」
・・・そういう人たちも確かにいましたが、ほとんどは「ご本人たちにも責任はある」と言っているだけで、できれば助けてあげたいと思っていた人です。私もそうです。ネットでもそういう議論がされていたのに、そういうことは無視するのですか?
「日本人の、「自己責任」「勝手に行っただろう」という反応」
・・・数年前、北海道で猛吹雪の中、娘を守って凍死した父親がいました。宋さんはツイッターで、「私は北海道を良く知っている」とした上で、その父親を「やるべきことをやらなかった」といって非難しました。「近くの民家に助けを求め、空き家なら戸を壊してでも入るべき」という意見でしたが、助かった娘の証言で、その通りの行動を取ろうとしていたことが明らかになりました。
宋さんはこれについてどう思いますか?その場のことは本人たちしかわかりません。必死でやれることをやろうとしたはずだと思うのが普通ですが、その状況も把握せず、いきなり死んだ人を非難する・・そういう宋さんが日本人のことをとやかくいう資格があるでしょうか?
先日のツイッターでも、焼殺画像の転載に対する疑問に対して、「日本人は現実から目を背けるからいけない」として日本人批判に転じましたね。公開されているページの転載が悪いこととは思わないし、日本人に現実逃避の癖があることも確かですが、そういう場面・タイミングで言うべきことでしょうか。
どんな素材・情報でも安倍首相や日本(人)への悪口につなげてしまうというのは、宋さんもおっしゃっている「正当な批判」ではないと思います。もう少しご自身を客観的に見る努力をし、ご自身への批判にも耳を傾けてはどうでしょうか。
そういった面の無力感で非難をされるのに反論して保身するための口実としてマスコミも自己責任論をかざしているのではないでしょうか単純に自己責任と言い換えた責任逃れなんでしょうね、という私も何かできるかわからないですし、言っていることもわかります。 でも、この結末は予測できた結末です。 次にすることを考える以外になにかありますか?追悼すれば命が還るのでしょうか、政治に期待できない現状でできることを考えているのだと思います。
大学生になり、初めて「本土」から来た学生と接する中で、「日本人でいやな人ばかりじゃないんだ」を思いました。
東京で働き、「みんな同じだ。」と感じていました。
でも、外国人の夫は酔うと「日本人は冷たい」と私を責めました。
今回、周りの同僚の「自己責任」という反応に驚きました。
やはり、いざというときは冷たいのですか?
多くはそうでは無いと信じたいのですが、やっぱりという気持ちもあります。
What do you say connotations people in Japan have?
支離滅裂になっていますが、ご了承ください。
遠くの戦争は遠くの出来事ですし、そこで罪のない人々が殺されても、遠いのです。
生活保護バッシングも同じところにあったと思います。不正受給には怒っても、現実に生活保護でどうにか暮らしている人に対しては想像力がはたらきません。
死刑制度についても、遺族の感情を代理しようとしますが、加害者にも家族がいるということには想像力がはたらきません。
日本は1945年以降、戦争には参加しませんでした。しかし、経済成長のきっかけは、朝鮮戦争でした。そうした悲劇が一方で日本に繁栄をもたらしていることに、想像力がはたらきません。
こんなこと、いくらでも出てきます。日本人は、日本以外の世界、自分以外の価値観、さまざまな環境が存在しているということについて、もっと想像力をはたらかせるべきだと思うし、そうしたトレーニングが必要だと思います。
想像力の欠如した道徳教育なんかよりも、よほど必要です。
もっとも、総理大臣からして、こうした想像力がまったく欠如しているので、何とも困ったものなのですが。
しかし、日本人はこれらのことを身近な問題と考えていないようです。2001年頃には、パレスチナ自治区のベツレヘムの生誕教会でイスラエル軍とパレスチナ人が撃ち合いをしているさなかにここへ近づいた日本人カップルがいた報道がありました。今回の事件も、”私に限っては死ぬことは無い”という根拠の無い信念のような物が有ったのではないかと思います。大変残念ですが。
問題行動をすれば、情け容赦なく射殺してしまう中国のような国にいれば、日本人ももっと行動を自制するようになると思いますが、それはそれで大変ですね。
いざと言う時には、日本人は冷たいと言うことは、私も常日頃思っています。しかし、それはどこの国でもそうでしょうが、ごく一部には親切な人もいるものだと思います。大震災の後の行動などを見るとそう思いたいですね。
宋さん、ありがとうございます。
そういう耳の痛い意見は大変貴重です。
我々は戦後初めて、
敵を得たのだと感じます。
このような視点があるとは思いませんでしたので、とても新鮮でした。
よーく考えてみたいと思います。・・・「優しさ」とは・・・何なのかを!
また、長ーい歴史観の中で、このような感想を抱く方が居ることも!
日本人の持つ「優しさ」とは、本当にそんなにも脆く儚い優しさでしか
ないのか?と
それとも、「名誉を重んじて腹を切る」事を、「名誉を重んじて、喩え主人
と戦い殺した武将であっても、家に匿う」事を、よしとする考え方と同じ
様に、その心の奥底は、非常に分かり難い複雑なものなのか?と
かく言う筆者は、こう思っておりました。
⇒ 後藤さんは、ISに殺されるのではなく、自ら腹を切って欲しい!と
その際、全世界に向かって、「このような空しい戦いがなくなることを願う!」との人生最後のコメントを言い残して!
直ぐには答えを出せませんが、直感的には、貴殿が述べているほど単純なものではない! のではないか?と思っております。
今回の件は非常に衝撃的でした。
私も、今回の自己責任論はあまりにも
無責任だと思います。
宋さんのおっしゃっている事、批判している事
それらを真摯に受け止め、検証して行かなければならなならないと思っています。
それができなければ、日本は国際的な争いに巻き込まれ
尊い命を奪い、うばわれてしまうかもしれません。
日本のマスコミも完全に萎縮しているか
あらぬ方向に行っています。
そして大多数の情報難民。
宗さん、
いくら首相が颯爽としていても、
悲しいかな、日本は属国なんです。
外圧に弱い。
けれども最後の歯止めをかけてくれたのが
憲法です。
今まではそれでなんとか生き抜いてきました。
日本人はそれを自覚すべきだと思います。
今や完全に無力感に打ちのめされています。
日本人を表現するのは
やや不適切ではないでしょうか。
日本人は○○と言うためには
偏りなく、代表的な日本人と触れ合う必要があると思います。(現実的には無理ですね)
私は、日本人を優しいとも冷たいとも思いません。
正確には、そう言い切れないだけの話ですが。
と言われますが、多くの日本人は(少なくとも私の家族を含む周囲の人たちは)二人の日本人、その家族の痛みを我が事の様に共有し、心情的に負担して来ました。
更に我が国の政府が多くの時間とチャンスを無駄にした、とありますが、報道で見る限り政府は
多くの制約の中で全力で救出の為の努力を惜しまなかったと評価しています。
多くの時間とチャンスを無駄にした、とはどういう事態を以ってそう言われるのでしょうか?
宋さんが言われている日本人が、全員そのような国民でないことは宋さんが良く解っていることだと思います。
ただ、日本を批判する前に、まずは自国(中国)のことを冷静に見て、世界常識から外れた行動をとっているのはどちらなのか述べるべきではないでしょうか。
そうでなければ、自分のことは棚に上げ、他人を批判する恥ずかしい大人と大差ありません。
同じことを中国で言えますか?言論の自由のない中国では不可能だと推察します。
中国政府から目をつけられる怖さは解りますが、宋さんは森を見て木を見ることができる方だと思っています。宋さんの一ファンとしては今回の書き込みは残念でなりません。
「熱く」行動しても、「冷やな目線」をあびるだけで、結局なにも変わらない、と諦めています。
日本人にある意味、普通のことなので、宋さんの指摘は痛いですね。
日本人は個人よりも全体および組織の調和と利益というか「空気を読むこと」を重んじます。
その為には理不尽な犠牲者も「残念だけど、やむなし」とします。
1990年代に流行った「リストラ」と同じです。能力は高いのに所属した部署が悪くて会社を退職を余儀なくされた方が多数いるのを見て、組織に自分の人生を委ねる虚しさを痛烈に感じたのを覚えております。
特攻隊を送り出したのも、同じ文化かもしれません。
「ここがヘンだよ〜」で指摘されているのと根っこは一緒かもしれませんね。
せめて、自分の周りだけでも温かい職場と作りたいと思っております。
しかし、二人の死に対する日本人の冷淡さへの批判には、違和感を感じました。
たしかに、テレビでの政府よりのコメンテーターの自己責任論には腹立ちを感じます。政府としてなすべき最善の手段を講ぜずに、最悪の結果をもたらした政府へは腹立ちを覚えます。
しかし、二人は死を覚悟して出かけたのだと思います。その二人のために国民全体が過重な責任を負い、テロリストに屈するべきではないと思います。
ジャーナリストには、その本来の使命があります。命を懸けても伝えるべきことがあります。その間には今回のようなリスクもあります。日本人として誇りにしていい行為です。
そうした人を救えなかった、極端にいえば見殺しにしてしまったことは残念ですが、しかしできることは限られています。
テロリストに無制限の譲歩はできません。
自己責任論で二人を批判する人も右翼系の人の中にはいるでしょうが、大部分の日本人は悲しみを感じています。
中国では、日本人の冷淡さが批判されているそうですが、日本には様々な意見や考えがあります。
今回の事件へのマスコミ報道の一部分を見て、即、日本人の冷淡さを指摘するのは、少し皮相的な見方なのではないでしょうか。
それより阿部首相の外交に仕方に腹が立ちます。
私も宋さんの意見に同感です。今回の人質事件は単に亡くなられた2人の個人の全くの個人的行動なのか、疑問が残ります。特に後藤さんが単独で湯川さんを救出に出向いたとはとても思えません。そんな生易しい話ではないことを、後藤さん自身が最も知っていたのではないでしょうか。国民には知らされていないことがあるのだと思います。
私の周囲の人々も、危険地域に進んで行った人に税金を使ってほしくないとか、後藤さんは助けてほしいけど湯川さんはどうでもいいとか、同胞がテロによって命の危険にさらされていることに対する感受性が私とかなり違う発言をすることに愕然とし、暗い気持ちで過ごしています。
宋さんが遊泳禁止区域で泳いでいる人の救助という例を使っていますが、私は違和感はありません。物事の本質を簡単な例に例えてお話されているのであって、おっしゃりたいことは、どんな状況であれ、人の命は大切だから、助けようとするのが人道的に当たり前だということではないでしょうか。
お二人を助ける方法は本当になかったのでしょうか?昨年の11月からの2か月間、政府は本気で交渉したのでしょうか? 「テロには屈しない」「テロは許さない」という空疎な言葉だけを発し、本気で邦人の命を助ける方策を探さなかったように見える政府の言い分をそのまま受け入れているような国民であれば、冷たいと言われても仕方ないと思います。
ご無沙汰しています。
確かになるほどです。
但し、戦前の大日本帝国政府が、満州国に開拓民を置き去りにしたことは、今回の数千倍も酷いことです。
今回の2人は、危険を承知で出かけたことですから。湯川さんはともかく、後藤さんはプロのジャーナリストですから。
気の毒な結果ですが。
日本政府が何故誘拐されていることを国民に隠していたのかは、不明ですが、おかしなことの一つですね…!
三菱重工のトップが細工してたんでね。今回も
三菱重工は踊ってると思いますよ。
違った視点からの意見、参考になります。
残念ながら宋さんとは意見が異なります。私も自己責任だからしょうがない派になります。今回日本政府は二者択一を迫られました。身代金を支払うか否かです。身代金を支払っていたら国際社会からテロに屈したと非難されていたでしょう。また、帰国した人質の方もマスコミから自己責任を追及されて非難されていたでしょう。今回政府は身代金を払いませんでした。テロに屈しませんでしたが、対応に問題があった、殺害の引き金を引いた、冷たい等と非難されます。一番悪いのはテロリストだというのに対応する側に問題があったような言い方をされています。結局今回の事件は誰がどんな対応をしてもマスコミや野党からの非難は避けられなかったと思います。そのようなことを考えると外務省が退避勧告を出している国に出かけていくのは自己責任ではないかと考えざるを得ないのです。人質にならなければ事件そのものはおこらなかったのですから誰からも批判されることはないでしょう。
優しい方が急に冷たく感じることはどんな時かな?を考えさる内容でした。 今年の流行語大賞に「IAM KENJI」が選ばれるのでしょうか?
コメントを書いているのは大半日本の方と思いますが、外国の方が見た感想はどうなるのか?
私としては、なぜ「自己責任」で片付けてはいけないのかがわかりません。
死ぬまでの経緯が、海外のテロ組織に捕まり、人質となり殺されたという注目すべき事柄であったというだけで、「死」という結果はとても普遍的なことです。
「優しさ」を彼らに向けるのであれば、それは他の事故や病気で亡くなった方々にも同じように向けられるべきではないでしょうか?
一見冷たく見えるかもしれませんが、誰に対しても平等なスタンスを取っているということなのだと思います。
行ってはいけないというルールを、どんな理由があるにせよ破ったことが許せないし同情できません。
ルールは破るためにある、と考える外国人の方には理解し難いかもしれませんが…
では、今回の人質惨殺事件においては、即身代金を払ったり、人質交換を要求された囚人を監禁している他国に対して経済制裁やその他の手段で圧力をかけ(日本はできないがミサイルでも打ち込んで)囚人を解放させるべきだったのですか? テロを増長させるような行為をしろとおっしゃるのですか?
日本が平和ボケしているというのは、ある程度は認めなければならない事実ですが、自国民を守るために防衛を強化しようとすると非難の狼煙をあげるのは一体誰ですか?
自己責任は大事です。後藤さんもイスラム国に入る前にそう言った主旨のビデオを残されていますよね。 でも、だから死んでしまえとは私は思わなかった。
今回もそうですが、遊泳禁止の例はひどいでしょ。確かに仰ることはその通りだけど、今回の事例で言えば、遊泳禁止エリアに入るなと再三止めたにも関わらず、その手を振り切って入っていった子供を河童が捕まえて、200億円払わないとこの子供をおぼれさせるぞ、と言っているわけで、宋さん御自身も含め、一体何人の中国人の皆さんが、中国人を例に引くのが宜しくないと言うなら、一体何人のアメリカ人やフランス人が200億払えというのでしょうか?ってことだと思うんだけど?
いつも『なるほど』『う〜ん』と思いながら読ませて貰っていましたが、今回は不愉快極まりない内容でした。
残念であると共に腹ただしい。
身の代金を出せばよかったのか?
武装蜂起で、より大きな剣で平らげればよかったのか?
どれもが、正解であり、間違いです。
そして、自己責任という言葉が、あまりにも軽々しく使われだしているのは確か。
使う側にどの程度の重さで使っているのか、これは人それぞれです。
半旗や哀悼を言にする、以外のやりかたもある。
後藤氏が命を賭して、成したかったことは何なのか。
この事に真摯に、非暴力、非報復の精神で応えようとしている人がいることも忘れないで欲しいです。
ましてや国内にいながらにして朝鮮人に拉致された拉致被害者と違い、今回は危険を分かりながらも自らの使命を果たすべく渡航した二人ですので、同一視はできません。
テロには屈さない。国際社会と共存を図る国家として当然の判断をしたまでであり、「日本人が冷たい」といったご意見は、一部の赤いメディアが国家転覆を図ることと同じであり、あまりに偏ったものの見方です。
同調しているのも支那人や朝鮮人ばかりではないでしょうか。