森田直樹(もりたなおき)
住所:広島県三原市中之町3
呉市、尾道市、三原市、竹原市の
各小学校の教諭を歴任。
学校内で教え子(小学生)を強姦。
2008年5月27日付懲戒免職。
産経ニュース
広島県の小学校内で教え子に乱暴したなどとして、強制わいせつや強姦(ごうかん)などの罪に問われた元教諭、森田直樹被告(43)が「教諭になってから、27人にわいせつ行為をした」と供述していることが29日、分かった。
同日開かれた公判で広島地裁(奥田哲也裁判長)が供述調書を証拠採用。森田被告はこの日、女児3人への児童福祉法違反の罪で追起訴された件についても「間違いありません」と事実を認めた。
起訴状によると、森田被告は教諭だった平成14年9月〜15年2月までの間、13回にわたり、3人に体を触らせるなどのわいせつ行為をさせたとされる。起訴されたわいせつ行為は、これで女児10人への計95回分となった。
昨年9月の公判では「100回死刑になっても許せない」とする被害者の母親の供述調書が採用された。
教え子の多数の女児に性的暴行を繰り返していたなどとして、強姦(ごうかん)、同未遂、強制わいせつ、児童福祉法違反の罪に問われた広島県三原市中之町3
丁目、元小学校教諭森田直樹被告(43)=懲戒免職=の判決が14日、広島地裁であり、奥田哲也裁判長は求刑通り懲役30年を言い渡した。
森田被告は、01年11月〜06年7月の間、勤務先の小学校舎内や自家用車内で、教え子の女児計10人に対し、性的暴行を加えたり、女児に服を脱がせ、
その様子をビデオカメラで撮影したりするなどのわいせつ行為を繰り返したとして、強姦罪46件▽強姦未遂罪11件▽強制わいせつ罪13件▽児童福祉法違反
罪13件で起訴された。
検察側はこれまでの公判で、森田被告は女児に、行為を口外すれば「勉強やスポーツを教えない」「写真をばらまく」などと脅迫したと指摘した。さらに、行
動を不審に思った校長や市教委から指導を受けた後も、犯行を繰り返した点を挙げ、再犯可能性の高さも主張。「教師という立場を最大限利用した前代未聞の犯行」として、各罪の併合罪で最高刑に当たる懲役30年を求刑していた。
公判ではこのほか、森田被告が検察の調べに「教諭になってから27人の女児にわいせつな行為をした」と供述したことや、被害女児の母親の意見陳述で、女児が事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、リストカットするようになった被害状況も明らかにされた。
弁護側は、被告は反省し、懲戒免職になるなど社会的制裁も受けているとして、刑の軽減を求めていた。
2009年9月14日15時8分
朝日新聞
2009年9月15日18時31分 asahi.com
六月三日、広島県竹原市の小学校教諭・森田直樹(42)が前任地で教え子の女児を強姦した容疑で再逮捕された。
「すでに五月中旬、四年前の強制わいせつ容疑で逮捕されていたが、その後、複数の女児にわいせつ行為を行ったことを認めました。被害女児は十数人。家宅捜索では、自宅のパソコンから、女児の裸を写した画像が多数出てきました」(地元紙記者)
森田は妻の実家で、妻の両親と小学生の子どもと暮していた。地元では知られた「教育者一家だった」
「奥さんは中学教師、その両親も教師です。義父は小学校校長を務め、人権運動にも熱心に参加している。森田さんはふだんは愛想がよく、息子さんと公園でキャッチボールをしたり、一緒にジョギングをする姿を見かけましたが…」(近隣住民)
しかし、森田は内と外で違った顔を見せていた。十五年ほど前、尾道市内の小学校に勤めていた頃、すでに父兄から不信感を抱かれていたのだ。
「森田先生に関する”噂”は当時からあった。先生はバレーボールークラブの指導をしていたのですが、気に入った女の子にだけジュースをあげるなど、ひいきが目立っていた。週末に自分の車に乗せて連れまわしていたのも目撃されている」
数年前、森田のクラスにいた中学生はこう話す。「モリタは授業中、いつの間にかデジカメで私たちの写真をよく撮っていました。他の先生ではあり得ません。
ひいきの女子にはベッタリ。休み時間に、膝の上に座らせて、背中から覗き込むように話しかけてました」
森田と女子との距離感は、どもの心にも”何か”を感じさせ、それは〈モリタと○○が車の中でキスしてた!〉と噂されるまでになった。そして二年前、ある騒動に発展したという。
「『モリタがワイセツで捕まった!』と噂が駆け巡ったんです。あの先生ならもしかして、とみんな思いました。僕の中学では、校長先生が全校朝会で『森田先生は竹原市でちゃんと仕事をしていますから、騒がないように』とわざわざ噂を否定した」(別の生徒)
過去に上がった声の数々。それらが犯行に気づく糸口にはなかったのか。(週刊文春 - 2008年6月19日)
2chよりコピペ(出自不明):
これまでの調べによると森田被告は、小学校舎内のパソコンルームや自家用車内において、
教え子の女児の服を脱がせるなどし、その様子をビデオカメラで撮影。
ある時には、1人の女児に校舎内で性的暴行を加えるだけでは満足せず、
その約10分後にはまた別の女児に対し性的暴行を加え、性行為の様子をビデオ撮影したこともあったという。
ある日、校長が森田被告と女児が密室に2人きりでいるところを発見され、注意されたことがあった。
しかし、森田被告はその12日後にまた犯行に及んだという。
気に入った女児を選別し注意深く観察し、膝などに乗せ反応を見ていたという森田被告。
反応を見定めながら徐々に胸などを触るなどし、できるだけ拒否や嫌がったりしない女児を選別していったという。
小学校の校舎内で犯行する際はパソコンルームなどの人目につかない場所を選び女児を暴行したという。
その際には予めカメラ、履き替え用の下着、潤滑油ジェル、性行為用のマットなどを用意し犯行に及んだという。
時には恐怖を感じ泣き叫んだ女児に対しても、同様に暴行した。
暴行中には、女児に対し自らを「先生」と呼ばせ、ローターなどの性的玩具も使用されていたことがわかっている。
学校外においても遊園地に自家用車で女児を連れ出し、その車中で性的暴行に及ぶこともあった。
昨年の公判では、「大人の男性が怖くなった。シャッター音を聞くと涙が出る」との被害女児の供述調書や、
「100回死刑になっても許せない」「消えない傷を負わされ、子どもの一生はめちゃくちゃになった。
(服役後に社会復帰するなら)被害者を傷つけた手を切り落として出てこい」とする
被害者の母親の供述調書が採用されている。
教師の父親と、クリーニング屋を営む母親との間に、3人兄弟の次男として生まれた森田直樹は
広島県尾道市内で幼少時を過ごす。
公立小学校時代を振り返り、どんくさいと言われ周囲から浮いた存在だったと森田は話したという。
小学校を卒業後、教育委員会の考え方に疑問を抱いた父親の意向に従い、
岡山県内にある私立の中高一貫校に入学する。兄と弟もこの学校に入学している。
卒業後、バレーボール部の顧問に憧れ、教育者になろうと国立大学の教育学部に入る。
このころから女児の性器に興味を抱き始めたされ、女児の局部が写ったポルノ写真集などを収集し始める。
その収集癖は結婚後も続けられたという。
大学在学中に中学教師の道もあったが小学校の教員を目指すことに。
しかしその理由として本人曰く、 あくまで中学校より小学校のほうが楽しかったから という自身の経験から選択したという。
だが森田被告は警察に対し「大学在学中から、何十人もの小学生と関係を持っていた。
飽きたら知り合いに紹介したりして金に換えていた。
小学生は純粋なので、デートに誘い出しておいて、連れ去った上で 暴行すれば 親にも言わないし、
仮にばれたとしてもビデオを使って口止めできたので問題なかった」とも供述している。
国立大学を卒業後、小学校教員に採用され同じく教師(中学)の妻と結婚、子供を設ける。
ふだんから愛想がよく、息子と公園でキャッチボールをしたり一緒にジョギングをする姿を度々見たと近所の住人は語った。
結婚した妻の両親も校長を務めるなどした元教師だという。
義父は人権運動にも熱心に参加していたという。
今日の論告求刑公判で、その妻から先日離婚届が送られてきたことを明らかになった。受理はまだしていないという。