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【プロ野球】

あの加藤哲郎 雀士になっていた 元近鉄ビッグマウス

2015年2月6日 紙面から

麻雀は「野球の考え方と同じ」と加藤さん=大阪市北区で(横田信哉撮影)

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 1989年に近鉄3連勝の後、巨人4連勝で幕を閉じたプロ野球の日本シリーズ。第3戦直後のインタビューにまつわるエピソードが今でも野球ファンの語り草になっている。「巨人はロッテより弱い」。その試合に先発して勝利投手となった加藤哲郎さん(50)が言ったと報じられ、新聞各紙に躍った見出しが近鉄圧勝の流れを変えたと言われる。その加藤さんが今、大阪で競技麻雀(マージャン)の打ち手になっている。ボールをなぜ牌(パイ)に持ち替えたのか、あの日本シリーズの発言の真相は−。(若原隆宏)

 大阪市営地下鉄谷町線「谷町4丁目」から徒歩2分。大阪市中心部、官庁街の真ん中に立つビルの3階にある「天満橋会館大阪谷町校」が加藤さんの今の職場だ。「賭けない。(酒を)飲まない。(たばこを)吸わない」と、健全な競技を掲げる「健康麻雀」の道場。原則、月曜日を除く週6日、加藤さんは講師として、訪れる麻雀ファンと卓を囲み、実戦を通して戦術を教える。

 「もともとプロ野球の現役時代から麻雀はよく打ってました。コーチが選手に冗談まじりに勧めたりしてね。ドラ1(ドラフト1位)入団で伸び悩んでいたピッチャーに『麻雀せよ』って。半分以上、本気だったな。バッテリーと打者の駆け引きに通じるところがあるんです」

 頭脳派投手だった。近鉄がリーグ優勝した1989年5月9日の日本ハム戦(東京ドーム)。加藤さんは6−6の同点、9回2死から4番手としてマウンドに立つ。延長戦に突入したが、すでに時間切れが決定。近鉄の勝ちがなくなった10回だった。2死一、二塁のピンチを招き打者・五十嵐信に対してカウントは2−2。当時は東京ドームオープン2年目。パ・リーグではかなり多い3万8000人がスタンドを埋めていた。

 「フルカウントにしたらオレの負け。この1球が勝負になる。(五十嵐信は)打ったら、この大観衆の前でヒーローだから、緊張しとるやろうなあ…」

 130キロそこそこの緩い直球をなんと、ど真ん中へ。タイミングを外されたと思っても、変化球ほど緩くはない。完全に裏をかかれて五十嵐信は金縛りのように動けず、ボールは目の前を素通りする。見逃し三振。引き分けで切り抜けた。

 周囲もそんな加藤さんの頭脳を認めていた。日向キャンプを訪れた達川光男さん(現中日チーフバッテリーコーチ)からの言葉が加藤さんにとって「生涯最高の褒め言葉」だという。トレーニング室で野茂英雄さんと居合わせたところ、達川さんが2人を呼んだ。「加藤、こいつ(野茂)にピッチング教えたってくれ。おまえの頭とこいつの球があったら、年に30勝てる」。

 理知的に投げるから、試合後も理路整然と振る舞う。それをうまく使われたのが、あの日本シリーズ第3戦だった。先発して6イニング1/3をゼロ封。試合後の囲み取材で振られたのは「巨人はパ・リーグと比べてどうですか。例えば(その年最下位の)ロッテと比べて、どう?」という質問だった。

 当時のパ・リーグは西武1強の時代。加藤さんは「打倒西武を掲げたうえでオリックスなどとも、しのぎを削る。リーグ戦を勝ち抜くのでいっぱいいっぱいだったし、パ・リーグの一員としての連帯感もあった」という。そこで「ロッテは一発もあるし、弱いと思ったことはない」と答えた。それとは別に「巨人はピッチャーがええなあ。でも打線はあかん。ホームラン打たへんし」と評した。この2つが勝手に合わさって「巨人はロッテより弱い」にされた。当時の中日スポーツは、この日の加藤さんの試合後談を「この程度のところに負けたら西武、オリックスに申し訳ない」と伝えている。

 95年、ダイエーで現役を引退してからは野球解説者、俳優、飲食店経営などを経験。現役時代から評判だった麻雀の腕を買われ、雑誌主催の麻雀著名人大会にもしばしば呼ばれていた。縁もあって、知人から天満橋会館を紹介されたのが2011年。「相手が何をいやがるか。自分だけでなく局面全体で何が損得か。俯瞰(ふかん)できるかどうかが、野球の考え方と同じ」。麻雀の競技哲学はマウンド上の考え方を引き継いでいる。昨年は国内最大規模のタイトル「最強戦」で予選の1つ「著名人代表決定戦風神編」に出場。俳優の萩原聖人に敗れて予選突破とはならなかったが堂々の2位。存在感を示した。

 麻雀の競技者として今、自分の目指すところを加藤さんはこう語る。「自分はプロ野球で通算17勝。でもファンの間では89年の優勝メンバーで2番目とか3番目に挙げてもらえる。同じように、インパクトのある、おもしろい対局をして、覚えてもらいたい。今の仕事はファンとの距離がものすごく近い。昨年の最強戦は負けたけど、お客さんから『カッコよかった』『スゴイね』と言ってもらえた。やるからには日本一と言えるタイトルをとりたいですね」。四半世紀前、すんでの所で届かなかった「日本一」を別の世界で追い続けていく。

 

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