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 先週に引き続いてシリアで起こった人質殺害事件について書く。

 事件自体は、いわゆる「イスラム国」(←以下、単に「ISIL」と表記します)に拘束されていた日本人(湯浅春菜氏と後藤健二氏)のどちらも殺害されるという、非常に痛ましい形で一段落している。

 どうしてこういう事件が起こったのかについては、まだわからないことが多い。
 というよりも、この種の、常識から隔絶した出来事は、われわれのような平和な世界で暮らす人間には、どう頑張ってみたところで、完全には理解できないものなのかもしれない。

 事件勃発後の政府の対応が適切だったのかどうかについても、現時点では判断できない部分が大きい。
 なので、このテキストでは、それらの点には触れない。

 念のために書いておくが、私は
「事件に関連して政権批判をすることは、結果としてテロリストを利することになる」
 という、事件発生以来繰り返し言われているお話には、半分程度しか同意していない。

 特に、人質の生命が既に失われてしまった今となっては、政府の態度を批判的に検証する態度が、そのままテロリストを擁護することにはつながらなくなったと考えている。
 テロリズムを憎み、彼らの手法を否定し、その考え方を非難攻撃することと、日本政府の交渉術や外交方針を批判的に検証する作業は、十分に両立する。当然だ。現状は、一方を批判することが、必ずもう一方を利することになるという単純なゼロサムの状況ではない。

 もうひとつ言っておけば、私は、
「テロリズムが生まれた背景について考えることがテロリストたちを利することになる」
 という考え方にも与さない。
 「理解」することと「共感」することは、別だ。「支持」や「応援」は、さらにかけ離れている。

 ISILがテロリズムという手段を採用するに至った事情を「理解」し、その背景にあるものを「解明」しようとすることは、彼らの手法や思想に「共鳴」することとはまったく別の話だ。
 いま起こっていることをあるがままに理解し、これから先にやってくるかもしれない事態に適切に対応するためには、現今の状況を正確に「把握」「分析」しなければならない。

 テロリズムに目を向けず、耳を傾けず、ただただ非難と罵倒を繰り返すだけが国民としての正しい態度だというわけではない。

 とはいうものの、先ほど申し上げた通り、当稿では政府の対応を論評することはしない。
 テロリズムを利することを避けたいからではない。
 単に、判断するための材料が乏しいからだ。

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