2012/1/18
「WACL」
マー君は信じる 新たな時がめぐる 凛として旅立つ 一朶の雲をめ〜ざ〜し〜♪
ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほどに ボクらは強さを掴むから 夢をみる
凛として旅立つ 一朶の雲を目〜指し〜
マー君とスー君で歩んだ あの日の道を探す
主人の祈りが 心をつないでゆく
空に 手を広げ ふりそそぐ光あつめて
友に 届けと放てば 夢叶う
はてなき想いを 明日の風に乗せて
ボクらは信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲をめ〜ざ〜し〜〜〜♪
下田市白浜の山荘で。
目の前の家に猫が3匹いるのでその動向を常に観察しときに吠えて相手を牽制する。野生の猿も時々やってくるが「猛犬に注意」の看板をみて即退却。
マッサージチェアに座布団を敷いた場所がスー君の憩いの場。主人注:ここの山荘は夏は暑く冬は寒いのです。でも昔のトタン屋根はよかったね。雨が降ると雨の一大交響曲が聞こえるから。
小さい頃のマー君とスー君。マー君はことし7月23日で3歳,スー君は8月で3歳になります。ワンちゃんはあっというまに一生を終えてしまいますからね。毎日精一杯遊びましょう。いや,遊んでね。
ちょっと,マー君....そこは主人の布団の上なんですがね?
マー君リラックスの瞬間?
みんなマー君とスー君みたいに仲良くね!
世界勝共連合:犯罪の国際主義(レッ・ボルテール:全訳)
拙稿:CIAの創ったビン・ラディン参照
(管理人注:)『先日、フィナンシャルタイムズで気になった記事がありました。 それは「世界統一政府」の構想に関する記事でした。フィナンシャルタイムズといえば、世界の金融経済情報メディアとして名門のところです。 金融界、政財界とも強固なネットワークを持ち(それが情報力の源でもあるが)、それらの御用メディアとも言えるフィナンシャルタイムズが、なぜこのタイミングで「世界統一政府」について触れたのか関心を持ちました。
【和訳概要】
私は、米国の覇権の後を継ぐという国連の秘密の計画の存在をこれまで信じてきたことはなかった。モンタナ上空で滞空している真っ黒なヘリコプターを見たこともなかった。しかし、私の人生で初めて、ある種の世界政府の成立がもっともらしいことだと考えるようになったのだ。
世界統一政府とは、国家間の協調連携などを遙かに超えたものである。法律に基づき、州のような性質を持った存在になるだろう。EUはすでに27カ国からなる大陸政府であり、これは一種の参考になるだろう。EUは最高裁判所、通貨、何千ページもの法律、大規模な官僚機構、そして軍隊を保有している。
もしEUモデルが世界規模に展開されるとしたら? そうした自体が起こりうると考えるに至る3つの理由がある。
第一に、各国政府が直面する中でもっとも困難な問題は、本来国際的問題だと言うことが、次第に明らかになっていることだ。すなわち、地球温暖化、世界金融危機、そして世界規模のテロ戦争である。
第二に、それは起こりうるということだ。輸送と通信の革命的進歩は、世界を小さくした。そして、著名なオーストラリアの歴史家であるジオフェレイ・ブレイニーが「人類の歴史において初めて、今や世界政府は実現可能なものとなっている」と記した。ブレイニー氏は、次の2世紀以内のある時点で、世界統一政府を作ろうとする試みがなされるであろうと予見している。その見解は、通常の新聞コラムにしては、あまりにも長期的な展望である。
第三に、政治的な空気の変化は、「世界統治体制は、これまで考えていた以上に早く訪れる可能性がある」ということを示唆している。金融危機と気候変動は、各国政府を世界的な解決の模索へ仕向けている。中国や米国といった伝統的に国家主権を守るためなら手段を選ばない国家でさえ、世界的な解決へのアプローチを取らざるを得ないようになっているのだ。
ブッシュ政権が国際合意や条約に対して軽蔑的であるのに対し、次期米国大統領であるバラク・オバマ氏はそうではない。彼の著書「大胆なる希望」によると、彼は「世界単一政権は、自ら進んでその力を自制し、国際的に合意された基準や条約を遵守し、それらの規則は守るだけの価値があるのだというメッセージを世界に向けて発信するだろう」と論じている。オバマ氏が国連を重要視していることは、彼がスーザン・ライス女史を側近の一人として米国国連大使に任命しており、ライス女史に閣僚席を与えたことからも伺える。
オバマ氏周辺から広がっている考え方は、世界不安定対策計画から最近提出されたレポートに寄稿されている。世界不安定化対策計画は、オバマ氏の政権移行期の管理担当であるジョン・ポデスタ氏と、ブルッキングズ研究所の所長であるストローブ・タルボット氏、そしてライス女史を含む、つい最近出来た顧問団である。
MGIのレポートは、テロ対策活動のための国連高等弁務官、国連の元で協議された気候変動に対する合意文書、五万人からなる国連平和維持軍の創設に賛成している。一度、加盟国がこの国連平和維持軍に参加することを約束したら、国連はすぐさま参加国の軍隊を招集するだろう。
こうした考えを聞かされると、アメリカのトークラジオのメッカである保守的な地域では、人々はライフルを手にするだろう。そうした考え方は政治的にデリケートなものであることに気づいているので、MGIレポートは、穏やかな言葉を使うようにしている。国際的な協力を求める場合、欧州で支持されている「共有される国家主権」というような先鋭的な響きのある表現ではなく、米国のリーダーシップが必要であると強調し、「責任ある主権」という用語を使っているのだ。また、世界統一政府という言葉ではなく、「世界的統治」について触れているのである。
しかし、欧州の思想家の中には、「彼ら米国人は、何が進んでいるのかについて気がついている」と考えている。フランスのサルコジ大統領の顧問であるジャック・アタリ氏は、「世界的統治は、世界統一政府に対する婉曲表現に過ぎないものだ」と論じている。アタリ氏が関与する範囲では、ある種の世界統一政府は、すぐには出来ないと言うことである。アタリ氏は、「国際金融危機の核心は、世界的な金融市場が存在する一方で、世界的な法秩序がないことだ」と信じている。
確かに、それは適切であるように思われる。我々ホモサピエンスが洞窟に壁画を描き始めて以来、世界統一政府へ向けて真剣に取り組むための機会と手段についての議論が続けられてきたのだ。
しかし、議論に熱中しないように。次の世紀に何らかの形の世界統一政府が台頭する可能性がある一方で、「世界的統治」のための努力は、苦労が多くなかなか進まないものになろう。
世界的統治が進まないのには、良い理由も悪い理由もある。悪い理由は、意志の欠如、国家側の決意の欠如、政治的リーダーの不足である。その政治的指導者たちだが、地球規模の危機について話したがる一方で、究極的には次の選挙に自宅で集中することだろう。
しかし、こうした問題も、世界的統治へ向けた進歩が遅々ととして進まないのか、より受け入れやすい理由をほのめかす。EU内部でさえ、法律によって統治される国際政府の好例でさえ、世界統一政府といった考えは不人気である。EUは、より密接な統合計画(EU憲章批准)が国民の前に提示された時、国民投票で惨敗を続けて苦しんだ。一般的に、官僚と政治家の間で広範に渡る取引が合意に達すると、最も早く統合が進む。そして、有権者に直接説明することなく統合は進む。国際的統治は、非民主的であるときに効果的になる傾向がある。
世界でもっとも緊急の政治的問題は、国際的な問題であろう。しかし、一般的な市民の政治的なアイデンティティは、かたくななまでに地域的・国内的である。誰かがこうした問題を解くまでは、世界統一政府という考えは、国連の金庫の中に鍵を掛けてしまい込んでおくべきなのかもしれない。
筆者: Gideon Rachman (1963年生まれ。2006年からフィナンシャルタイムズで、外交事案部署のチーフジャーナリストを務める。ケンブリッジ大学卒業。BBCワールドサービスから、職歴が始まる。フルブライト奨学金の支援を受け、1987年から88年にかけて、プリンストン大学の客員研究員となった。次の2年間、ワシントンのサンデー・コレスポンデントの記者となる。エコノミストで15年勤め、初めての東南アジア特派員となる。フィナンシャルタイムズでは、主にアメリカの外交政策やEU、グローバリゼーションについて担当)
「世界統一政府」とは、欧州連合を世界規模に拡大したものであり、それほど陰謀的なものでもなく、それどころか「迫り来る世界規模の危機」に立ち向かう上で、「世界統一政府」は有効な解決方法なのである――といった、内容を読み取ることが出来ます。
つまり、「世界統一政府は、そんな恐ろしいものじゃない。それどころか、これからの世界の問題に対処する上で必要な存在なんだよ」と、穏やかに諭しているように思えます。
「世界統一政府」に対する世界の人々の反応がどのようなものか――拒否反応はどのようになるか? 賛意はどれくらい得られそうか? などの反響をインターネット上で調べながら、今後の手を考えようとでもいうのでしょうか。
うがった見方をすれば、「意図的に世界的な危機・問題を引き起こすことで」、「人々の不安や危機感を強く刺激し」、「世界統一政府の必要性を説得し、浸透させる」というアプローチもあり得るわけです。
インターネット上における、有志個人たちの多方面からの調査や追求が積み重なり、「強引に隠蔽を続けるよりは、安心感に訴えて出た方が賢明である」という判断が、どこかにあったのかもしれません。
来年以降、金融危機は世界大恐慌に段階が進み、生活恐慌となって世界中の人々を襲うことは確実視されています。
もはや、各国の努力だけではどうにもならないほどに、問題は大きくなっている。
各国の力を越えた問題が、我々の前にそびえ立っている。
こうなった以上、世界が一つになって、歴史的かつ世界的な危機に立ち向かおうではないか――
そんな論調がメディアに溢れ始めたら、そしてもちろんインターネット上で溢れ始めたのなら(世論制御の舞台はすでにインターネット上に移行しています)、この記事のことを思い返してみてはいかがでしょうか。
『連山』編集部 追記
「人類の運命がどんなものであろうと、社会正義の十分な評価をともない,世界に生まれてくる子供たちの大多数に,健康,教育,機会のほぼ均等が確保される人間の連合体であり,それが歴史に新しい段階を開くような人間のエネルギーの開放と増大を意味することであるのには,問題はありえないであろう。................
過去に現れた超人というものは,自然発生的なものと考えるのでなければ,ぺリクレスのアテネ,メディチ家のフィレンツェ,エリザベス朝のイギリス,アソカ王の偉業,唐や明時代の芸術は,不断の,そして累積的に与えられた安泰の世界がこれを維持したものの一例であると結論ずけても無理ではないであろう。...............
『われわれの現在の混迷から,近い将来に正義の新しい世界連邦をつくりあげるという努力への集中を,正しいとするのはじつにそのような考えなのである。
しかし,素晴らしい世界連邦ができあがれば,その最初の成果の一つは,いまの野獣(注:ゴイム=非ユダヤ人)をより良く保護(注:収容所に入れる)するようになるだろう』<HG・WELLS・世界文化史>
HG・WELLSのSF小説「透明人間」の意味が今ひとつ分からなかったのですがそれが「放射能」を意味することが最近分かった。』
Thesis(正)資本主義社会+Anti-Thesis(反)共産主義社会=A defact Synthesisi(合)世界統一政府
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/837.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 27 日 08:52:14:
世界勝共連合(WACL):犯罪の国際主義(レッ・ボルテール:全訳)
レッ・ボルテールの以前の記事を見直していて、極めて大切な文章を見落としていたことに気付きました。世界勝共連合の歴史です。その全訳文を投稿します。
これは2005年1月20日付のレッ・ボルテール(スペイン語版)に載せられた論文で、著者はティエリ・メイサン(レッゾー・ヴォルテール編集長)。元々は昨年の5月12日にフランス語版レッゾー・ヴォルテールに掲載されたもので、スペイン語訳が今年になって登場しました。(なお、以前私が「テリィ・メイサン」と書いたのは「ティエリ・メイサン」の誤りでした。すいません。)
一つの謀略的組織が誰によってどのように形作られ、どのように利用され、そして放り出されるのか、という筋道がよく解ると同時に、第2次世界大戦が何を残し、その後の世界で何がどのように展開させられ、そこから現在まで何が継承・展開させられているのか、という、現代史の重要な認識の一部を成すものでしょう。特にこの勝共連合とビン・ラディンおよび文鮮明の関係が、今日になって最大限に生かされていることは、すでにご存知の通りです。
ただメイサンは、世界勝共連合とカトリック教会(特にオプス・デイ)やシオニストとの関係にまでは触れていません。これが玉に瑕です。
バチカンとオプス・デイ1〜10参照
注釈も含めて全訳します。また画像はUrlを示し説明の日本語訳を添えます。ただ日本語での正式な名称の分からない組織などは英語でそのまま書いておきますので、ご存知の方はご教授ください。不正確な名称などもご指摘ください。(英文検索で役に立つかもしれませんので人名や地名には原文のつづりを添えておきます。)
http://www.reseauvoltaire.net/article13873.html
http://www.redvoltaire.net/article3397.html?var_recherche=wacl
テロリズム
世界勝共連合:犯罪の国際主義
THIERRY MEYSSAN
パリ(フランス) 2005年 1月20日
蒋介石、文鮮明師およびナチや日本の戦犯たちによって台湾で発足した世界勝共連合(WACL)は、最初にニクソンによって東南アジアからラテンアメリカにかけての反乱に対抗する手段として使われた。7名の国家指導者がその会議に参加した。後になって、レーガンの時代に再び活力を得て、冷戦中に米国の軍産複合体とCIAの道具と化した。彼らは政治的な暗殺とあらゆる紛争地域での対ゲリラ勢力の形成に携わった。紛争地域にはアフガニスタンも含まれるが、ここではオサマ・ビン・ラディンによって代表されたのである。
レーガン・ミッテラン協定とレオ・ワンタ
(写真:「第4回世界勝共連合総会」)
http://www.redvoltaire.net/IMG/jpg/390-67.jpg
第2次世界大戦の終了に及んで、米国の諜報機関はナチ、ファシストそしてウスターシ【クロアチアのファシスト:訳者】を反共ネットワーク創出のために使った。これがステイ・ビハインドである[1]。将来のNATO諸国の中でリクルートされた諜報員たちが秘密にされなければならない以上は、逆に、ソビエトのコントロールの下に置かれた国々の諜報員たちはその活動が表ざたにならざるを得なかった。その結果、西側へ移動する東側出身の諜報員たちによる協調行動のために、1946年に一種の国際団体が作られた。これがAnti-Bolshevik Bloc of Nations(ABN)である。
ウクライナ、ハンガリー、ルーマニア、クロアチア、ブルガリア、スロバキア、リトゥアニアなどのファシストたちはヤロスラフ・ステツコ(Yaroslav Stetsko)の指導の下に会議を開いた。ウクライナでの対占領軍事協力者の元リーダーだったステツコは1941年6月2日にルフォフ(Lvov)で犯された700名の虐殺――大半がユダヤ人だったが――の責任者だったと考えられている。
その8年後、朝鮮戦争休止時に米国はインドシナでフランスに取って代わった[2]。アイゼンハワー大統領は、USSRと中国に対抗するために動員される地域防衛システムを確立した。1954年9月8日にNATOをモデルにして、オーストラリア、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、タイ、英国そして米国によってSEATOが作られ、12月2日には米国と台湾の間で相互防衛条約の締結が完了した[3]。
これに並行して、CIAがアレン・ダレス(Allen Dulles)の指揮の下で、これらの国々の諜報機関員を組織化させこの地域の反共主義政党間の接触をはかる一つの組織を確立させた。こうして蒋介石(Chiang Kai-shek)の元に建設されたのがAsian People’s Anti-Communist League, APACLである。
台湾の総統である蒋介石に加えて、APACLはそのメンバーとして、後に韓国大統領となる朴正熙(Paek Chun-hee)、戦犯の一人で富豪となり日本の自由民主党の資金を支えた笹川良一、さらに統一教会の文鮮明(Sun Myung Moon )師[4]を数えた。またAPACLのメンバーにはプラファム・クラピチティール(Prapham Kulapichtir)将軍(タイ)、フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)大統領(フィリピン)、ソパサイノ(Sopasaino)殿下(ラオス)[5]、ド・ダン・コン(Do Dang Cong)大佐(ベトナムのグエン・バン・チューNguyen Van Thieu大統領の代理)などが含まれている。
APACLは、後のCIA台湾支部[6]の責任者レイ・S.クライン(Ray S. Cline)の総合指揮の下にあり、雑誌The Asian Bulletinを発行、その編集は、後にHeritage財団[7]のアジア支部の責任者となるマイケル・ラサター(Michael Lasater)の負担になるものであった。
(画像:「1967年にWACLが創設された」)
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[WACLの創設]
1958年以来、ABNの総裁は台北でAPACLの年次総会に参加した。クラインとステツコは台湾のthe Political Warfare Cadres Academyを視察した。これは反共主義的鎮圧のために蒋介石政権の軍隊に訓練を行う教育機関である。
この学校は米国のthe Psychological Warfare Center of Fort Braggとパナマにあるthe School of Americas[8]のアジア版である。CIAは次第に、政治家グループと反乱鎮圧の指導者たちによる世界レベルの組織網を作っていった。1967年にABNとAPACLは合併し、世界勝共連合(World Anti-Communist League、WACL)が名乗りを上げた。そしてその活動を『自由世界』の連合へと広げていった。その新しいメンバーの中に、第2次大戦の間に作られたメキシコのファシスト組織で「王たるキリストの軍団(Legión de Cristo Rey)」とも呼ばれるロス・テコス(Los Tecos)がある。この連合は、73〜75年のリチャード・ニクソンとその治安参謀ヘンリー・キッシンジャーがホワイトハウスを牛耳るときに、最初の最盛期を迎える。
(画像:「軍事学校が反ゲリラの闘いを組織する」)
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その機能は統一教会を通して気前の良い保証を受けた。しかしこの事実は1975年まで公式に認知されていた。文鮮明師はその後この連合との関係が崩れたと主張するが、その日本人の代弁者である久保木修己の後ろで指導力を発揮し続けていたのだ。
フェニックス計画(1968〜1971)とコンドル作戦(1976〜1977)に適用されたWACLの役割には、東南アジアやラテンアメリカで共産主義のシンパであると疑いをかけられた何万人という人間の殺害が含まれている。それは今日に至るまで実態が明らかにされていない。
フェニックス計画はおそらくベトナムで、後にWACLの総裁となるジョン・K.シングローブ(John K. Singlaub)将軍のthe Joint Unconventionnal Warfare Task Forceによって適用されたはずである。しかしながらシングローブはこの計画との関連を常に否定し続けていた。
一方では、1971年〜1978年にボリビアに独裁政治をひいたウゴ・バンセール(Hugo Banzer)は、WACLのラテンアメリカ部門を率いた。バンセールは1975年に野党である共産主義者たちを肉体的に抹殺する計画を立てた。このバンセール計画は、1977年にアスンシオンで、パラグアイの独裁者アルフレド・ストロエッスネル(Alfredo Stroessner)将軍の主宰で行われたラテンアメリカWACL会議の中で、続行すべきモデルとして紹介された。同様に、ラテンアメリカ各地で解放の神学を唱えるあらゆる僧侶と信者の抹殺を進めるための動議が、パラグアイ支部によって提案され1978年のWACL世界大会によって採用された[9]。
同時にまた、この期間に欧州に衝撃を与えた緊張の戦略(Strategy of Tension)の中で、WACLの役割は明確な科学とも見なされない【意味不明瞭。原文tampoco se conoce a ciencia cierta:前後の段落の内容から考えて「正確に知ることができない」というような意味か、フランス語からの翻訳の際に起こったミスではないか、と思われる:訳者】。”新秩序”の創始者でフランス人のフランソワーズ・ドゥプラッ(François Duprat)、MSIの創始者でイタリア人のジョルジョ・アルミランテ(Giorgio Almirante)、CEDADEの創始者でスペイン人のヘスス・パラシオ(Jesús Palacio)、”国々のサークル”の代表であるベルギー人のパウル・ヴァンケルホヴェン(Paul Vankerhoven)、そして同様の他の者たちがWACLの活動家となった。そして、イタリアでテロリストとして指名手配されたステファノ・デレ・チアイエ(Stefano delle Chiaie)[10]を非合法に連れ去り、ウゴ・バンセール政権のボリビアに送ったのはこの連合だった。そこで彼はすぐにクラウス・バルビー(Klaus Barbie)の補佐役に指名された。暗殺隊のトップとしてである。
またレバノンの戦争でWACLが果たした役割に触れる記録文書もほとんど無い。後に、1975年にこの紛争が勃発する1週間前に、元大統領のカミレ・シャモウン(Camille Chamoun)のキリスト教民兵の関連組織に傭兵を雇ったことが明らかになる。
(画像:「1973年の世界勝共連合メンバーの中の国家首脳」)
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1977年にホワイトハウスに入ったときに、ジミー・カーターは前任者たちの汚い行動を終わらせようと願った。そして海軍大将スタンフィールド・ターナー(Stanfield Turner)をCIA長官に指名し、ラテンアメリカの横暴な政府を抑えることに努めた。これはWACLにとって困難な時代だった。そのメンバーから出資を受けることをあきらめなければならなかったからだ。これはやがて反カーターの動きを作る。より都合の良い時代を準備し、当然のごとく米国最大の反カーター組織、the National Coalition for Peace Through Strengthとの関係を確立した。
この反対派の急先鋒はアメリカ保安委員会(American Security Council)に由来するものである。それはアイゼンハワー大統領が『軍産複合体』という用語と共に考案したものであった[11]。その共同責任者は、ジョージ・H.ブッシュとともにチームB[13]と呼ばれるパイプス委員会の中でソビエトの脅威を再登場させたダニエル・オグラハム(Daniel O’Graham )将軍[12]、およびジョン・K.シングロウブ将軍であった[14]。
この連合の数多くの責任者たちがロナルド・レーガンの選挙戦用の組織に絡んでいた。彼らの大部分にとってこのカリフォルニアの共和党の指導者とは無関係ではなかった。実際に第2次大戦終結時に、レーガンは自由十字軍(Crusade for Freedom)のスポークスマンとして、共産主義から逃れてきた東欧出身の移民たちを米国に定着させるための資金集めに参加していたのだ。それは実際にはABNメンバーであるナチ、ファシスト、ウスターシたちを移住させることであった。副大統領のジョージ・H.ブッシュも良い友人であった。彼はCIAの守護神としてコンドル作戦の長であったのだ。
[WACL黄金時代]
ロナルド・レーガンとジョージ・H.ブッシュがホワイトハウスに登場して以来、WACLはかつての活力を取り戻し発展を続けた。以前からの人脈はその成果を現してきた。米国の軍産複合体は、世界自由委員会(Council for World Freedom, USCWF)の名称の下にWACL米国支部創設の財源提供に努めた。ジョン・K.シングロウブ将軍がこれを指導しダニエル・オグラハム将軍が副委員長となった。しかし実際の狙いはそうではなかった。軍産複合体はWACLの権力を我が物にし世界の反共弾圧政策の中心的な道具に作り変えた。シングロウブはこうしてWACLの総裁になった。
(画像:図表「1982年の反ソビエト戦争の資金」)
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[連合があらゆる前線で活躍]
アフガニスタンでのソビエト勢力と戦うために、アメリカ保安委員会[15]はWACLのそれに関する部門に資金を提供した。ヘリティジ基金に本部を置く自由アフガニスタン委員会(Committee for a Free Afghanistan)である。この作戦は、マーガレット・サッチャー、およびMI6の長ニコラス・ベセル(Nicholas Bethell)卿の米国公式訪問を期に開始し、J.ミルノール・ロバーツ(J. Milnor Roberts)将軍がその指揮を取った。
この委員会は直接に『自由のための闘い』への軍事的援助に参加した。それはCIA長官ウイリアム・ケイジー(William Casey )[16]の決定によって実現し、オサマ・ビン・ラディン[17]によって運営された。公開されるビン・ラディン・グループのサウジ拠点での協力者であるアーメド・サラー・ジャムジョオン(Ahmed Salah Jamjoon)長老および一人の南イエメンの元首相が、WACLとこのサウジアラビア資本家の子弟とのつながりを作り上げたのだ。[18]
フィリピンでは、WACLを代表したのがフェルディナンド・マルコスである。しかし1986年に彼が失脚すると、ジョン・K.シングロウブとレイ・クラインは新しい相談者を作りに現地へ赴いた。彼らはそこで反ゲリラの議員組織を作り、フランク・カールッチ(Frank Carlucci )[20]、ジョージ・H.ブッシュ、およびビン・ラディン家の友人であるフィデル・ラモス(Fidel Ramos )将軍[19]に目星をつけた。
ニカラグアではサンディニスタ革命と戦うために、WACLは、コスタリカにあるジョン・ハル(John Hull)の所有地に後衛基地を置きアルゼンチン人の教官を配置した。連合は同時にホンジェラスで参謀長官のグスタボ・アルバレス・マルティネス(Gustavo Álvarez Martínez)将軍によって提供された施設を利用した。この将軍は人権主義的な装いで隠蔽した国際難民救済団(Refugee Relief International)を利用しながら傭兵を雇っていた。
グアテマラでは国民自由運動のリーダーマリオ・サンドバル・アラルコン(Mario Sandoval Alarcón)がWACLに参加した。サンドバルは1974〜1978年の副大統領であり、大統領のロメオ・ルカス・ガルシア(Romeo Lucas García)が操り人形でしかなかったのだが、この国の本物の主人であった。サンドバルは5年間に1万3千人以上を殺した暗殺団を組織した。
エルサルバドルではWACLは、台湾の軍事学校で教育を受けグアテマラからの援助に支えられたロベルト・ダウブイッソン(Roberto d’Aubuisson)を支援した。ダウブイッソンは後に、この地域のCIAにあたるANSESALの総裁、および極右準軍事組織である国家共和主義党(ARENA)のリーダーとなった。同時に暗殺団を組織してオスカル・ロメロ(Oscar Romero)大司教を殺害した。
(写真「自由防衛のための秘密委員会メンバー、ハリー・アダーホウルトとジョン・シングロウブの両将軍」)
http://www.redvoltaire.net/IMG/jpg/Aderholt-Singlaub.jpg
しかしWACLの成功はその転落をも促した。1983年に国防副長官のフレッド・C.イクレー(Fred C. Iklé )[21]はペンタゴンの中に8名の専門家からなる一つの秘密委員会を作った。自由防衛のための委員会である。その委員長はジョン・K.シングロウブ将軍であった[22]。この委員会が、ニカラグア、アンゴラ、エルサルバドル、ベトナムの拡張を吹聴するモデルとして、アフガニスタンへの隠密の侵略を作り上げた、と言われている。しかし彼らの行動の詳細に関する証拠文書書類は十分ではない。
1984年にロナルド・レーガンは、イランゲートヘの私的な出資の責任を、この連盟とジョン・シングロウブの個々の手に預けた。この事件は国家防衛委員会のオリバー・ノース(Oliver North)大佐の直接の指揮の下で行われたものであった。1987年、このスキャンダルの暴露がWACLのすべてをなぎ倒し解体させたのであった。
【注釈】
[1]”Stay behind :Las redes estadounidenses de desestabilización y de injerencia” (Thierry Meyssan,Voltaire, 20/06/2001:スペイン語)を参照
http://www.redvoltaire.net/article5.html
[2]フランス軍は1954年5月7日のデン・ビエン・フーの戦闘で敗れた。
[3]その一方で1955年1月29日に議会はアイゼンハワー大統領に対して、共産主義者による攻撃が起こる場合には台湾を防衛する戦争に突入する承認を与えた。
[4]”Révérend Moon : le retour”(Voltaire, 26/03/2001:フランス語)を参照。
http://www.reseauvoltaire.net/article7830.html
[5]ソパサイノ殿下はラオス議会副議長であったが、1971年4月23日にオルリ空港でフランス当局に逮捕された。荷物の中に60kgのヘロインを隠し持っていた。
[6] Ray S. Clineは朝鮮戦争の最も過激な見解を聞かせたアナリストであった。1958〜1962年にCIA台北支局の責任者。彼の表の姿はthe US Naval Auxiliary Communications Centerの責任者だった。後にコチノス(Cochinos)湾の失敗で引き起こされた人事異動のおかげでCIA副長官になった。著書にSecrets, Spies and Scholars(Edotirial Acropolis Books, 1976)がある。
[7] Michael LaseterはElizabeth ClaireのChurch Universal and Triumphant(CUT)の第一責任者であった。70年代の半ば、この教団はカリフォルニアの本部に軍隊用の武器が発見されるスキャンダルに見舞われた。責任者の一人は80年代にアフガニスタンのWACLの代表幹部に指名された。
[8] The School of Americasはその後米国のFort Benningに移転した。我々のネット資料ページには1947〜1996年のこの学校の学生の完全なガイドがある。(フランス語)
http://www.reseauvoltaire.net/rubrique366.html
[9]この作戦はアルフォンソ・ロペス-トゥルヒーヨ(Alfonso Lopez-Trujillo)神父の協力で行われたように思える。彼は後にラテンアメリカ教会会議(CELAM)の理事長となった。【この神父はオプス・デイと深い関係を持つ:訳者】
[10]”1980: masacre en Bolonia, 85 muertos”(Voltaire, 14/03/2004:スペイン語)を参照。
http://www.redvoltaire.net/article694.html
[11] The National Coalition for Peace Through Strengthは議会のメンバー258名を集めるに至った。
[12]Daniel O’Graham中将は他の諜報局員との連携を担当するCIAの副長官(1973〜74)だった。後にDIA長官(74〜76)になる。アメリカ保安委員会の執行部長で、『スター・ウォーズ』計画の最大の擁護者の一人だった。High Frontierを設立し、1995年の彼の死までそれを主催した。
[13]1975年に極右団体がCIAを共産主義者の潜入者によって侵されており赤の脅威を減少させていると非難した。フォード大統領はそこでジョージ・H.ブッシュをCIA長官に指名しチェック体制を任せた。リチャード・パイプス(Richard Pipes)は、軍拡路線の再建を正当化する警告の通知を発行する『チームB』を作った。今日では、パイプス委員会が軍産複合体に市場を開くためにデータを故意に改ざんしたことが知られている。このテーマについては”Los manipuladores de Washington”(Thierry Meyssan、Voltaire, 11/01/2005:スペイン語)および”Daniel Pipes, expert de la haine”(Voltaire, 05/05/2004:フランス語)を参照。
http://www.redvoltaire.net/article3393.html
http://www.reseauvoltaire.net/article13765.html
[14] John K. Singlaubは第2次大戦中はOSSの局員であった。日本に対して蒋介石の国民党ゲリラを作った。朝鮮戦争の間はCIA支局の責任者であり、後にベトナム戦争の間には、グリーン・ベレーを率いた。その後Fort Benningで対ゲリラ戦を指導。退職後はアメリカ保安委員会の訓練責任者となった。やがてWACLの総裁となる。
[15]1984年から民主主義国家基金がこの委員会に資金を送った。これは後に、アフガニスタンでの彼らの政治目的に都合の良い人道的組織が受け取る資金の一部へと引き継がれていく。特にベルナール・コウチネル(Bernard Kouchner)の国境無き医師団である。
[16]米国はアフガニスタンを意図的に不安定にした。しかしモスクワの軍事的な反応の大きさは予想しなかった。ワシントンはそこでこの戦争に加わらせるために同盟国を動かした。それはアフガニスタンの『自由』という目的ではなく、ソ連がアラビア海までの道を所有することを防ぐためである。
[17]1983年にWACLはオサマ・ビン・ラディンの顔をシャツに印刷し次のような説明を添えた。『アフガニスタンの自由の戦士を支援せよ。彼はあなたのために戦う。』
[18] オサマ・ビン・ラディンはしたがってイスラム信者として紹介されたのではなく、対ソビエト戦に米国と共に参加するために、サウジアラビアの諜報機関の長官であるトゥルキ(Turki)王子によって選ばれた反共商売の人物として、であった。ビン・ラディンは当初は『自由の戦士』を必要とする諸機関の設立に専念し、その後それに合流する外国人のムジャヒデシンたちの補給を担当した。オサマ・ビン・ラディンは彼らの上でその権威を確立するためにその後にイスラム教徒に変身しただけである。
[19] Fidel Ramos将軍は1992年に大統領に選ばれた。1998年、彼の統治の後にカーライルグループに入った。”Le Carlyle Group, une affaire d'initiés”(Voltaire, 09/02/ 2004:フランス語)を参照。
http://www.reseauvoltaire.net/article12418.html
[20]”L’honorable Frank Carlucci”(Thierry Meyssan, Voltaire、11/02/2004:フランス語)を参照【Url不明:訳者】
[21] Fred C. IkléはペンタゴンでCaspar Weinbergerのナンバー2であった。この冷戦の歴史に残る戦士は実際にはthe Center for Security Policy (CSP)、the Project for a New American Century (PNAC)のメンバーであり、Smith Richardson Foundationの管理者であった。
[22]この委員会にはHarry AderholtとEdward Lansdale両将軍がおり、大佐のJohn Waghelstein、Seale Doss、 Edward Luttwak、少佐のF. Andy Messing Jr、Sam Sarkessianがいた。
参考:タルムード=ユダヤ人の悪と結び付けようとしていますがごく少数のラビから漏れるはずはありません。これらはゾハールのことなのです。正統派ユダヤ人はヘブライ人のユダヤ人の意味です。
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投稿者:tatsujin
拍手コメント
WACL
2012/1/19 19:41
福岡の、男一匹、犬1人(キャバリアメス11歳)の馬鹿チンです。 tatsujin様のブログに出会い10か月ほどになります。いろいろなことが少しずつしっかり見えるように感じております。
大袈裟だと思われるかもしれないですが、 このご恩を一生忘れません。
今年もよろしくお願いします。
psマー君も、スー君もうちのキャバリア嬢のタイプですが、年上すぎますね。