夫婦の老後は「国家による自由」でまもります
病気で働けない人が国に生活保護を求めるのは権利です。
均等に教育を受けられるように国に要求する権利があります。
これらは「社会権」とよばれるもので、人権の一つだそうです。
また、
国によって、自分の理想や価値観を捨てさせられないように、自由をまもる権利があります。
国がいろいろ規制をして、営業を禁止したりさせないようにする営業の自由があります。
これらは「自由権」と呼ばれる人権だそうです。
また、
国政に参加する権利、「参政権」も人権です。
民主主義を守ると言いますが、民主主義は国民の自由を守るための手段といえるそうです。
そして、
「自由に生きていい」と言うときには、「結果には自分で責任を持て」という意味も含まれると言います。自己責任です。
では、自由社会では自己責任といいますが、病気や障害など条件が悪いために人間らしい生活が営めなくなったらどうしますか。19世紀には、それも自己責任だといっていました。
いまは、「社会権」を一つの人権と認めるのが常識ですから、最低生活を営むことが国民の権利になるわけです。
こうして、伊藤さんは、
「自由権」「参政権」「社会権」が人権なのだと言います。
それぞれ「国家からの自由」「国家への自由」そして「国家による自由」というそうです。
伊藤真『高校生から分かる日本国憲法の論点』pp.79-81
西欧の歴史では、19世紀にまず「自由権」が国民の権利だと権力者が認めました。
国王や貴族を批判するのが権利として許されるようになったのです。
実業家がビジネスチャンスをつかんで、新しい営業を始めることが自由に認められるようになりました。
このころは自由が強調されたので、煙突の煤煙や工場や鉱山の有害な廃液など公害がものすごくふえたのです。
つぎに「参政権」が普及したので国民が選挙権を持って国会議員を選ぶことになったわけです。
「参政権」がみとめられるまでは地方の資産家だけが国会議員を選ぶ資格が認められていました。
20世紀の初めに「社会権」が国民の権利と認められるようになったのです。
夫婦の老後生活を支えるために、国が公的年金の制度を作るのは、国民の社会権が認められているからです。
健康保険も、国の制度があります。
もし、国の健康保険制度がなければ、民間会社が売り出している医療保障の保険に加入するようになるでしょう。
ちょうど、火災保険に加入するのと同じです。
ところが、
「社会権」の保障はけっこうですが、日本では高齢者優遇の仕組みを国が作りましたので、低成長で少子高齢化では、現役世代の負担ばかり増えてしまい、持続は無理なのです。
そこで国は、民間の保険に加入してくださいというようになったのです。