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入れ墨の女房

テーマ:がんばれ結婚
2015-02-06 06:50:48
入れ墨の女房


いつだったか夏、散歩のことを思い出しました。

左右の肩から入れ墨がのぞいていた女性を見ました。

ワシかタカの翼の一部らしきかたちでした。

年の頃は20代半ば、化粧は濃いがきれいなひとにみえた。

「わたしは、暴力団関係者のおんなです。手を出すと殺されますよ」というメッセージか。

それとも、かたぎの職業から脱落し、いろいろな職を経験して、自分を受け入れてくれるのがじぶんしかいないことに思いが至り、自分のことは自分で決めようと決心して、他人にはまねのできない自分になろうとしたのかもしれません。

それとも、「あんたたちに出来ないことを私はやっている」という自己表現で、周りの人を威嚇して、自分を認めさせたかったか。

帰り道には偶然、別の女性が左の肩に、なにやら漢字の入れ墨をしていた。

最近の人なら「○○命」であろうが、もっと字数の多い熟語か何かのようであった。

としはすでに五〇を超えていたが、だんなさんは(もし、いればですが)満足なのだろう。

親から授かったからだを自分できずつけるのは、この上ない親不孝と知りながら、やらなければ生きていけないいきさつがあったわけです。

つまり、親と縁を切る、精神的な縁を切る。

いまなら「精神的自立」でしょう。

親から暴力を受けたり、親が人をだますことを教えられ、本当に親がいやになったのでしょう。

このままじゃ自分もダメになる。

そんなことをいっても自分は、堅気の職業に就職は出来なかった。

親との関係を捨てた「ろくでもない」自分を受け入れてくれたのは、義理と人情のやくざ稼業の、今の旦那さんだけだった。

旦那さんに操を捧げる決意が、彫り物をさせたか。


もともと、入れ墨は日に当てると色がさめてしまうので、日には当てないものなのです。

だから、昔の彫り物は、腕はひじから10センチくらいまで、着物の袖口からも見えませんでした。

今のチンピラのように、見せびらかすように手首まではやらないのです。

日に当てないとは、どんなに立派な彫りものでも、他人様の目から隠すと言うことです。

まあ、死を覚悟した殺し合いの時しか見せないのです。

でも、さすがに、暑い夏にはそうもいかないのでしょう。

入れ墨を入れたら、やせ我慢しなきゃ。
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