これはすごいなーと。
アメリカと日本のコメディ、お笑いはかなり質が違うものなのに日本語を理解しお笑いをやるなんて。
以下、厚切りジェイソンの笑いに関する私見。
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パックンマックンのパックンことパトリック・ハーラン氏がハーバード卒でお笑いをやってますが、あの方にしろ異文化の中でお笑いと言うセンシティブに感覚が難しいジャンルを選ぶってのが凄いことなんだけど、上記の厚切りジェイソン氏がお笑いを目指して芸歴四ヶ月でR-1決勝まで残ったってのは素晴らしい、と。
たとえば漫才。
漫才ってのは日本独特の笑いのフォーマットで、”ボケ”が常識をズラしてみせ、”ツッコミ”が常識に引き戻す。
ボケでズラすことで緊張が産まれ、ツッコミで引き戻され緩和を生み、その振幅で笑いが発生する(via.桂枝雀)。
スタンダップコメディはさまざまあるけれど、アメリカなんかでは人種ネタだったり、日本で言うところの「ベタ」が多い。
ベタって言うのは笑いとしてひねりがないストレートである、と言うこと。
どうしてかと言えばそこにツッコミが存在しないから、になる。
ボケとツッコミというのは、ボケのいう「非常識なこと」をツッコミが観客に「通訳」することで笑いが産む役割を果たす構造をもつ。
海外のコメディは、ツッコミ(通訳)がいないので複雑なボケをしても観客に伝わらない。
だからボケがベタになる。
漫才はこんな感じ。
ボ「いやー、寒いねー。二月でこんだけ寒かったら八月はどーなるねん」
ツ「なんでやねん」
常識的には八月は夏だし寒いわけがない。しかし1月より2月の方が寒い、だからその後も寒くなるだろう、と言うボケの錯誤をツッコミが「なんでやねん」でボケの言ってることが正しくない、と教えている……「通訳」している。
数字に関しての落語「時そば」はこんな感じ。
桂枝雀 Shijaku Katsura 時うどん 落語 Rakugo - YouTube
この蕎麦、一杯十六文だったな?ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ……今、何刻だい?
へぇ、四つ刻です。
いつ、むぅ、なな、やぁ……今何どきだい?
……はぁ、四つですが。
いつ、むぅ、なな……やぁ……(涙
落語の定番「時そば」(上方では「時うどん」)
そば屋に金を払うとき、十六文を数えながら払い支払い途中に「今何刻(何時)だい?」と聞いて、店主が「へい、九つ(午前零時)で」と言うのに合わせて「とぉ、じゅういち、じゅうに……」と支払いをちょろまかした男がいた。
それを聞いた主人公はマネしようとしたんだが、残念ながら時間が四つ(午後十時)だったもんだから支払いが戻ってしまう、という失敗のお話。
落語には当然「ツッコミ」がいない。
だから主人公が失敗し、泣きながら金を払い続けるところを演じ客におかしみを伝えるのが技術になる。
スラップスティックなシチュエーションの下げが落語には多い。
(あるいは登場人物の一人が上手いことを言い落とす。落語の下げは枝雀師匠の分類を参照)
HMVローソンにあったクマムシの大きなポスター前で、あったかいジェイソン♪ pic.twitter.com/GG2trvopiR
— ayumi.t (@a_yum) 2015, 2月 3
さて、厚切りジェイソンの芸を見ると、日本語を勉強中で漢字が難しい、と観客にまずアピールする。
そして漢数字の「一、二、三」を書きながら「パターンが見えてきたね」と言う。
ところが次は「四」
そこでジェイソンは「トラップだ!」とキレる。
厚切りジェイソン ネタ3連発 - YouTube
シンプルなキレ芸にも思える。
たとえばすぎちゃんは「飲んでないペットボトルのキャップを捨ててやったぜぇ、ワイルドだろぉ」と言うけれど、これは構造としてはボケ。
すぎ「~~ワイルドだろぉ」
観客「(ワイルドってそうじゃない)笑」
ボケっぱなし。
観客はすぎちゃんのボケを勝手に解釈し勝手に解決する。
比して厚切りジェイソンは、
ジェイソン「トラップだ!」
観客「(言われてみれば確かに)笑」
ジェイソンとすぎちゃんは逆なんですよね。
厚切りジェイソンの場合、ボケとツッコミで言えばツッコミなんですよ。
じゃあ厚切りジェイソンのボケは誰か?と言えばホワイトボードになる。
ホワイトボードにボケを書き、それを突っ込んで見せる。
ですから芸としては陣内に近い。
陣内智則 「映画予告」 - YouTube
陣内のネタもVTRがボケで、陣内がツッコむ構造。
海外のベタな笑いにはこの「ツッコミ」と言う構造があまり見られない(完全にないかどーかは知らない)。
テレビで、アメリカのコメディは日本人にはウケないという話として「日本とアメリカでは笑いの質が違うという人がいるが、僕はそうは思わない。ただアメリカのはおもしろくないだけだ」という主旨のことを言っていた。完全には同意できないが、妥当といえる面もある。アメリカの場合、聴衆は笑うべくそこにいる。おもしろくなければ笑わない、なんば花月の厳しい客の反応とは大きな差がある。日本のコメディは基本的に自己完結的にボケとツッコミで成立させねばならない。そこでは聴衆は第三者として存在し、パフォーマーとの間には「人対人」の関わりはないことになっている。
ツッコミは、観客とボケとの間の媒介の役割を果たしてる。
厚切りジェイソンが凄いって言うのは、この日本特有の笑いの構造を理解しコメディをやっているからこそ。
笑われる外タレは多いんだけれど笑わせる外国人のコメディアンはとても少ない。
賢いひとは違うなー。
ただ一つだけ気になるのが、
そして、日本で「アクセルホッパー」さん、「オリエンタルラジオ」さん、「クールポコ」さんら芸人さんをたくさん見ました
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanishimasao/20150202-00042743/
しかし、なぜアクセルホッパー……。
アクセルホッパー バカテンポ1 エンタの神様 - YouTube