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境涯革命シリーズ  

2015年 02月 03日


☆境涯革命シリーズの開始.

新企画をスタートするに当たり、一言、ご挨拶を申し上げます。

かねてより、私の心の変化について申し上げたいと考えておりました。
その最大の理由は、私のブログに書き込みをされる人々の中に、「物理的功徳(くどく)」のみを重視し、「精神的功徳」を明らかに知らないか、あるいは自覚のない人がいらっしゃるからです。
例えば、私は27歳で100万遍を唱え、経済革命、家庭革命を成しました。43歳のとき、300万遍を唱えて仕事上のピンチを乗り越え、また子供がいない悩みを解決し、さらに家を新築し、あるいはマラソンを通じて健康面も大いに向上しました。
これは「モノ」の功徳ですから、分かりやすいのです。
しかしながら、私の本当の功徳は“心の変化”でした。

○心の変化の譬え.

人によっては、その思いの変化を「今だけの思い」と感じられるかも知れません。
元気なとき、落ち込んでいるとき、悲しいとき‥様々な局面で思いは変わりますから。
でも、私には、「不変的」、あるいは「固定的」な部分の心の変化があるのです。
人見知りの人は、ずっと人見知りですね。
その傾向性は、なかなか変えられるものではありません。
例えば、過去、人と話すことが不得手だった人がいるとして、その人が他の人たちを恐れ、引きこもっていたとします。その人が成長し、人と話すことが楽しくなり、積極的に外部の人たちと楽しいおしゃべりができるようになったとします。
すると、この人は対人関係の恐怖が楽しみが変わった訳です。
その「実力」、言い換えるなら「境涯の変化」「心の技術の変化」が身に付いてしまえば、過去のような「恐怖」はずっとなく、平然と対話のできる生活を続けることができます。

○劣等意識の消失.


私は、長くコンプレックスの固まりでした。
そのコンプレックスは、離婚や窓際族、あるいは様々な嫌なことを克服する努力の中で、自然となくなったのです。
コンプレックスを治そうとしたのではありません。いつの間にか無くなったのです。
もちろん、全ての劣等感がなくなった訳ではありません。
たとえば、先日、背広のズボンだけ新しいものを履き、上着をクリーニング前のものを着て出社しました。(^^:
色も違うし、恥ずかしい。1日ですけれど、その日はコンプレックデーとなりました。
このような一時的な劣等感というものは、慌てん坊の私からは無くなりません。
しかし、心理の奥底に“固定化されているコンプレックスは、今、見当たらないのです。
逆に、ポジティブな意識が常にあるのです。

○記事の予告.

私は、人もうらやむ生活をしているのでしょうか?
いいえ、まったくの凡人で、ありきたりです。見てくれも中の下です。(^^)
壁にぶち当たって苦しむということも日常茶判事です。
けれど、心に「でも、これを突き破ってみせる!」という希望がなくなることはありません。
その心の変化を<別館>にてお話いたします。
この連載は、長編になることでしょう。果たして、表現できるか?‥
ともかくチャレンジしたいと思います。ゆっくり、じっくり書くつもりです。
その境涯革命カテゴリは、→ここをクリック!

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by sokanomori3 | 2015-02-03 06:47 | 別館のご案内 | Trackback | Comments(8)

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Commented at 2015-02-03 22:47
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by いつも at 2015-02-04 00:47 x
菊川さん、こんばんは。
新しい試み、楽しみにしています。

境涯とは、結局のところ『心こそ大切なれ』と言うことでしょうか。
『蔵の財よりも身の財すぐれたり・身の財より心の財第一なり・此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし』(御書1173頁)

ともすれば、実証を示すとは、蔵の財、身の財になりがちですね。
世間の価値観がここに重きを置いているからだと思っていますが。
しかし、これだけでは、あまり感動はありません。
そんな話は、世間にいくらでもありますから。

むしろ、いくら成功しても、苦悩にあえぐ人に謙虚に寄り添い、
シッカと腕を組みあって、共に人生のたかみを目指し昇っていく人。
この人が、真に境涯の高い人であると思う時があります。
Commented by sokanomori3 at 2015-02-04 06:14
22:47さん、おはようございます。
何とも、ここでは申し上げようがありません。(^^:
★菊川広幸
Commented by sokanomori3 at 2015-02-04 06:27
いつもさん、おはようございます。
この試みは、本当の功徳は心の豊かさにあるということを申し上げるものですが、しかしながら伝えにくいものです。
モノは目で見えますよね。
人の体もモノ、見て分かる訳です。
しかし、心の幸せは見えません。

世間の人は、モノでしか見ませんよね。
仕事、家、クルマ、服装‥
どんなに心が豊かでも、失業し、家を失い、クルマがボロで、服装がヨレヨレだとしたら、誰も見向きもしないことでしょう。
ですから、そういうことも、世間から見れば大事ですね。
そのことも広宣流布の武器になりますから。
しかしながら、心は違う。
牧口先生が獄中にいらっしゃったとき、最後、お亡くなりになられたとき、その心は不幸だったか、幸福だったか。
間違いなく、幸福でいらっしゃったことでしょう。

私がこのシリーズを書こうと思ったのは、環境は十分問題がないのに、不幸な人が沢山いるからです。
目も見え、耳も聞こえ、見目形も整い、何の問題もないのに幸せを感じることができない人が沢山いらっしゃる。
その不幸の原因は、心です。

このシリーズは、あせらず、じっくりゆっくり書こうと思っています。
延々と続くシリーズになりそうです。^^
★菊川広幸
Commented by ゆめ at 2015-02-04 10:50 x
待ってました~(^O^)ありがとうございます。菊川さんの体験が私の光です
Commented by sokanomori3 at 2015-02-04 21:22
ゆめさん、こんばんわ。
一体、どのような内容で話せばよいのか、思案中です。
このようなお話は1つの記事に端的にまとめることはもちろん可能ですが、それではあまりに薄っぺらになりますね。
ご期待にそえるかどうかは分かりませんが、しっかり記憶を思い出しながら、書いていきたいと思います。
★菊川広幸
Commented by 福島の壮年 at 2015-02-05 16:09 x
コンプレックス。
おそらくは大なり小なり、誰もが抱えているもの
なのでしょうね。

私は、20歳を越える頃からは、学会員の皆さん、
先輩、後輩、学友、職場の同僚や上司など、
周囲の殆どの人たちから、「自信家」であるように
言われて来ました。

実際の私の内面は、コンプレックスの塊です。
その要因の多くは、幼児期から小児期にかけての
体の弱さ、身体能力の低さに起因しています。

何をするにも、自分の百パーセントの力、
いや時には能力以上の背伸びをしなければ、
他の子たちが普通にこなしていることに、
ついていくことができませんでした。

思春期に入り、体力(持久力)は他の人よりも
劣るものの、ようやく身体能力(瞬発力)は
他の子たちとそれほど違いはなくなりました。
それでも、何をするにも全力でという習慣は
身に染み付いています。
骨格の丈夫さや筋力を越える力を常に出そうと
していくと、身体的には「けが」が絶えなくなりますし、
精神的にも気を張り続けていると、気が緩んだ時は
極端に無気力な状態に陥ることもあります。

それでも、「瞬発力を活かし」「持久力に頼らない」
行動をするには、「拙速」でもいいから「即断即決」
ということを自然と心がけるようになります。
これが、失敗も怖れずに自信を持って思考し、
行動しているという風に、他人には見えるようです。

実際は、自分の欠点をカバーし、コンプレックスを
ねじ伏せるために身に付けた習慣なのですけどね。

もし、私が「肩の力を抜き、7割の力で事に当たる」
癖をつけていたならば、コンプレックスに押し潰されて、
自分の殻に閉じ篭ってしまい、かなり根暗で、極力
他人と関わらない生き方になっていたことでしょう。
Commented by sokanomori3 at 2015-02-05 22:31
遠藤さん、私も幼少期、体が弱かったのです。
小学1年から3年まで、私は結核性リンパ腺炎で長期自宅療養となり、落第しかけたぐらいに体が弱かったのです。
学校にもほとんど行けず、勉強はできません。
ですから体力も知力もかなり遅れてしまいました。
そのことは、このシリーズで記事にしますが、そういう「遅れ」が私の人生を暗雲垂れ込めた歩みにしたのです。
でも、そんな出来事も結果オーライで、今では楽しい思い出です。(^^)
★菊川広幸

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