自閉症児を抱えて~生きづらさと向き合って~

自閉症と診断された娘。グレーゾーンにいる弟くん。

その二人になついてもらえない僕の子育て奮闘記。



あと、読書感想を随時。

キリスト教解説を月イチで書いてます。


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自閉症で発達センターに行きながら、幼稚園に通う娘。

年中さんになると、女の子たちは仲良しグループで集まったり、できない子につらくあたったりと、おませなところが増えてくるようです。

そうなると、発達障害で対人関係が苦手な娘は入っていけるグループがなく、不器用でできないことの多い彼女はキツい当たられる場面もあるようで、このところ「幼稚園に行きたくない」と、泣いて訴えるようになりました。


親としては、せっかく通えるようになった幼稚園だから、続けて通ってほしいと思うのだけど、本人の行きたくない気持ちは相当なもので。

休ませてあげたい気持ちと、通わせたい思いで悩んで、発達センターのスタッフに相談したら、「今までがんばってたから、休ませてあげてもいい」との返事。

やっぱり無理強いして、幼稚園を嫌な場所にしたくはないので、本人の気持ちを尊重してあげようとの結論に。


ただ、「幼稚園を休みたい」気持ちをちゃんと伝えられるようになると自信になると思って、休みたいなら、幼稚園に行って、先生に言うことにしました。

最初は、首を横にふるだけで言えなかった娘でしたが、先生の協力もあって、「休みたい」思いをわかってくれるとわかると、小さな声で「休みたい」と言えるようになってきました。

それとともに毎朝、時には前日の晩から、「行きたくない!」と泣いてごねていたのが、ずいぶんと落ち着いてきた様子。

そういうわけで、今日も幼稚園に行っては、先生に「休みたい」と伝えて帰ってくる毎日なのでした。


でも、高校の時は不登校で、大学時代は引きこもりをしてた僕が、娘には幼稚園に行かせたいと思うのは、「親のエゴ」でしたね。

とにかく娘の成長を待ってくれる幼稚園に通えたことに感謝です。


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よかれと思ったことが、パニックの原因になってしまった。

発達センターに通う自閉症の娘。発達センターを利用しながら、幼稚園に通ってる年中さんです。

最近、「自分が一番じゃなきゃいやだ」というこだわりが強い娘。

家族でショッピングモールを散策中。

楽しくなってトコトコと走り出した弟くんに、「順番を抜かれた!」と受け取ってしまい、焦って追いかけて弟くんの後ろから引き倒したのが始まり。

自由気ままに走り回る弟くんをつけ回しては、「自分が一番!」と悲鳴をあげながら追っかけまわす事態に。

弟くんにけがをさせるし、何よりも歩行者に迷惑なので、無理やりに人通りの少ないところに連れていって気分転換を図ろうとしましたが、もう本人は弟くんの自由気ままな行動にパニックになって大泣き。


後で振り返ってみると。

本人が「〇〇が買いたい」と言えたことへのごほうびに、100円ショップへ買い物に行ったのですが。

お店の中で、娘の教育に向いてそうな別のアイテムを発見。娘に勧めてみたら、予定していた〇〇とどっちを買ったらいいのかわからなくなってしまったみたいでした。

そろころから何となく不穏になって・・・という感じだったので、僕が悪かったです。

娘は〇〇だけを買いたかったんだね。ごめんね。


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キリスト教会も含めて、組織は人を切り捨てる。しかしイエス・キリストは、捨てられた人といつまでも共にいる。

江戸時代の初期。一人のスペイン人神父と侍たちが、メキシコを経由してスペイン、そしてローマ法王の住むバチカンへと長い航海に出る。

神父は、日本人をクリスチャンにしてローマへ連れていく手柄を立てて、日本宣教のリーダーに出世することを目指していた。

一方で侍たちは、役目を果たすことで領地を得ることを期待。

神父の策略により、また、侍たちは仕事の都合上、洗礼を受けてクリスマスになるが、その途上で日本がキリシタン迫害を始めたことを知り、形勢は一気に悪化。

彼らの旅はローマにとっても、日本にとっても何の意味もなくなり、彼らは失意のうちに帰国。

神父は日本担当を外され、マニラの修道院長に、侍の一人は役目を果たすことができなかったことから切腹する。

日本に帰国した残りの侍たちも、一度でもキリシタンになったことから白い目で見られ、窓際生活を余儀なくされる。

一方で神父は、ローマ法王からキリスト教も組織になった時から、イエスの説いた愛の教えから外れても、組織を守るために人を切り捨てる体質を持ったことを思い知らされる。

しかし同時に、イエス・キリストがキリスト教会が見捨てた日本人キリシタンとともにあることを知り、安定したマニラでの生活を捨てて日本へわたることを決意。

結局捕らわれ、殺されることになったが、彼はやせほそり、どろにまみれた弱くて惨めな自分とともにいるイエス・キリストに気づくのだった。

メキシコで貧しいインディオたちと生活する日本人の修道士のセリフ、「自分は豊かで華やかなローマのキリスト教を信じているのではない。イエス・キリストはこの貧しい人たちの中にともにいるのだ」が僕の心に残りました。


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