駄目な歌詞:ミスチルと秋元康

HERO
作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿 歌:Mr.Children
 

 
例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
 
愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ
 
小さい頃に身振り手振りを真似てみせた
憧れになろうだなんて大それた気持ちはない
でもヒーローになりたい ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら そっと手を差し伸べるよ
 
駄目な映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ
 
僕の手を握る少し小さな手 すっと胸の淀みを溶かしていくんだ
 
人生をフルコースで深く味わうための幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる君の側に僕は居たい
 
残酷に過ぎる時間の中で きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
 
ずっとヒーローでありたい ただ一人 君にとっての
ちっとも謎めいてないし 今更もう秘密はない
でもヒーローになりたい ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら そっと手を差し伸べるよ

君の名は希望
作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦 歌:乃木坂46
 

 
僕が君を初めて意識したのは 去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がって来たボールを無視してたら 僕が拾うまで こっちを見て待っていた
 
透明人間 そう呼ばれてた 僕の存在 気づいてくれたんだ
 
厚い雲の隙間に光が射して グラウンドの上 僕にちゃんと影ができた
いつの日からか孤独に慣れていたけど 僕が拒否してた この世界は美しい
 
こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて 想像もできなかったこと
未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場 君の名前は“希望”と今 知った
 
わざと遠い場所から君を眺めた だけど時々 その姿を見失った
24時間 心が空っぽで 僕は一人では 生きられなくなったんだ
 
孤独より居心地がいい 愛のそばでしあわせを感じた
 
人の群れに逃げ込み紛れてても 人生の意味を誰も教えてくれないだろう
悲しみの雨 打たれて足下を見た 土のその上に そう確かに僕はいた
 
こんなに心が切なくなる 恋ってあるんだね キラキラと輝いている
同(おんな)じ今日だって 僕らの足跡は続いてる 君の名前は“希望”と今 知った
 
もし君が振り向かなくても その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを 信じて まっすぐ歩いて行こう
 
何(なん)にもわかっていないんだ 自分のことなんて 真実の叫びを聞こう
さあ こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて 想像もできなかったこと
未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場 君の名前は“希望”と今 知った
 
希望とは 明日(あす)の空 WOW WOW WOW

 
言葉のセンスが無い人は“正しい日本語”から離れることができず、説明的な作文を書いてしまう。
メッセージが一義的な表現で一から十まで説明されているため、受け手が解釈を試みる余地が無い。
どちらも下手な歌詞だと思うが、ミスチルのほうは切実な本音を綴っている誠実さが感じられるので、
悪く言うのは野暮かもしれない。酷いのは、ひたすら空疎な秋元康だろう。
 
秋元康については、『ヘビーローテーション』の「ポップコーンが弾けるように好きという文字が踊る」
というフレーズに、彼の歌詞の特徴がよく表れていると思う。
まず、直喩の多用や「が弾ける」「という文字」のように、表現がやたら説明的で言葉の省略が無い。
ここまで言葉を費やして明示的に語るなら、もはや比喩を用いる意味が無いと思うのだが……。
また、表現に意外性や固有性が無い。ポップコーン→弾けるというのはごくありきたりな連想だから、
何の引っかかりも無く読み流されてしまい、まったく印象に残らない。
独創的な表現でハッとさせるところに比喩の面白さがあるのに、アマチュアの秋元にはそれがわからない。
そして肝心なのが、表現がひたすら観念的である点だ。
ヘビーローテーション』は“僕”が思いの丈を綴る歌詞だが、「好きという文字が躍る」という現象は、
まるで漫画描写や文字エフェクトのようであり、生身の人間の目に浮かぶ光景には見えない。
人や風景や物語を実感豊かに表現する力が、秋元には決定的に欠けているのだ。
説明的で類型的で観念的。これが秋元の歌詞に共通する特徴である。
 
 
ミスチル秋元康の歌詞を称賛している人をネットで多く見かける。
メッセージを直截な表現でしか伝えられない歌詞や、紋切り型の美辞麗句を並べただけの歌詞が、
それゆえに多くの人の心に響いてしまうという残念な現実がある。
大衆は、ぼんやり何かを感じるだけでは納得できず、単純明快な答えを求めてしまう。