再燃するウクライナ紛争
小泉悠 | 軍事アナリスト
現在までの経緯
今年1月以降、小康状態にあったドンバス(ウクライナ東部のドネツク及びルガンスク両州)での戦闘が激化している。
簡単に経緯をおさらいしておくと、昨年8月、ほぼ総崩れ状態に陥っていた親露派武装勢力は、戦車や火砲を含む大規模軍事援助や、ロシア軍本体(ロシア正規軍から抽出された人員・装備から成る「義勇軍」)の介入を受けて一気に形勢を逆転させ、さらにアゾフ海沿いにあるドネツク州の暫定州都マリウーポリにまで迫った(この間に経緯については次の拙稿を参照。「ロシアによるウクライナへの軍事介入が始まった:ルビコン河を渡ったロシア軍(ただし、ゆっくりと)」)。
この結果、ウクライナのポロシェンコ政権はついに親露派を交渉相手とする停戦協議に応じざるを得なくなり、9月5日、ベラルーシのミンスクで停戦に合意した(ミンスク合意)。
反故にされた停戦合意
しかし、その後もドネツク市郊外のドネツク空港などを中心として戦闘は続き、10月のウクライナ議会選挙と11月の親露派による独自の住民投票を経て戦闘は激化。ウクライナ領内へはロシアからの軍事援助や「義勇兵」の流入も続いた。また、ロシアはウクライナの同意を得ることなく非常事態省の人道援助隊を送り込み続けており、その数は1月までに12回に渡っている。
そこで12月9日、改めて停戦を確固たるものとするために再びウクライナと親露派武装勢力との間で停戦合意が発効した。この時点までに紛争による死者は4300人にも上り、うち、ミンスク合意後の死者は1000人にも上るとされることから、実質的にミンスク合意が機能していなかったことはあきらかであろう。
さらに12月末にはウクライナ政府と親露派が再びミンスクで停戦合意を開始することが合意されたが、実際には戦闘はむしろ激化した。1月にはそれまで焦点だったドネツク空港からウクライナ軍が撤退を余儀なくされたほか、ドネツクとルガンスクの境界付近にあるウクライナ軍の突出部を包囲すべくデヴァリツェヴォ市に対して親露派が攻勢を掛け、激戦となっている。ウクライナ国防安全保障会議発表の戦況図では突出部とウクライナ軍本隊の連絡はある程度の幅で維持されているとしているが、親露派に近いサイト「ロシアの春」によるとウクライナ軍はデヴァリツェヴォで本隊から遮断され、一説には1万とも言われるウクライナ政府軍がほぼ包囲されているとしている。
ウクライナ軍の増強
こうした中、ウクライナと親露派それぞれ戦力の強化に努めている。
まずウクライナ軍であるが、1月19日の大統領によって25歳から60歳までの男子5万人を動員が始まり、最終的に最大10万4000人を動員する。例外は、3人以上の子供が居る父親、聖職者、大学生、傷病者などであるが、かつてない大規模動員であることは間違いない。また、志願者があれば女性の動員も排除しないとしている。
装備面では、これまでの戦闘で損耗した分を回復するため、戦車160両を中心とする装甲車両やMi-24武装強襲ヘリコプターやMi-8輸送ヘリコプターなどの近代化改修型などの調達を開始した。
これに併せて2015年度のウクライナ国防予算は対前年比で1.6倍となる約500億フリブニャとなり、その他の治安機関、動員費用、軍需産業への補助金なども併せると国防・安全保障費は約900億フリブニャとなる。
ただし、900億フリブニャといえば6500億円ほどに過ぎず、凄まじい勢いで装備近代化を進めるロシアの国防予算(約3兆ルーブル=約6兆円)とは10倍近い開きがある。これさえルーブルの暴落によるもので、昨年のレートで言えばロシアの国防予算は10兆円近い。さらにその他の準軍事部隊や軍需産業への補助金等も含めば、予算面でウクライナはととても太刀打ちできないことは明らかだ。
その一方、昨年11月には、ポロシェンコ大統領がウクライナ海軍を南部作戦コマンド隷下の小艦隊に格下げすることを提案した。ウクライナ海軍は主力艦艇の大部分をロシアに併合されたセヴァストーポリに駐留させており、併合の過程で大部分の艦艇がロシアに接収されたことから、現在では稼働艦艇は旗艦であるフリゲート「ヘーチマン・サガドーチュヌィ」など数隻に過ぎない。今年1月時点の兵力はわずか500名に過ぎず、今後は190名まで削減される計画である。ただし、ポロシェンコ大統領の提案は最終的に否決されている。
注目される米国の軍事援助
また、昨年11月には、ロシアの「アヴィアスナブセルヴィス」社がウクライナにMi-8ヘリコプターを4000万ルーブルで密輸しようとしたとしてロシア下院の議員が同社を最高検察庁及び連邦保安庁に告発するという事態も発生した。
実際問題としてウクライナにはマールィシェフ戦車工場など装甲車両を国産する能力はあるが、航空機・ヘリコプター・ミサイルなどを国産する能力には乏しい。したがって、昨年4月以降の戦闘で損耗した兵力を回復するにはそのリソースを外部に求めるほかない。
これについては以前からラトヴィアやリトアニアなどロシアの脅威を間近に感じているバルト諸国が軍事援助を表明していたが、停戦の崩壊が明らかになってくると、米国でもウクライナへの軍事援助論が高まってきた。
これまでも米国は防弾チョッキなど非殺傷性の軍事援助は実施してきたが、米国務省や国防総省は新たに対戦車ミサイル、防空システム、対砲迫システム(敵弾を観測し、敵砲兵陣地の位置を割り出すシステム)などの供与を前向きに検討し始めたと伝えられる。
さらに米国はポーランドなど東欧に平時から戦車などの重装備を配備しておき、有事には兵員さえ送り込めば大規模な兵力展開を可能とすることも考慮して調査団を送り込むことを決定した。
親露派の増強と続くロシアの軍事援助
一方、親露派武装勢力もこれに対抗する動きを見せている。2月2日、ドネツクの親露派武装勢力「ドネツク人民共和国」のザハルチェンコ「首相」は、支配地域内で最大10万人の動員を行うことを宣言した。実際にどこまで動員が実施されるかは不明だが、ポロシェンコ政権による動員に対抗する意図があることは明らかであろう。
さらに1月、「ルガンスク人民共和国」は、「空軍」を発足させたことを明らかにした。これはSu-25攻撃機や飛行学校の保有するL-29練習機などから成るもので、ロシア国防省系のテレビ局「ズヴェズダー」によると、Su-25は昨年7月に撃墜されたウクライナ空軍機を再生させたという。
ルガンスク人民共和国側は2月4日、同国「空軍」のSu-25がデヴァリツェヴォ市への空爆に初めて参加したと主張しているが、ルガンスク人民共和国の支配地域には目立った空港が存在せず、どうやって離陸させたのかなどは明らかでは無い(不整地運用性の高い機体なのでどこからでも離陸した可能性はあるが)。
もっとも自力で兵力の増強が行えないことに関して言えば親露派の事情はウクライナ以上で、大規模な動員を行っても装備はロシアに依存していることは明らかである。
ロシアからの軍事援助は以前から行われていたが、当初はウクライナ軍が使用しているのと同じT-64戦車などに限られていたのに対しT-72B3戦車や「ヴイストレル」装甲車などロシア軍しか保有していない装備も供与されるようになった(あるいはロシアの「義勇軍」と言いたいのかもしれないが、人員だけでなくロシア軍の制式装備が送り込まれているのであれば事実上のロシア軍に他ならない)。
また、最近では、デヴァリツェヴォ市に近いシャフチョールスク市でロシア軍の最新型防空システム「パンツィーリ-S1」が目撃されており、ウクライナ軍が再び大規模航空作戦を行う可能性を考慮してこうした防空システムを展開させていると見られる。
親露派の狙いとロシアの思惑
ここに来て戦闘が激化している背景としては、ミンスクでの停戦交渉と並行して支配地域を拡大させ、交渉を優位に進める狙いがあったというのはよく指摘されるところである。親露派は、現在支配下に置いているドンバス東部だけでなく、ドンバス全域を親露派の支配地機として兵力の引き離しなどを進めるよう要求してきたためだ。
今後の焦点として注目されるのは、ドネツク南部のマリウーポリ市である。前述のようにマリーポリ直前まで親露派が迫ったことがポロシェンコ政権に停戦交渉を決断させた大きな要因となっているが、現在のところ、同市はまだウクライナ側の支配下にある。
もしマリーポリにまで親露派が侵攻すれば停戦どころではなく、ロシアとウクライナの全面戦争にまで発展しかねないが、ロシア政府はそこまで事態がエスカレートすることは望んでいないと見られる。ただし、親露派やロシアの民族派にはマリウーポリ「解放」を要求する勢力があることも事実で、1月24日に初めてマリウーポリ市中心部が砲撃を受けた際には(全欧安保協力機構の監視団はこれを親露派の攻撃であるとしている)、俄に緊張が高まった。
ただ、前述のようにロシア政府は全面戦争へのエスカレートは避けたい構えで、この件については沈黙を守っている。