少人数学級政策の教育効果の不都合な真実

ある中学での体験

 

学校公開期間中であったその学校を見学していると、「今○年○組が学級崩壊しているみたい」という小声が聞こえた。私がそのクラスに行くと、他の教室とは違い、そこだけは教室内に見学者がおらず、代わりに廊下で母親が数人、教室に目をやりながらひそひそ眉を顰めながら話していた。様子がおかしいのは明らかだ。

 

教室内では、若い女性の教師が国語の授業で生徒に短い課題を出していた。学級規模は34人程度で、教室の後ろの方では、何人もの生徒が新聞紙を丸めて投げつけ合ったり、うろうろしたりしていた。私が教室に入り、机の間を歩いていても彼らは気にする様子もなく、私の目の前で紙くずが飛んでいた。教師は、課題をこなそうと努力をしている前列の生徒に声をかけながらクラスの後方に時々目をやるが、その顔は蒼白であった(後で聞いたら新任の先生だったそうだ)。

 

私がそばで紙くずを投げている生徒たちを一喝すると、教室は一気に静まりかえり、落ち着きを取り戻した。しかし、紙くずを投げていた生徒は机に突っ伏してしまった。尋ねると教科書もノートも持って来ていないという。一方、静かになった環境で、教師の目線は、勉強しようと努力していた生徒の方にのみ向かい続けていた。短い時間とはいえ、教室内の「学習の格差は広がった」のだ。落ち着きのある教室で学ぶ便益を最も享受したのは勉強意欲のある子たちであった。

 

経験の乏しい教師が、落ち着きのない教室の犠牲になっていた子の方に注力をするのはある意味当然である。教師は「収益率の高い方に投資」したのであり、学習意欲に乏しい生徒に対するスキルの不足する教師の最適行動として理論的にも説明可能だ。それを学校単位で考えれば、学習の動機付けの高い生徒の集まる学校が少人数学級の便益を多く受けることになり、我々の分析結果と矛盾しない(注5)。

 

(注5)一方、公平性達成へのコミットメントとそのためのスキルのある教師を想定すれば、逆の結果が出る可能性も導かれる。

 

少人数学級が制度化されれば、長期的には少人数学級向けの教授法が浸透し、一人一人に目が行き届くので、意欲に乏しい子どもにもきめ細かい指導ができるはず、という議論もあるだろう。しかしその主張は、担当する教員に相応のスキルと覚悟、すなわち、学習意欲に乏しい子どもの底上げへのコミットメントを要求している。きめの細かい指導を任せられたときに、誰にもっとも労力を割くかは教師次第であり、その動機づけ次第である。つまり、少人数学級だけで格差の縮小が進むわけではなく、教師の力量と動機付けの維持とが鍵となる。(注6)

 

(注6)山崎博敏(2014)は教育学でもそのような視点の研究は始まっていることを示している。

 

 

「不都合な真実」

 

しかし、少人数学級の一律の推進と教師の力量の向上は、トレードオフである可能性も高い。筆者はある自治体の教育委員会関係者から、「トップの意向で少人数学級の導入が機械的に進められると質の高い教員の確保が難しい」との意見を聞いたこともある。毎年のように少人数学級を大幅に拡大する場合、「採用者の質が下がることは否定できない」という。量は質を駆逐するのだ。(注7)

 

(注7)苅谷剛彦(2006)もこのことを指摘している。

 

少人数学級の推進は市民にアピールしやすい政策であるため、選挙公約に好んで用いられる。しかし、その実現のためには相当数の教員を毎年新規雇用せざるを得ない。団塊世代の大量退職を埋めながら少人数学級を推進するために、教員採用倍率の高くない自治体では新規採用の質の維持に悩んでいるはずだ。ほとんどの教育関係者がそのことに気づいているはずだが、表では口がさけても言えないかもしれない。

 

少人数学級が全国一律に一気に進むことで、一人一人の生徒に教員の目が行き届き、教室が落ち着き、学習の底上げが進み、教育格差が縮小する、という可能性を、私は否定するつもりは全くない。しかし、教員の質が下がり、学校間や教室内での学習の格差が進むことも、また十分にありうる。その可能性こそ、少人数学級制度の推進を素朴に希望する人に知っておいてほしい「不都合な真実」だ。

 

私も、「他に何もマイナス影響がないのであれば」少人数学級は悪いことではないと素朴に思う。しかし以上の点を考えると、少人数学級制度の一律の推進は、私が学校教育の改善の中で最も望むことではない。望みたいことは他にいくらでもある。

 

 

教育界のタブーに

 

筆者らの研究に対しては、行政や教育関係者から反論を予想していたが、全く外れてしまった。そもそも、「35人学級は必要か」と疑問を投げかけること自体が、教育界のタブーになっている。明示的に反論しようとすると、自らデータをオープンにし、身を切る覚悟で政策の検証をしなければならない。そのような論争に参加することは「少人数学級の効果には論争がある」ことを自ら認めてしまう行為なのかもしれない。

 

しかし、世界では、学校別どころか生徒個人データもビッグデータ・オープンデータ化し、研究者と行政担当者間での分析と論争を奨励する方向にある。学校別平均点の公開の是非で綱引きをしている我が国ははるかに遅れている。全国学テで子ども一人一人の学力の伸びを測る仕組みも実現してない。

 

「エビデンスに基づく教育政策」とは、文字通りエビデンスから現実を学び、政策を構想することだ。たとえそのエビデンスが曖昧で矛盾を含んでいても、真実はそこに潜んでいる。我々の研究はさまざまな論点を提示しているものの、ごく小さな出発点に過ぎない。タブーに縛られて論争を避けていたら、我が国の教育政策は袋小路から出られないであろう。

 

Akabayashi, H. and R. Nakamura. 2014. “Can Small Class Policy Close the Gap? An Empirical Analysis of Class Size Effects in Japan.” Japanese Economic Review 65(3):253–281.

Angrist, J. D. and V. Lavy. 1999. “Using Maimonides’ Rule to Estimate the Effect of Class Size on Scholastic Achievement.” Quarterly Journal of Economics. 114(2): 533–575.

Bressoux, P., F. Kramarz and C. Prost. 2009. “Teachers’ Training, Class Size and Students’ Outcomes: Learning from Administrative Forecasting Mistakes.” Economic Journal. 119(536): 540–561.

Konstantopoulos, S. 2008. “Do Small Classes Reduce the Achievement Gap between Low and High Achievers? Evidence from Project STAR.” Elementary School Journal. 108(4): 275–291.

Lazear, E.P. 2001. “Educational Production.” Quarterly Journal of Economics. 116(3): 777-803.

苅谷剛彦2006「義務教育の地殻変動と『学力』問題のゆくえ」東京大学大学院教育学研究科基礎学力研究開発センター(編)『日本の教育と基礎学力』明石書店 所収.
山崎博敏(編)2014『学級規模と指導方法の社会学:実態と教育効果』東信堂.

 

サムネイル「Heiwa elementary school 平和小学校 _17」ajari

 

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