福島第一原発事故では、1号機から3号機の原子炉が相次いでメルトダウンした。そして、1号機と3号機は水素爆発を起こして、大量のがれきを散乱させ、原子炉建屋の骨組みが剥き出しになるという無残な姿をさらした。これに対して2号機は、水素爆発を免れ、ブローアウトパネルと呼ばれる最上階フロアに設置された通気孔が開いているのを除いて、その佇まいは事故前とほとんど変わらない。
しかし、この2号機こそが、吉田昌郎福島第一原発所長に「死ぬかと思った」と言わしめた「主戦場」となった。2号機が危機を迎えた3月15日未明、2号機の原子炉格納容器は破損し、大量の放射性物質が飛散したと考えられている。「東日本壊滅の危機」に最も近づいたとされる「恐怖の瞬間」とはいかなるものだったのか。
2号機の危機を克明に描いた、『メルトダウン連鎖の真相』(講談社)の 第7章を3回にわたって転載する。今回は連載の第2回目。
2号機のジレンマ 4号機爆発まで 14時間44分
2号機への注水ラインが整った午後3時半すぎ。免震棟はジレンマに陥っていた。
待ちに待った注水ラインが完成し、吉田以下免震棟の誰もが、一刻も早く2号機への消防注水を開始したかった。そのためには、原子炉の圧力を下げなければいけなかった。
ところが、その減圧作業にすぐに入れない問題が生じていたのだ。
原子炉は通常70気圧ある。これに対して、消防車のポンプは9気圧前後のため、原子炉の圧力を大幅に下げなければならない。そのために、SR弁と呼ばれる主蒸気逃がし安全弁を開いて、原子炉の高圧の水蒸気を格納容器に逃がしてやる必要があった。通常、SR弁が開くと、原子炉から抜けた高温の水蒸気は、格納容器の下部にあるサプレッションチェンバー(圧力抑制室)と呼ばれる巨大なドーナツ型の設備にたまる、およそ3000トンもの冷却水によって冷やされ、水に凝縮される。高温高圧の水蒸気が流れ込んでも、格納容器の温度を一定に保ち、圧力を維持するための仕組みだった。
しかし、このとき、2号機のサプレッションチェンバーに異変が起きていた。想定外の運用を続けてきた結果、水温149℃、圧力4・8気圧と、設計段階の最高想定を超える異常な高温高圧状態になっていたのだ。
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