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【スポーツ】

<首都スポ>東洋大の服部が初マラソン 箱根駅伝戦士が22日の東京走る

2015年2月4日 紙面から

東京マラソンに向け、トラックを走り込む東洋大の服部勇馬=埼玉県川越市の東洋大学川越キャンパス(斉藤直己撮影)

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 陸上の世界選手権(8月、北京)代表選考会を兼ねた東京マラソン(22日)で初めて42・195キロに挑む東洋大3年の服部勇馬(21)が3日、埼玉県川越市内の同大グラウンドで練習を公開した。1カ月前の箱根駅伝で2区区間賞の激走を見せた際に左大腿(だいたい)部を傷め、その後も右アキレスけんを負傷。練習は予定通りに消化できていないというが、2020年東京五輪でメダル獲得の大目標を果たすためにも出場を決断。2時間10分を切る積極的なレースで夢を現実に変える。 (千葉亨)

 箱根駅伝だけでなく、マラソンでも戦う服部勇馬のチャレンジがいよいよ始まる。この日、東洋大で開かれた会見で「5年後の東京五輪でメダルを取る最終目標から逆算すると、今年からマラソンをやらなければならなかった」とあらためて宣言。そのためのステップとなる来年のリオデジャネイロ五輪選考レースも見据え、大学3年からマラソンを始める決断をした。

 実は高3の時からマラソンへの熱い思いを抱いていた。11年11月に行われた大学入試の際に勇馬は「世界に通用するマラソン選手になりたいです」と決意表明。これに酒井俊幸監督(38)は「よし、男服部、世界を目指そう!!」と応じ、在学中のマラソンデビューが決まったのだ。

 おぼろげな計画が実行段階へと移ったのは昨年4月だった。その2カ月前の熊日30キロロード(熊本)で1時間28分52秒の学生新記録をマーク。酒井監督も「瀬古利彦さんと同じようなタイム(1981年青梅マラソンで1時間29分32秒)だったし、それまで学生記録だった設楽啓太(前東洋大)のタイムより1分以上速い。マラソンをやらせる土台はできた」とついにゴーサインを出した。

 本格的なマラソン練習には昨夏の合宿から取り組み、昨年中に40キロの長距離走を2回実施。箱根駅伝で左大腿(だいたい)部を負傷した後にも、千葉県富津市での合宿で2回の40キロ走を行った。うち1回は2時間10分のハイペースで走り終えたものの、その合宿後に右アキレスけん痛を発症。この日の公開練習でもジョギングを中心とした軽めのメニューに終始したが、だからといってこれまで多くの学生ランナーが挑んできたびわ湖毎日マラソン(3月1日)にスライドするつもりはない。

 「びわ湖と比較するわけではありませんが、東京はワールドマラソンメジャーズにも入っている世界6大マラソン。海外招待選手のレベルも非常に高く、世界の速さを体感するには東京のマラソンが勝っていると判断しました」。さらに大事なのは2つ目の理由で「2020年の五輪は東京での開催。そこを見据えると初マラソンは東京の方がいい。監督にも東京に出たいと自分から言いました」という。

 最終段階で予定した練習を詰めていない不安がないと言えばウソになる。それでも序盤から「先頭でいく」と語り、自己ベスト2時間4分台もいるアフリカ勢を相手に真っ向勝負。たとえ結果的に息切れしたとしても、積極果敢に出て世界のレベルを肌で感じ、リオ五輪、そしてその先の東京五輪につなげる走りを見せる。

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