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「凛として愛」 

 投稿者:桃太郎  投稿日:2014年 2月10日(月)22時28分3秒
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  映画「永遠の0」が、大ヒット上映中(V7)です。
Yahoo映画のレビューコメントをみていますと、多くの人が感動しています。
自虐史観を脱し、日本人が正しい歴史観に見直す時期なのかもしれません。
昭和天皇についても「無知」を卒業して、真実を知るべき時かもしれません。

1.侵略戦争ではないとの証言

(1)アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
https://www.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4&list=PLD211732074E8923A

エドゥアルト・ヴァン・ティン アムステルダム市長
アムステルダム市長で、その後オランダの内務大臣に選ばれたエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)氏の言葉です。(日本ではよく、「サンティン」と誤って呼ばれています)

アジア諸国だけでなく、戦勝国側でも、大東亜戦争における日本の正当性を認める声が上がります。現在、日本に謝罪と賠償を求めているのは、日本と戦っていない中華人民共和¬国(中国共産党)と韓国、北朝鮮の3か国だけです。世界の教養ある人から見れば、日本の「私たち日本が悪でした」という自虐史観は異常に思えるのでしょう。もうこのGHQに押し付けられた嘘だらけの自虐史観を捨てて、真の誇りを取り戻しましょう!
光芒(こうぼう)とは、雲の切れ間から太陽の光が線になって差し込む現象です。

平成三年、日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、市長主催の親善パーティでのエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)の歓迎挨拶を、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、平成6(1994)年3月24日作成したのが、下記である。
「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。
戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。
あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。
何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。
 植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
 本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。
 即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

(2)大東亜戦争の名言集
https://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4

第二次大戦は日本は悪とされていますが、世界はどう評価しているのでしょう?

・マッカーサー(米軍最高司令官)
(日本には)石油が無い、スズが無い、綿が無い、ゴムもない。その供給をすべて絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する。

・トインビー(イギリス歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。


・ラティモア(中華民国顧問)
日本が立派にやり遂げたことは欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである。

・ブン・トモ(インドネシア元情報相)

 「あの戦争は、我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。それなのに、全て日本に背負わせて、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない!!」

・バ・モウ(初代ビルマ首相)

 「我々を白人支配から救い出してくれたのは、日本だった。我々は、大戦終盤に日本を見限ったが、その恩は忘れない。日本ほど、アジアに貢献した国は無い。日本ほど、誤解を受けている国は無い。」

・プラモード(タイ首相)

 「日本のおかげで、アジアは独立できました。日本というお母さんは、母体を壊してまでも、アジア諸国という子供を産んでくれました。今日、アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは、誰のおかげか。それは、自らを殺してまで産んでくれた、日本というお母さんがあったからだ。我々は、お母さんがお産を決意した12月8日を、全ての力を出し尽くし私達の国を産み力尽きた8月15日を、忘れてはならない。」

・ウ・ヌー(ビルマ外相)

 「高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、アジアの独立と民衆の解放に、生命と財産の全てを犠牲にした。その国の名は、『日本』という極東の島国だ。」

・ネール(初代インド首相)

 「彼ら(日本)は、謝罪を必要とする事など、我々にはしていない。それ故インドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。 」

・ジャマル・アリ(インドネシアタイムス会長)

 「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って、歴史とプライドがある。お金を出せなどとは、360年間わが国を支配したオランダにさえ要求しない。」

・アラムシャ(インドネシア陸軍大将)

 「日本には、あと5年頑張って欲しかった。そうすれば中東とアフリカは、もっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカも、こんなに苦しまずにすんだはずだ。 」

・ナセル(第2代エジプト大統領)

 (第三次中東戦争で惨敗後)「アジアには、日本がいた。アラブには、日本がいない。」

2.昭和天皇の表の大義(大東亜共栄圏)と 裏の欲望(金塊強奪と蓄財)

(1)Million Doller Giveaway

2012年末にロシアの大手民放RENでゴールデンタイムに3時間にわたり放送された内容(Million Doller Giveaway)です。

http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-11508464731.html
・・・今日の世界では、日本人は中国大陸で1000万人を虐殺し、残虐なことをしたと言われている。
その数はソビエト戦線で戦死した人数をはるかに上回る。
日本には「Golden Lily」と呼ばれる組織があり、日の丸の旗の下、占領した国中から金塊や宝石、あらゆる価値あるものをかき集めていた。
有史以来、世界の富のほとんどを欧州と中東が有していたが、日本はそれを真似したのである。
天皇は1万トンにもおよぶ金塊やその他財宝を保持していたと言われる。
フィリピンに埋蔵されていた全ての金鉱を採掘し、その額は当時の金額で1兆ドルと言われ、現在の価値では10倍である。
1945年、日本軍がフィリピンから撤退したあと、その金塊はアメリカのEdward LansdaleとSeverino Garciaを中心とした情報部に奪われた。
中国人Jet Leeいわく「中国人が数千年間にわたり集め、保管していた金塊を日本軍が持ち去った。それが日本が中国を侵略した理由だ」と言う。
風水では、ゴールドなどのエネルギーのあるものを一箇所に集めて、さらにエネルギーを高める、という考え方があるからだ。・・・

3.名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)
映画「凛として愛」に出ておられます。

「名越」という姓について・・・(シュメール系のようです)

[注釈]:ついでながら申しますと、元寇の時に元の軍勢(実は司令官だけが蒙古人達で、兵卒の殆どは高麗人)を迎え撃ち日本を護ったのは、弱小豪族・北条氏(北条時宗。「弱小」と言う理由は、名越の大軍が出払った後、鎌倉を北条の手勢だけで護っていたために、新田義貞程度に攻められただけで、あっけなく鎌倉幕府は滅亡したからである)ではなく、日本武尊が伊吹山山中で天皇一族の軍勢の挟み撃ちに会って戦死したその同じ時に天皇一族に攻められて滅亡せられ、名古屋を去って三浦の地に赴き、以来三浦一族に逗子と鎌倉の境目の領地をあてがわれ、そこに「名越[ナゴエ]の館」を構え、後に征夷大将軍・源頼朝、そして執権・北条氏に仕えた名越一族です。「征夷」=「蝦夷を征する」と言う所にも、この政治的・軍事的シュメール一族は鎌倉の時代にもまた蝦夷と対立したようではありますが...。そして鎌倉幕府末期の名越隆家(ナゴヤ・タカイエ)は北条氏から後醍醐天皇を討つ命を受けて京に上り、戦に敗れた。つまりこの時代にもシュメールは天皇を討とうとした。
http://ameblo.jp/314416tg/theme-10077711450.html

4.大日本帝国陸軍畑俊六元帥

大日本帝国陸軍畑俊六元帥の大甥=私・ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派:佐野千遥博士です。
2012-08-01 01:25:17
テーマ:ブログ
ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ロシアの有名人・ドクター佐野千遥
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11317037734.html

結論から先に申し上げます。広島駅近辺で被曝したにも拘らず奇跡的に生き残り昭和20年8月14日10時御前会議直前の3元帥会議で杉山元帥と永野元帥が主戦論を張るなか、畑俊六元帥のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。つまり本土決戦を実行していたなら、更に比べ物にならないくらいの悲惨なる敗戦に至ったであろうが、その本土決戦を避けさせたのは畑俊六(名越俊六)元帥の発言であった。[

私の母・名越澄江[なごや・すみえ]は生前、次男の私に「旧日本帝国陸軍元帥・畑俊六さんは、元々は名越俊六という名前で名越家から畑家に養子に行って畑俊六という名前になりました。何故養子に行ったかと言うと、幕末には会津藩家老の職に納まっていた名越家は、会津戦争で敗れて、北海道に屯田兵として移住する事になったのですが、移住しようとした時点で末っ子の俊六だけは余りに幼過ぎて屯田兵の厳しい生活で生き残れないのではないかと考えて、同じ会津藩の畑家に養子として預けて行ったからでした。その畑俊六元帥は私の叔父に当たります。」と語っていました。

詳しい日本史の教科書には必ず出ている鎌倉幕府末代の北条氏に後醍醐天皇討伐の命を受けた総大将・名越高家[なごや・たかいえ](その時の副官は足利尊氏)の直系子孫が私の母の名越家で、唐傘三本の家紋を持っていました。北条氏とは大した軍勢を擁しておらず、元寇においても、既に火薬を持っていた蒙古の軍勢と正面戦で戦い日本を護ったのは、北条氏からたった一人の養子を貰っただけで北条氏に組み込まれてしまっていた名越[なごや]の軍勢でした。北条氏は名越高家の軍勢が出払ってしまって、北条の手勢だけで鎌倉を護っていた時に新田義貞の軍勢程度に襲われただけで滅亡しました。

私の大叔父の畑俊六元帥(名越俊六)と私の母の家系の名越家はこのように主力軍勢として元寇の時に日本を護った訳ですが、以下にも書かれて有るように、広島原爆投下時に広島駅近辺に居たのにも拘わらず奇跡的に生き残り、昭和20年8月14日10時の御前会議の直前に開かれた3元帥会議にて「杉山元帥と永野元帥が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった」と有るように太平洋戦争末期に本土決戦が不可能である事を昭和天皇に確信させる事により、比べ物にならない程の更に悲惨なる敗戦を避けさせたのは、名越家出身の名越俊六[なごや・しゅんろく]即ち畑俊六元帥だったと言えます。

(私の感想)
昭和天皇は、(アメリカが実験したかった)原爆を落とされるのを「待っていた」
広島にあった第2総軍の総司令部以下全組織は壊滅的な被害を受けた。
総軍の中枢部が崩壊し諸部隊も全滅に近い状態となり、命令系統不全となる。
原爆を経験した第2総軍総司令官:畑俊六には、もはや抗戦意志はなかったと推察。
民間人の大量虐殺(30万人)を、日本帝国の元トップは、「しょうがない」と言っております。「理由を述べよ」

<昭和天皇「原爆はやむをえないことと思っています」発言>
http://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A
 
 
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