“イスラム国”2邦人殺害 国会検証 首相「テロに屈せぬ」と異論封じ
過激派「イスラム国」に邦人2人が殺害されたとみられる事件で、政府対応の検証が国会で本格化する。一つは、エジプト・カイロで「イスラム国と戦う周辺国への支援」を表明した安倍晋三首相の演説の是非。過激派を刺激し、人質の命を危険にさらしたのではないか-。首相は指摘に対して「テロリストに過度な気配りをする必要は全くない」と反論する。「テロに屈しない」というスローガンを前に、正当な指摘や批判がかき消される恐れはないか。
3日の参院予算委員会。共産党の小池晃氏がカイロ演説を取り上げ、「テロに屈することと慎重に言葉を選ぶことは違う。スピーチが人質に危険を与える可能性をどう認識していたか」と問うと、首相は声を荒らげて反論した。
「小池さんの質問は、まるでISIL(イスラム国)を批判してはならないような印象を受ける。まさに、テロリストに私が屈することになる」
予算委は騒然となり、審議は一時中断。小池氏は「テロに屈しない。そのひと言で懸念や批判に耳を貸さなくていいのか」と食い下がったが、やりとりは深まらなかった。
首相はカイロで「イスラム国と戦う周辺国に総額2億ドルの支援を約束する」と述べた。これをイスラム国側は勝手に解釈、1月20日に公開した映像で「日本は十字軍に進んで参加した。2億ドルを支払わなければ2人を殺害する」と予告した。
論点は、政府が邦人2人が人質となっていることを把握しながら、中東の地で「イスラム国と戦う」と表現したことの是非だ。
政府は「人命最優先」と「テロに屈しないこと」の両立を目指した。この姿勢がカイロ演説でも必要だったのではないか、と複数の識者も指摘している。
これは「2人がカードとして使われる可能性を情勢判断して演説を組み立てたのか。国家として優れた情報能力を持っているのか」(外交ジャーナリストの手嶋龍一氏)という問題提起であり、単なる政府批判ではない。テロの脅威が迫る日本にとって、国家の危機管理能力をどう高めるかの課題でもある。
だが、首相は3日の参院予算委で「どういうメッセージを出すべきか。しっかり議論して発出した」と述べるだけで、質問に正面から答えない。「テロリストの思いをいちいち忖度(そんたく)して気を配る、あるいはそれに屈することがあってはならない」と繰り返した。こうした答弁を続ける限り、議論はかみ合わない。
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後藤健二さん(47)とみられる男性の殺害映像が公開された1日、首相が「テロリストたちにその罪を償わせる」と声明を出したことも、国際社会で波紋を呼んでいる。
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)の見出しは「平和主義からの決別、安倍首相が殺人者たちへの復讐(ふくしゅう)(リベンジ)を誓う」。記事は「過激派の暴力に指導者が直面した際、報復の誓いは西欧では普通だろうが、対決を嫌う日本では異例だ」と紹介した。
英BBC放送は「異例の力強い言葉」と報じ、米紙ワシントン・ポストは「日本の国家主義者は、今回の人質危機を軍事強化の口実に使おうとするだろう」とする識者の見方を伝えた。
これらの記事は曲解しているが、首相の声明は確かに踏み込んだ表現だ。政府は英語とアラビア語でも声明を発表し、「償わせる」という部分は英語で「責任を取らせる」と記したが、タイムズ紙やBBCの記事は「代償を払わせる」と強い語調になっている。
首相の真意は「犯人に法の裁きを受けさせる」ことであり、菅義偉官房長官は記者会見で国際刑事裁判所を例に挙げた。だが、世界に影響力を持つ英語メディアの報道は、過激派側に直接届く可能性が高い。
カイロ演説で「戦う」と表明し、声明で「復讐」を誓ったとなれば、過激派がどう受け止めるか。テロに屈しないことと「挑発」は異なる。国会では冷静な検証が求められる。
=2015/02/04付 西日本新聞朝刊=