第19章 菩 薩 涌 出


 第697号  1993年9月8日

日蓮正宗自由通信同盟

創価学会が日寛上人の御本尊授与を決定したことにより
日蓮大聖人の仏法は現代に蘇り天魔・日顕は完全に敗北した

 九月七日午後七時より創価国際友好会館において、第七十回本部幹部会、全国青年部幹部会、第二回SGI世界青年部総会が開かれた。
 この会合において秋谷栄之助創価学会会長は、栃木県の成田宣道・淨圓寺住職より同寺所蔵の第二十六世日寛上人御筆の御本尊を御形木御本尊にし、創価学会から会員に授与していただきたいとの申し出があり、日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟の全員が、その総意をもってそれに賛同している旨の経過が説明された。
 秋谷会長は、この御僧侶方からの申し入れを、
 「学会本部としてはこの信心からの真心からの申し入れを受け、協議を重ね、日寛上人御書写の御本尊を御形木御本尊として、今後、仏法を求める世界の会員の皆さんに授与をしていくことを、本日総務会で正式に決定し、ここに学会による御本尊授与に関する制定を決議いたしました」
 と発表した。なおこの発表は、総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会など創価学会正式機関の決議を得ている。さらに辻参議会議長より、その基調となる宣言「御本尊授与に関する制定」と題する決議文の発表があった。
 つづけて日蓮正宗改革同盟を代表して、工藤玄英・長栄寺住職が「決議文」の骨子を読み上げ、
 「信心と御本尊の偉大な功徳を世界の民衆に教え、事実の上で証明したのは誰でしょうか。それは宗門七百年の歴史上、創価学会歴代会長、なかんずく池田先生と学会員の皆様をおいて他には断じてありません。
 創価学会はまさに仏意仏勅の和合僧団であり、日顕宗が師敵対の邪宗と化した現在、唯一、学会が御本尊を授与する資格を有するのは当然の理であります」
 などと述べた。
 この模様は、衛星中継で全国の会館に集まった創価学会幹部に知らされた。主会場となった東京・千駄ヶ谷の創価国際友好会館はもとより、中継された全国各地の会館においても、創価学会員による大歓喜の拍手が涌いた。
 御本尊授与は、来る十月より全国の定められた創価学会の会館においておこなわれる。今後、創価学会が会員に対し日寛上人の御形木御本尊を授与することにより、日顕は創価学会切り崩しの重大なる手掛かりを失う。
 これまで日顕は、御本尊に関わる権能のすべてが自己の手中にあるかのように錯覚し、法義を無視して専横の限りを尽くしてきた。元来、本化地涌の菩薩に御本尊を伝えることは、第二祖日興上人より大石寺貫首を含む六人の弟子が命じられてきたことである。
 日興上人曰く。
 「此の御筆の御本尊は是れ一閻浮堤に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し」(富士一跡門徒存知の事)
【通解】この日蓮大聖人の御図顕の御本尊は、一閻浮提(全世界)にいまだ流布せず、正法・像法・末法にいまだ弘通していない本尊である。したがって、日興の門下で御本尊を所持している者は、簡単に子孫に譲ったり、弟子等に付属してはならない。同じ所に御安置して六人が一同にお護り申し上げるべきである。ただひたすら、広宣流布の時に、正法を受持した本化国主(上行菩薩を棟梁とする地涌の菩薩)からお尋ねがあるときまで、深く敬い尊重していくべきである。
 
 文中にある「本化国主」について考えるに、「本化」は本化の菩薩たる地涌の菩薩を指し、「国主」とは主権在民の今日にあっては国民一人ひとりである。地涌の菩薩は六万恒河沙を数え、この末法の弘教を主体的に担う菩薩が大衆であることは容易に把握される。
 大衆が国主となっている現代日本は、この地涌の菩薩到来の時が来ていることを示している。
 この主権在民の広宣流布の時が、創価学会の牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長らの“法華経の行者”としての忍難の時を経て到来したことを考え合わせると、感慨深いものがある。
 ところが日顕は、宗開両祖が待望された「本化国主」到来のその時にあたり、法義によらず、みずからの感情に従い「本化国主」たる創価学会員に大御本尊様の御開扉をせず、しかも、その御本尊の書写・下付もおこなわない。これは明らかに宗開両祖の命に背く、破仏法の行為である。
 まして、御本尊を「本化国主」たる地涌の菩薩に伝えることについては、日興上人は“六人一同に守護し奉る可し”と明言されている。決して大石寺貫首一人に託されたものではない。
 ここで“六人”とは和合僧団を責任をもって運営する六人の弟子を示し、言うならば和合僧団の最高意志決定機関である。これはすなわち、御本尊の伝持に関わる権能が、大石寺貫首一人に所有されるものではなく、和合僧団本来の権能に属すことを示している。
 さらに、この日興上人の御文の意にそえば、時来れば御本尊は「本化国主」すなわち地涌の菩薩に伝持されるものであり、伝持された以降の伝持・弘宣に関わる御本尊の権能は、伝持された地涌の菩薩が形成する和合僧団に属するべきものである。
 言うまでもないが、御本尊を所持し伝持・弘宣にかかわる権能を有するのは、日蓮大聖人の教えを奉じ広宣流布に邁進する和合僧団・創価学会である。
 ところが、その御本尊の伝持・弘宣に関する権能を日顕一人が支配し、感情に任せて停止し、和合僧団破壊の道具として使用している。したがって、末法万年広宣流布を目指す真実の和合僧団は、本来、和合僧団に属する御本尊の弘宣に関わる権能の回復をおこなうべきである。
 日顕が大御本尊に創価学会員を御開扉させない、御本尊を書写せず下付しないことは、
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(報恩抄)
【通解】末法の御本仏日蓮大聖人の大慈大悲である南無妙法蓮華経は万年はおろか未来永劫にわたって一切衆生に流れわたるのである。
 
 との仏語を虚妄にしようとの天魔の所為である。まさにこの日顕の狂乱は、仏法を私できるとの増上慢のなせるわざであり、それ故に第六天の魔王に魅入られ悪鬼入其身の姿を現じているのである。
 そもそも日顕が、御開扉を阻み御本尊を下付しないことにより、創価学会員が仏界を涌現させることができず、みずからが仏子の成仏不成仏を決定できると思っていることが、増上慢の増上慢たる所以である。
 まさに、仏法は仏の法であり、久遠元初より未来永劫にわたる不変不滅の定法である。その仏法を日顕ごときが恣意的に操れると考えていること自体に、日顕の仏法に違背した我慢偏執を見いだすものである。
 いかに日顕が御開扉を阻み御本尊を下付せずとも、南無妙法蓮華経を唱える創価学会員の生命には仏界が涌現する。すなわち、その身そのままの姿をもって成仏を現ずることができるのだ。
 日蓮大聖人曰く。
 「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」(法華初心成仏抄)
【通解】我が己心の妙法蓮華経すなわち、末法に御出現の日蓮大聖人の己心の仏性をそのまま顕わしてくださった、三大秘法の御本尊を本尊と崇めたてまつり、信受して南無妙法蓮華経と呼び唱えたときに、呼ばれた己心の仏性を顕わして成仏できるのである。たとえば、籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするように、南無妙法蓮華経と唱えれば己心の仏性も呼ばれて必ず顕れるのである。
 
 口に妙法を呼びたてまつれば、我が身の仏性も呼ばれて必ずあらわれる。
 日顕がどう策謀しようとも、無垢の信心をもって唱題する仏子が成仏することを阻めはしない。南無妙法蓮華経を唱える者が即身成仏するという仏法の道理を示す文証は、御書の随所にある。
 「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(当体義抄)
【通解】しかるに、日蓮の一門は正直に権教方便の邪法・邪師の邪義を捨てて、正直に正法・正師の正義を信ずるが故に当体蓮華を証得して、常寂光の当体の妙理を顕わすことは、本門寿量文底の教主の金言を信じて、南無妙法蓮華経と唱えるからである。
 
 「されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し」(聖愚問答抄)
【通解】それゆえ、一遍この妙法蓮華経を唱えるならば、一切衆生の仏性がみな呼ばれて、ここに集まるとき、我が身中の法・報・応の三身も、ともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのである。たとえば、籠の中にいる鳥の鳴くとき、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる。これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。
 
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(日女御前御返事)
【通解】この御本尊はまったく他所に求めてはならない。ただ、我々衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。
 
 その他、同意の御聖訓は数かぎりない。
 日顕は、これらの御金言をまったく理解できず、御開扉を阻み御本尊の下付をしない。これは、御開扉や御本尊下付をしなければ、創価学会員は成仏できないとあわてふためき、仏子の団結を解いて天魔の懐に飛び込んでくると、日顕が考えていたからである。
 このように、仏意仏勅の和合僧団である創価学会を破壊するために日顕が立案した作戦そのものが、反仏法の論理を基盤に作られていることに注目すべきである。
 創価学会と日顕宗との戦いは、“仏の教え”対“魔の論理”の全面対決であったのだ。しかも、その“魔の論理”が、日蓮大聖人御図顕の大御本尊様を和合僧団破壊の最大武器としてきた。添書登山しかり、御本尊下付の停止しかりである。
 今回、末法の広宣流布を御本仏日蓮大聖人より命じられた仏意仏勅の和合僧団である創価学会が、みずから御本尊を授与することは、日顕が“魔の論理”に基づき、考え抜いた創価学会破壊の作戦を本源から突き崩すものであった。
 ここに魔の跳梁は封じられ、葬式仏教、形式仏教の鉄鎖から仏子らは、ついに解放されたのである。真実、日蓮大聖人の仏法は現代に蘇り、世界人類救済の未来が切り開かれたといえる。
 日蓮大聖人は御本尊を御図顕され唱題する対境と定め、成仏の「所縁の境」とされた。日蓮大聖人が御本尊を御図顕された元意は、あくまで民衆救済を願ってのことであった。創価学会が御本尊を授与することは仏意に適ったことである。
 日蓮大聖人曰く。
 「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う、四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり」(観心本尊抄)
【通解】一念三千を識らない末法の我々衆生に対して久遠元初の御本仏である日蓮大聖人は大慈悲を起こされ、妙法五字に一念三千の珠をつつみ独一本門の大御本尊として末代幼稚の者たちの首に懸けさせたのである。四大菩薩がこれらの衆生を守護することは、太公望および周公旦が文王を補佐して助け、周の国家を築いたことや、綺里季・東園公・夏黄公・かく*里先生の四人が恵帝に仕え補佐したのと異ならないのである。
 
 (筆者注 文中の秋谷会長、工藤住職の発言についての文責は筆者にあります。先号までの「仏勅」シリーズの連載は状況をみて再開いたします)

     申し出書
 私は、日顕が一方的に学会を破門するなどの一連の経過、とりわけ御本尊下付を停止した暴挙に強い憤りを覚え、熟慮の末、昨平成四年十一月、淨圓寺として離脱を致しました。
 御本仏大聖人のご生涯は、「広宣流布」に貫かれたお振舞であられ、その御心は「民衆救済」の一語に尽きるといえます。
 大慈大悲の大聖人様が、民衆の求道の心を踏みにじり、広宣流布の流れを阻害するようなことをお知りになれば、これを絶対に許されるはずがなく、いかばかりか嘆かれ、お怒りであろうかと、胸が張り裂ける思いでありました。
 「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」と仰せられた宗祖の御聖意に背くことを何よりも恐れるのです。
 もとより、こうした御本尊下付停止という非道の処置にも、学会員の皆様の信心は、いささかも揺るがず、池田名誉会長を中心に尚一層、日本や世界の各地で力強く「広宣流布」を進められている姿を目のあたりにして、私は深い感動を覚えました。
 このように広宣流布への信心を貫いている創価学会の皆様こそ、真に一閻浮提総与の大御本尊を拝する資格を持った正信と求道の方々であると確信するのであります。
 私は、「広宣流布」を願う信心の上から、この健気な学会員の皆様に何とかお応えしたいと願う日々でありました。
 そこで、私は、開基六百九十年の古刹・当淨圓寺に御宝物として所蔵しております、二十六世日寛上人御書写(享保五年)の由緒ある「御本尊」を学会員の皆様に御形木御本尊として授与していただくことが、最良最善の道であり、大聖人様が最もお喜びになられると確信するに至った次第であります。
 この旨、日蓮正宗改革同盟の同志にも諮り、全員の賛同を得ることができましたので、ここに貴会に対して願い出るものであります。
 広宣流布のために、求道心に溢れる学会員の皆様に思う存分に拝していただきたい――この私の信心の上からの申し出をお受けいただければ、これに勝るよろこびはございません。
                        以上
 平成五年六月六日
  淨圓寺住職 成田宣道

 創価学会会長 秋谷栄之助殿

     決議文
 私ども日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟は、全員の総意をもって次の三項目を決議するものであります。
 一、私どもは、栃木県・淨圓寺住職の成田宣道氏が創価学会に対し、同寺所蔵の第二十六世日寛上人御筆の御本尊をお形木御本尊にし、創価学会から会員の方々に授与していただきたい旨の申し出をされたことにつき、心から敬意と全面的な賛意を表する。
 一、成田氏の発願は、私ども全員の願いであり、私どもの総意として、創価学会において是非ともこの申し出をお受けいただきたいと、強く念願する。
 一、創価学会は、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布に進む唯一の和合僧団であるがゆえに、大聖人の「信心の血脈」を承継する学会には、このお形木御本尊を授与する資格が備わっており、それは大聖人の御心に適った聖業であることを宣明する。
 そもそも、日顕及び宗門は、一昨年、不当にも創価学会を「破門」し、そのうえ、学会員に対する御本尊の下付を停止しました。これまさに、全世界の民衆の成仏のために、幾多の大難を忍ばれ「一閻浮提総与」の大御本尊を顕された、御本仏・日蓮大聖人の大慈大悲の御心に敵対する、天魔の所為に他なりません。
 もとより、大聖人が「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書一二四四頁)と仰せのごとく、本来、御本尊は妙法を唱える人自身の胸中に存するものであります。なれば、大聖人の御心に適う信心の一念があれば、たとえ御本尊を直接拝せなくとも、仏界涌現の功徳は、厳然と顕れるのであります。
 しかしながら、大聖人が末法万年にわたり門下の信心修行の根幹として「所縁の境」となる御本尊を建立された深い御聖意を思えば、やはり修行の「対境」として顕された御本尊を拝することによって、一層各人の揺るがぬ信心が確立され、それにより一生成仏の道、広宣流布の確たる道が開けるのであります。
 しかるに、広宣流布への信行に励む創価学会員に対し、この信仰の根幹たる御本尊の下付が停止されている現状は、大聖人の御心からは全くかけ離れた異常事態であり、まことに非道極まりなく、憂慮すべき事態と言わざるを得ません。
 私ども一同は、創価学会の同志の方々が安心して信心に励むことができ、そして世界広宣流布の大いなる発展のためにも、この事態を打開すべく、真剣に大聖人の御照覧あるを祈ってまいりました。
 かかるところ、本年三月、淨圓寺住職の成田宣道氏より、「淨圓寺の寺宝の中に、第二十六世日寛上人が享保五年(一七二〇年)に認められた御本尊がある。できれば、この御本尊をお形木御本尊にし、創価学会から会員の方々に授与していただきたい。その旨を創価学会に申し入れたい」との提案がなされました。
 早速、一同で検討を重ねた結果、成田氏の発願は全員の願いとも合致しており、成田氏とともに、この御本尊授与の実現を責任をもって進めるべきであるとの結論に達したのであります。
 その後、成田氏は改革同盟の総意も踏まえ、創価学会に、この御本尊を授与し広宣流布を進めていただきたいと申し入れをした次第であります。
 今般、創価学会が淨圓寺蔵・日寛上人御筆の御本尊を授与し広宣流布の一層の進展を期すことについて、私どもが全面的に賛意を表するのは、以下の理由によるものであります。
 第一には、創価学会こそ、広宣流布を目指す仏意仏勅の唯一の和合僧団であり、「僧宝」の意義の上から、御本尊授与の資格を有するからであります。
 かつて日淳上人が「創価学会の出現によつて、もつて起つた仏縁に唯ならないものがある」と称えられ、また日達上人も「一大和合僧団創価学会」と仰せになられておりますが、御書に照らし、経文に照らし、現実の実証に照らして、創価学会が広宣流布を担う仏勅の和合僧団であることは疑いのない事実であります。
 また仏法僧の「三宝」のうちの「僧宝」とは、別して日興上人御一人であられますが、総じては、広宣流布に進む全ての僧俗が信心・行躰の如何によって「僧宝」の一分に加えられます。
 ましてや、今日未曾有の世界広布の歴史を築いた創価学会こそ、「僧宝」の重要な意義が存することは自明であり、それゆえに令法久住の上からも、創価学会が御本尊を授与する資格を有することは、当然の理といえるのであります。
 第二に、本来、仏法の法義の上からいえば、「法主」が御本尊に関する権能を不当に独占する根拠はなく、とくに御本仏・大聖人との「信心の血脈」を失った日顕には、もはや御本仏を書写し授与する資格はないからであります。
 宗門の一部では、法主が御本尊の権能を独占する根拠として「法体の血脈」を受けるのは法主のみ、と説いておりますが、これは大なる誤りであります。
 「法体の血脈」というとき、その「法体」とは本門戒壇の大御本尊以外には有り得ません。ゆえに、日寛上人が「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり(中略)題目の力用に由るなり」(『日寛上人文段集』六八三頁)と示されている通り、一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって、「法体の血脈」を受けられるのであります。
 結局、大聖人が「生死一大事血脈抄」にお示しのごとく、「血脈」とは「信心」に他ならないのであります。
 したがって、「法体」すなわち「本尊」は法主だけの専有物ではなく、信をもって求める万人に開かれたものであり、大聖人の仏法の法義の上からは、法主だけが御本尊の権能を独占する根拠はどこにもないのであります。
 そのうえ、古来より神秘的にとらえられてきた「血脈相承」の内容についても、いわゆる「相伝書」の類はすでに内外に公開され、今では法主一人に伝わる法門など存在しておりません。
 しかるに、日顕は大聖人への「信心」を失い、法主本仏論ともいうべき大邪義を横行させ、ことごとく御書に違背しました。なかんずく、創価学会を不当に「破門」し、実質的に大聖人の御遺命たる広宣流布を否定して、「師弟」の道を踏み外したのであります。このような法主に、大聖人の「信心の血脈」が流れているはずがありません。
 第三に、大聖人直結の信心を貫かれた日寛上人の御本尊は、創価学会が授与するにふさわしい御本尊であるということであります。今回のお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊を御書写されたものであり、「大御本尊根本」の信心は、従来といささかも変わりありません。
 日寛上人は、大聖人滅後の邪義が横行する中、未来の広宣流布を願って、大聖人の原点に立ち還って教学を体系化された方であります。前人未踏の世界広布を目指す創価学会の信心は、日寛上人の「大聖人直結」「御本尊根本」「広布根本」の信心に符合しており、私どもは日寛上人の御本尊がまさに時をえて出現されたのだ、とひとしおの感慨を覚えるものであります。
 「信心の血脈」が脈打つ創価学会が授与する御本尊なればこそ、拝する側の「信力」「行力」によって、無限の「仏力」「法力」が顕れることは明らかであります。また、今回の学会の御本尊授与も、「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書三二九頁)と仰せのごとく、ひとえに大聖人の大慈悲によるところの仏法上の必然的な「時」の流れであると拝察するものであります。
 このたび、創価学会が日寛上人のお形木御本尊を会員各位へ授与されることにより、多くの同志の方々がますます信心の確信を深め、より一層世界広布が進むことは間違いなく、広宣流布と仏子に奉仕すべき私ども僧侶の立場として、これ以上の喜びはありません。
 よって、日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟の僧侶三十名は、本日ここに全員の総意を再確認し、本「決議文」を認め内外に表明するものであります。
 平成五年八月二十三日

     御本尊授与に関する制定
 創価学会は、先般、栃木・淨圓寺の成田宣道住職より申し出のあった同寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を、御形木御本尊として、今後、全世界の会員に授与していくことを、総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会の決議を経て、ここに制定する。
 日蓮大聖人いわく、「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、……信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(生死一大事血脈抄)と。
 創価学会は三代会長の指導の下、御本仏日蓮大聖人の御遺命のまま、一閻浮提総与の大御本尊に対する強盛な信心と果敢な実践により、今日の世界広布の大潮流をつくり、御本尊の偉大な功力を実証してきた。
 これこそ、まさに、閻浮提広宣流布を願われた大聖人の御心に適う信心の姿であり、大聖人の「信心の血脈」が創価学会に脈々と流れ来たっている証左である。
 しかるに日顕は、この創価学会を破壊し、信徒を自らの意のままに従属させようと企て、法主の権威・権力を恣に、学会を破門し、御本尊下付を停止するという、宗開両祖に根本から背く不当極まりない措置に及んだ。
 そのうえ、自らは禅寺に墓を建立する等の数々の大謗法を犯すとともに、聖職者にあるまじき贅沢と遊蕩に耽り、仏法を自ら破壊したのである。
 このような日顕に、もはや「信心の血脈」なきことは明らかであり、大聖人の仏法の本義に照らし、法主の資格も、大御本尊伝持の資格もないことは言うまでもない。
 まさしく現代にあって「信心の血脈」を継承しているのは、御本仏日蓮大聖人の仰せのとおり信心を貫き、広布に挺身する創価学会以外にない。
 折から、全世界の仏法求道のメンバーより、日顕の御本尊下付停止という広布破壊の暴挙に怒り、御本尊を求める声が澎湃として沸き起こってきた。
 このような時にあたり、栃木・淨圓寺の成田宣道住職ならびに日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟より、同寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を御形木御本尊として学会員に授与し、存分に拝していただきたいとの、信心の真心あふれる申し出があった。
 創価学会は、この申し出を、「信心の血脈」を受け継ぐ和合僧団の資格において受け、会員に授与していくことを、ここに決定するものである。
 この度、授与される御本尊は、広宣流布を深く願い、「大聖人直結」「御本尊根本」の正道を貫かれた日寛上人が、享保五年(一七二〇年)に書写され、淨圓寺に授与された御本尊である。
 かつて草創期においても、会員は日寛上人の御形木御本尊を拝していた。まさに世界広宣流布が大きく開かれた今この時に、創価学会が日寛上人の御本尊を会員に授与するようになったのは、不思議な縁と言うほかない。
 もとより、日蓮大聖人の仏法にあっては、一心に本尊を信じ奉り自行化他にわたって題目を唱える受持信行の人にこそ、本尊の無量の功徳が具わるのである。今後も、この信心をいやまして高め、更に世界広宣流布へ邁進しゆくことを誓い合いたい。
 平成五年九月七日
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