クレージー作戦 先手必勝 (1963)監督・久松静児 |
開始より0:17(東京都世田谷区用賀4丁目) |
「待った、待った、待った、その喧嘩待った!まあまあまあ、双方のお腹立ち、もっともでございますが、ここは大道、諸人の迷惑、交通の妨害、ひいては警察の介入ともなれば双方さんともブタ箱のご厄介、どのみち喧嘩は得のいくもんじゃございません。ここはあっしに任せちゃくれやせんか」
勤めていた会社をクビになり、口八丁手八丁の上田ヒトシ(植木等)が始めた商売は資本いらずの「よろずまとめ屋」。 世の中に多々ある「もめ事」の仲裁を買って出る。 上田は仲間の安井(安田伸)と、とある街を歩いていると早速喧嘩をしている二人を見つける。 |
(撮影・2014・10・14) ↑ 正面の店は当時、食堂だったようだ、現在、業種は変わっているが、建て替えられてはいないようだ。その右隣に見える理容店は現在も営業が続けられている。改装はされているようだが、ドアや窓枠の基本的な形状は変えていない。 (撮影・2014・10・14) ↑ その先の広い空地のような場所で喧嘩をしている二人。砂利や石が置いてあるのが見える。 背景にはやはり広い敷地に資材置場のような屋根が。近くには何やら線路のような二本の線が見える。 現在はこの変わり様。バスターミナルと高層ビル(世田谷ビジネススクエア)がそびえ立つ。 (撮影・2014・10・14) ↑ 上田らが喧嘩の仲裁に入ろうとすると、上手をいく仲裁屋が現れる。「喧嘩頂戴業」を名乗る花木(ハナ肇)だ。 背景に見える映画館「用賀新東宝」は薬局に、「用賀ストアー」は銀行になっている。「用賀ストアー」の角から向こうに伸びる道路が現状と合致するのが分かる。 (撮影・2014・10・14) ↑ やはり背景に「用賀新東宝」。その右に見える二軒の商店が、先ほど上田たちが前を通った食堂と理容店。(矢印) ここが何処でロケされたのかは、テレビ放送で初めて観た時から気になってしかたがなかった。 背景に「用賀新東宝」という映画館が映り、その左隣には「用賀ストアー」という食料品店(あるいは当時よくみられた何軒かの店が集まった食品マーケットかもしれない)が映る。その手前はかなりな面積の空地のような状態。石材や砂利が置いてある。「用賀新東宝」「用賀ストアー」という看板から考えれば世田谷区の用賀なのだろう。しかし検索サイトでは「用賀新東宝」「用賀ストアー」の情報が出てこない。映画館については、かつて用賀に映画館があったことまでは分かった。映画館はその後廃業してストリップ劇場になったという記述もみつかった。しかし場所の特定にまでは至らず、気にはなっているものの、詳細は不明の状態だった。 そこへ「喜劇駅前団地」ではお世話になったSさんからのご連絡。ロケ地の詳細が分かった。 やはりここは世田谷区用賀で間違いなし。当時は東急玉川線(通称「玉電」)「用賀停留所」から近い場所だ。玉電は1969年に廃止されているが、現在は東急田園都市線の「用賀駅」(地下駅)が通っている。 「用賀」に馴染みの無い人でも、その地名は首都高とつながる東名高速の起点として名高いと思う。 やっぱり用賀だったのか。 行ってみた。植木と同じように床屋と食堂だった建物の前を通って広場に出る。眼前に整備された広場やバスターミナルと高層建築。おお、ここだったのか 、という感慨は大きい。 映画のロケシーンの中で「ここはいったい何処なんだろう」という興味から始まったこの聖地巡礼なのだが、このシーンの場所などは、まさにそういった興味を、とてもかきたたせてくれる場所なのだ。 喧嘩をしている場面に映る二本の線は、玉電から分岐してこの敷地に入る引込線。 映画撮影当時は、付近を流れる多摩川で採れた砂利を、この引込線に貨物電車が入り建設資材として運んだらしい。その貨物電車を「砂利電」と呼んだという。 この敷地は将来、玉電の車両基地として整備する計画だったが、実現することなく玉電は廃止になった。 (協力・「1960年代の百合小と百合丘」さん 文中・Sさん) より大きな地図で クレージー作戦 先手必勝 を表示 「用賀新東宝」の入口には、上映中、あるいは上映予定の作品が描かれた看板が掲げられている。 6本の作品名が見えるので試みに判読し、調べてみた。6本とも新東宝作品ではない。 ⚫︎「売春姉妹の告白」 (1956 アメリカ)(1963大蔵映画配給) 監督 W・マール・コンネル ⚫︎「悩殺女体絵巻」 (1963 大蔵映画) 出演 一条ゆかり 三原葉子 ⚫︎「海女の怪真珠」 (1963 大蔵映画、東方影業社(台湾)合作) 出演 梅若正二 泉京子 監督 小林悟 ⚫︎「ギャング対Gメン」 (1962 東映) 出演 鶴田浩二 梅宮辰夫 千葉真一 監督 深作欣二 ⚫︎「望郷の海」 (1962 日活) 出演 小林旭 金子信雄 監督 古川卓巳 ⚫︎「激しい河」 (1962 日活) 出演 高橋英樹 和泉雅子 監督 牛原陽一 調べてみると、「売春姉妹の告白」「悩殺女体絵巻」「海女の怪真珠」の三本併映は大蔵映画1963年のお正月興行であったようだ。 「クレージー作戦 先手必勝」は1963年3月24日公開なので、これは撮影時期的に不都合はない。 大蔵映画は新東宝の取締役、大蔵貢が退陣して設立した会社である。1961年に倒産した新東宝からの配給がとだえた後の「用賀新東宝」は、大蔵映画作品を封切り館として上映し、東映、日活など他社作品は製作年から推定して、いわゆる二番館(封切館の後で遅れて上映する映画館)として上映していたのではないかと思う。 それにしても大蔵映画、タイトルがいいいよなあ! 用賀部分動画 |
巡礼メモ 1 |
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放置自転車の指導員をされている方がいらしたので声をかけさせていただいた。 「用賀には長くお住まいなのでしょうか」 「もう60年くらいになりますよ」 「ここが昔は映画館だったということを聞いたのですが」 「そうそう、ここは映画館でね、その後、アレになっちゃってね」 「ストリップですか?」 「そうそう」 「映画館の時はどんな映画をやっていたんでしょう」 「天地茂とかね、そういうやつだったな」 ああ、もう間違いない。ここが「用賀新東宝」だ。 (撮影・2014・10・14) |
巡礼メモ 2 |
この撮影地が不明だった頃、ここはもしかしたらオープンセットなのではないか、と疑ったことがあった。 オープンセットというより撮影所の敷地内。まず喧嘩をしている空地はその時使用されていなかった撮影所内。セット製作の材料、あるいは廃材が散乱している。「用賀新東宝」の建物はスタジオの外壁に看板などを取り付け、それらしく見せている。看板はリアルに汚され、「用賀新東宝」の「宝」の文字は切り抜き文字がとれてしまっているなど芸が細かい。「大衆食堂」の看板は屋号も書かれておらず、いかにも架空。「用賀ストアー」は白地に黒ペンキのごく簡単なデザイン。ここはあまり手をかけなかったようだ。 本気でそれも有り得ると推測していた。何故ここを用賀に見せたかったのかは理由がわからなかったが。 ちなみにこの作品に下に示したようなシーンがある。お祭りのお神輿が商店街を練り歩くシーン。これ実はオープンセット。とてもよく出来ている。ここまでセットにこだわるのなら、用賀のシーンもオープンセット? と考えても無理もない。と言い訳したい。 |
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開始より0:26(東京都渋谷区恵比寿西2丁目) |
仲間はさらに増え、クレージーの7人プラス紅一点、中山(中尾ミエ)の8人になり、「よろずまとめ屋」の事務所を構えることになるシーン。 黄色い電車が走っている。この線路脇に事務所がある。黄色い電車は総武線ではなく山手線だ。黄色だった山手線の車両はこの作品公開の1963年から順次、そのままの色で総武線に転属にななり、山手線はグリーンの新型車両に入れ替わっていく。しかしこの場面ではまだこの黄色い山手線が写っている。方向幕には「山手」と表示されている。 遠景に鉄橋が交差しているのが見える。 |
(撮影・2013・02・24) 「ここで間違いないと思います」 「麻布 田能久」さんからメールをいただいた。 渋谷と恵比寿の中間くらいの所かあ! 遠景に見える鉄橋は東急東横線が渋谷を出て山手線を跨ぐ鉄橋だ。 現在写真の東横線鉄橋部分を拡大してみた。 かろうじて鉄橋が見える。葉の茂る季節だったら見えないかもしれない。 拡大してみたら、偶然東横線が通過中だったことに気付いた。東横線はこの写真撮影日の約3週間後の3月16日、渋谷から代官山間が地下化されることになる。 今でこそ恵比寿にオフィスを構える、といったら大したものなのだが、作品では洗濯物やふとんが干してあるといった演出がされていて、事務所といった場所ではない、という描き方になっている。 (協力・「麻布 田能久」 さん) |
巡礼メモ 3 |
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このシーンの巡礼に出かけたのは東横線が地下化させるのが間近い快晴の日曜日。東横線の渋谷駅をはじめ、いたるところでカメラを持った鉄道ファンの方を見かけた。 この写真は山手線と東横線が交差する件の場所。ちょうど山手、東横、両電車が通過している。そしてそのすぐ近くにある山手線をまたぐ歩道橋の階段には鈴なりの鉄道ファン。 (撮影・2013・02・24) |
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開始より0:40(神奈川県川崎市麻生区百合丘1丁目・小田急線百合ケ丘駅付近) |
「駅前商店街をボイコットしましょう〜! お願いしま〜す!」
ある日、彼らが嗅ぎ付けたもめ事は、団地マダム達と商店街とのもめ事。 団地マダム達がトラックの荷台に乗り、ボイコットを叫びながら地元商店街を走行して行く。 ここはどうやら新駅として開業してそれほど年月が経っていない小田急線百合ケ丘駅(1960年3月25日開業)の駅前商店街のようだ。 駅前走行シーンは、この1カットだけ。わずか数秒。 しかし、この1カットが実はちょっと不思議な1カットなのだ。 |
(撮影・2013・02・03) さすがに商店街ボイコットという場面で本物の商店街を特定しやすい絵にするわけにはいかなかったようだが、 この後の展開からしても、画面に写っている細部を見ても、ここは小田急線の百合ケ丘駅前で間違いないだろう。 細部というのは以下のような点だ。たとえば。 下図で画面に説明を入れてみた。 車に乗った団地マダム達は駅前のやや下り坂と思える道路を走っている。 行く先には手前から順に百合ケ丘駅の二本のホームをつなぐ跨線橋、百合ケ丘駅入口、線路をまたいで南北を結ぶ陸橋(高石橋)が写っているように思われる。 走って行く車のすぐ先には駅前ロータリーに入る入口が見え、道路をはさんで反対側には石垣が写っている。現在写真では分かりずらいが現在も石垣がある。 間違いなくここは百合ケ丘駅南口のバス通りだ。百合ケ丘駅の南側から線路越しに百合ケ丘駅の北側方向を見ている。 しかし画面の中で注目してもらいたいのが、線路の向こう側、百合ケ丘駅の北側方向の高台に団地建物が連なっているの様子。 完成して間もない百合丘団地? (百合丘団地は1960年から順次完成) いやいや、百合丘団地はここから見える百合ケ丘駅の北側でなく、南側のはずだ。(聖地巡礼「喜劇 駅前団地」参照) 1974~78年に撮影された航空写真で確認してみた。百合ケ丘駅の北側方面の高台には木造家屋と思われる建物が点在しているだけで、とてもこのような巨大な団地群は存在しない。現在ではけっこう大きいマンションが出来ているが。 ではこの団地群はいったい何? わからない。そんなはずはない。どういうことなんだ。 結論。「合成画面」としか考えられない。百合ケ丘駅前の商店街を車で走るボイコット運動婦人たち。背景には団地。この構図が必要だったのだろう。 それにしてもこの合成画面、あまりによく出来ているので驚く。 青矢印については次のシーンで。 |
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開始より0:40(神奈川県川崎市麻生区百合丘1丁目・小田急線百合ケ丘駅南口前) |
(撮影・2013・02・03) 次に団地マダムたちは、どこか人通りの多い場所で署名運動をしている。ではここは何処なんだろう。 聖地巡礼「喜劇 駅前団地」のロケ地を調べた際に、「弘法松公園」(こうぼうのまつこうえん)の、あの石のベンチがまだそのまま残っていることを教えていただいたMasterJOKERさんから、久しぶりにメールをいただいた。 MasterJOKERさんからのメール。 「おばさまが車で走っていくシーンの停車してるバスの向こうに「市川?産婦人科」という看板が見えますね? そして「人」の字の下に青っぽい十字架マークがみえます。この看板が、この次のシーンでおばさんたちが署名活動をして いる後ろでアップになります。「西生田駅前」という文字と「産婦人科」という文字と、先ほどの青い十字架マークが見えます」 はい、はい、なるほど、なるほど! 団地マダムたちが車で百合ケ丘駅に向かった後、この駅前広場で署名活動を行ったということのようだ。 この産婦人科の看板は当時、線路脇にあった百合ケ丘駅の敷地と、駅前広場との境にあった柵に沿って立てられていたようだ。柵の位置は現在、駅に隣接した商業建物と歩道との境目あたりになるはずで、当時カメラが設置された位置とそれほど違いのない位置で撮影できていると思う。 中央やや右の赤矢印はビル(当時百合ヶ丘ストア、現スーパーゆりストア)のそで看板だ。 この看板、「資生堂化粧品」と書いてあるとMasterJOKERさんは判読された。DVDでは絶対無理。HD放送を録画した「クレージー作戦 先手必勝」を見て、やっと判読できるか、できないか、そんな程度。これを読んだのは凄い!資生堂かあ! この百合ケ丘駅付近は「喜劇 駅前団地」の他、「喜劇 駅前飯店」にも登場する。 両作品とも百合ケ丘駅前のシーンがある。もしかしたらこの看板、写っているかもしれない! ありました!ありました!下図をご覧下さい。 一番左は「クレージー作戦 先手必勝」での団地マダム署名シーンを拡大したもの。 看板の一番上に資生堂のマーク、その下に「資生堂化粧品」。さらにその下に小さく何か書かれているが、さすがにそれは読み取れない。 真ん中は「喜劇 駅前団地」でフランキーが駅前にバーを開店したシーンの拡大。巡査の後ろに看板の下部が写っていて「ヶ丘ストア」と読める。先程読めなかった小さい字がこれだ。「百合ケ丘ストア」と書かれていたのだ。 一番右は「喜劇 駅前飯店」で、やはりフランキーが新規開店する中華飯店の建設予定地を下見に来るシーン。フランキーの後ろに看板が見えている。 「喜劇 駅前団地」(1961) 「喜劇 駅前飯店」(1962) 「クレージー作戦 先手必勝」(1963) 面白いのは、この百合丘が登場する三本の共通しているところ。それは三本とも久松静児監督の作品ということ。 久松監督は駅前シリーズを5本、手がけられている。 そのせいか、この「クレージー作戦 先手必勝」、そこはかとなく駅前シリーズの香りが漂う。 より大きな地図で クレージー作戦 先手必勝 を表示 |
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開始より0:41(神奈川県川崎市麻生区百合丘2丁目・弘法松公園) |
(撮影・2013・02・03) ↑ 団地マダムたち、こんどはどこか公園のような場所で演説している。 ここは当時の百合丘団地に隣接していた弘法松公園(こうぼうのまつこうえん)だ。 「喜劇 駅前団地」では坂本九や久保賢らが登場して、当聖地巡礼ではすでにご紹介した場所だ。 団地マダムたちの代表(沢村貞子)が、「喜劇 駅前団地」で、例の石のベンチがあった公園のてっぺんから下る階段の途中に机を据えて演説をしている。 その下の広くなった場所には何人かの聴衆がいる。 |
(撮影・2013・02・03) ↑ そこに現れた「よろずまとめ屋」のメンバーと商店街の会長。 ここは聴衆のいた広場の南東の角になる。公園に上がる階段があり、広場の柵は材質は変わっているものの、同じ位置にある。 作品の場面の向こうに見える「QR1」と書かれた建物は文化放送の社宅。 |
(撮影・2013・02・03) ↑ 「よろずまとめ屋」を見つけた団地マダムたちが演説のために机を置いた階段を下りて来る。 いやあ、ホントに変わらない。この作品はちょうど50年前の作品。こんなに変わらない所はない。あらためて感動。 たとえば階段の中で目に付く石を比べてみた。ちゃんと一致する。 |
(撮影・2013・02・03) ↑ マダムたちに追い立てられ、あわてて公園から道路につながる階段を下りる谷とハナ。 |
(撮影・2013・02・03) ↑ 商店街側を追い出して気勢をあげるマダムたち。 ここも石の階段、脇の石、変わらない。 弘法松公園、いつまでもこのままでいてほしい。 この公園を取り崩したりする計画が持ち上がったら、ここでタスキがけにプラカードで、反対集会の演説をしてもいい。 |
(撮影・2013・02・03) ↑ 公園を出てさらに逃げる谷とハナ。 この道も、舗装されたり、両脇に建物が建ったりという変化はあるが、道筋は変わらない。 |
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開始より0:44(神奈川県川崎市麻生区百合丘3丁目) |
(撮影・2013・02・03) ↑ ボイコット運動の会合が代表宅で開かれているとの情報で、会長宅に向かう商店街の会長と上田ら「よろずまとめ屋」たち。 ここはどこなのか。会長たちは階段を上がっている。背景に見える団地を見下ろす高台のようだ。画面の左端に弘法松公園が見える。 弘法松公園以外に何か手がかりはないだろうか。 上の場面の数秒手前は下のような場面だ。 あった、あった。団地の棟の一つに「105」と書いてあるのが見える。105号棟がここに見えるのか。 ここで聖地巡礼「喜劇 駅前団地」では大変お世話になった「1960年代の百合小と百合丘」のSさんが製作された団地地図をお借りして考えてみた。百合丘団地が取り壊しになる以前の様子を表したものだ。 下図はその団地地図の一部を切り出し、書き入れたもの。 105号棟を見下ろす地点で弘法松公園がやや左方向に見える。撮影地点はこのあたりか。 すると撮影地点からすぐ下に見える、他の団地建物とは少し違った広い屋上の建物は団地の集会所だったということが分かる。その右にスターハウス(Y字型の団地建物)の109号棟が見える。間違い無し。撮影地点は百合丘第二団地122号棟付近だ。 そして以上のことから判明したことを植木らが階段を上がっている場面に書き加えると、次のようになる。 この階段、現在でも存在し、第二団地跡にできたマンションへつながる階段として活用されている。石垣も保存されている。 |
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(協力: MasterJOKERさんとお兄様・1960年代の百合小と百合丘さん)
百合丘部分動画 |
巡礼メモ 4 |
今回の百合丘での巡礼には、情報をお寄せいただいたMasterJOKERさんと、MasterJOKERさんのお兄様にも同行していただくことが出来、話がはずんで、大変楽しい巡礼になった。MasterJOKERさんとお兄様は百合丘、この作品当時の映画、ヒーロー物のテレビドラマにも親しまれた方で、百合丘は当時、仮面ライダーなどのロケにもよく使われたらしく、仮面ライダーのロケで百合丘に訪れた藤岡弘、さんと、MasterJOKERさんとのツーショット写真も見せていただくことができた。 お兄様も幼稚園の頃、あこがれのライダーやらイナズマンが目の前に居るのを見るわけなのだが、彼らは椅子に座って撮影待ちしたりしていたそう。子供心にも「作りもんなんだなぁ」とがっかりされたとか。子供の味方のヒーローもそこまでは気を配れなかった。 MasterJOKERさんとお兄様、当日は大変お世話になり、ありがとうございました。 |