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小説家、山田風太郎のダットサン発見 兵庫

産経新聞 2月4日(水)7時55分配信

 養父市関宮出身の小説家、山田風太郎(1922〜01年)の生家で使用されていた戦前の乗用車「ダットサン」が、豊岡市内で保存されていることが3日、わかった。製造後70年以上経過しているが、車体はしっかりした状態で、「現存するのは全国的にも珍しい」という。

 乗用車(全長約3メートル、幅約1・2メートル)は黒色で、2ドアのセダン。前部は運転席だけで、後部シートは2人乗り。昭和14年ごろの製造とみられ、車体前部には「DATSUN」のエンブレムが残っている。

 風太郎の生家は代々続く医者の家系だが、医者だった父親は風太郎が5歳のときに急逝。その後、医者の叔父と再婚した母親も、風太郎が14歳のときに亡くなった。叔父は昭和30年代まで、地元で「山田医院」を開業。関係者によると、この車は往診用に使われ、戦前はお抱えの運転手が運転、車の整備を担当していたという。

 風太郎は20歳だった昭和17年8月、家出同然で上京。戦後は小説家としてデビューし、31歳で結婚した28年、新妻を連れて関宮に帰省したときにこの車に乗っている。

 車は医院廃業後も駐車場に置かれていたが、約20年前に遺族が現在の豊岡市内の所有者に処分を依頼。所有者は、そのまま敷地の一角に保存していた。

 保管場所は屋外のため、車体は全体にさび付いている。それでも外観の保存状態は良好で、「エンジンの整備などに500万円以上かければ走行も可能」という。

 「戦前のダットサン」とあって、クラシックカーマニアが売却を持ちかけてくることもあるが、所有者は「今のところ、売ることは考えていない」と話している。

最終更新:2月4日(水)11時14分

産経新聞

 

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