朝日新聞は1月3日付朝刊の社説で、劇作家の故・井上ひさし氏が書いたものとして引用した文章は大沼保昭・元東京大学教授の論文が出典であることが判明したとして、2月3日付朝刊で「不適切な引用 おわびします」との記事を掲載し、文章を差し替えた。引用された著書を出版した白水社も、同紙におわびの社告を掲載するとともに、ホームページに経緯の説明文を掲載した。
問題の引用文があったのは、「日本人と戦後70年 忘れてはならないこと」と見出しをつけた1月3日付朝刊の社説で、安倍晋三首相が検討している戦後70年の首相談話について取り上げている。この中の「東京裁判でのけじめ」という一節で、一昨年暮れの安倍首相の靖国神社参拝や、戦犯として処刑された元日本軍人の法要に自民党総裁名で追悼文を送ったことに触れて、「首相に喝采を送る人たちがいる。しかし、首相の行為は単なる追悼の意味を越えて、様々な思いをのみ込みながら『けじめ』を受け入れてきた人たちをないがしろにするものである」と指摘。それに続いて、故・井上氏が書いた文章として、白水社が出版した著書『初日への手紙 「東京三部作」ができるまで』から引用した文章が16行にわたって掲載されていた。
社説掲載後、問題の引用文は、大沼氏から『国際問題』2001年12月号に発表し、大沼氏の著書にも収められている論文の一節とほぼ同じだったことが判明。井上氏が書いた文章ではなく、大沼氏が書いた文章として差し替えられた。
差替え前と差し替え後の文章を比較するとほぼ同じだが、最後の一文は、井上氏の著書から引用されたものは「過ちを犯さなかったと強弁することは自己欺瞞であり、自らを辱めることである」となっていたのに対し、大沼氏の論文では「過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めることであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない」となっている。
白水社も、同紙の3日付朝刊社会面に「お詫び」と題する社告を掲載し、「大沼氏、朝日新聞社他関係者の皆様」に謝罪した。ホームページに掲載された経緯によれば、井上氏の著書『初日への手紙』は、代表作「東京裁判三部作」制作過程で新国立劇場担当者に送られたファックスなどの資料により、井上氏が亡くなってから企画・編集されたもの。編集の過程で問題の文章が大沼氏の公刊論文の一部であることを発見するに至らないまま刊行したという。著書に収録された文章は、台本を除き全て「私信」で、公表を前提にしたものではなかったとしている。
あの戦争を問い続けた劇作家の故・井上ひさしさんは、東京裁判には問題が多いと認めたうえでこんな言葉を残している。
戦争責任問題は、明治以来みごとな近代化を成し遂げ、戦後の焼け野原から奇跡の経済発展と平和で安全で平等な社会を築き上げた日本が、「それでも過ちも犯したんだよ」と自己反省するまたとない材料なのです。過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中どこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自己欺瞞(ぎまん)であり、自らを辱めることでもある。
(『初日への手紙 「東京裁判三部作」のできるまで』)朝日新聞2015年1月3日付朝刊11面・社説より一部抜粋
- (初稿:2015年2月4日 02:14)