2010年02月24日
肥前国府へ続く道
日本の歴史の中で、しっかりと「道」として記録されて
残されている「古代官道」は、吉野ヶ里の北墳丘墓の
北を通り、河岸段丘を削って”ここ”に出ます。
![](/contents/200/384/673.mime4)
ここは「神埼郡衙跡」、奈良時代の神埼郡の役所があった
遺跡です。
今は、整備された田んぼですが、以前の発掘調査で執務を行う
郡庁や、役人たちの館、食料担当の厨、租税を納める正倉などの
跡が多数出ている地です。
そして、ここに真っ直ぐ西へ延びる官道が通っていたのです。
このまま西へ進むと、ずーっと先に見える次の丘の向こうに
ある風景がここです。
![](/contents/200/384/674.mime4)
右手の大きな茂みと、左の1本の枯れた木立の間が・・官道なんです。
神埼郡衙から一直線につながる官道は、さらに西へ・・・
現在の佐賀市久保泉町から金立町を進み、そして大和町にあった
「肥前国府」に続いて行くのです・・・
駅鈴を響かせて、役人が乗った駅馬がゆったりと歩を進める様が
見えるような・・・時空を超えて静かな時が流れる空間です。
残されている「古代官道」は、吉野ヶ里の北墳丘墓の
北を通り、河岸段丘を削って”ここ”に出ます。
ここは「神埼郡衙跡」、奈良時代の神埼郡の役所があった
遺跡です。
今は、整備された田んぼですが、以前の発掘調査で執務を行う
郡庁や、役人たちの館、食料担当の厨、租税を納める正倉などの
跡が多数出ている地です。
そして、ここに真っ直ぐ西へ延びる官道が通っていたのです。
このまま西へ進むと、ずーっと先に見える次の丘の向こうに
ある風景がここです。
右手の大きな茂みと、左の1本の枯れた木立の間が・・官道なんです。
神埼郡衙から一直線につながる官道は、さらに西へ・・・
現在の佐賀市久保泉町から金立町を進み、そして大和町にあった
「肥前国府」に続いて行くのです・・・
駅鈴を響かせて、役人が乗った駅馬がゆったりと歩を進める様が
見えるような・・・時空を超えて静かな時が流れる空間です。
Posted by しぎょうさん
at 21:44
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