ボンK日報

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自民党は極右ではないし、共産党も活動家の集まりではないと思う

 私が見る限り、自民党政治家の熱心な支援者の多くは極右ではない。

 これまでお世話になった方には自民党員の人もいるが、みな総じて「街で働いている人たち」だ。たとえば建設関係の中小企業や修理屋の社長、商店街の飲食店や理容店のオーナー。それから、全国的に有名なブランドのある企業の労働組合幹部とか、外資系企業の経営幹部もいる。逆に、本来自民党の集票勢力とされる医師会や農協関係者は全く見かけない。(偶然会う機会がないだけなのかもしれないが・・・)

 居酒屋談義で韓国問題の話を振ってみても、「あんな過激な反日デモをやっているのは一部の人だよね」と言っていたりする。ネトウヨなら顔を真っ赤にして「撃沈しろ!」とカンシャクするところだ。

 

 もし、あなたの家の近所のコロッケを買う肉屋の軒先に右翼団体のポスターやステッカーが貼ってあり、黒塗りのバスのスローガンのようなものが軒先からアピールしていたら、多分地元の人は薄気味悪がって行かないはずだ。軍歌の流れる理容店なんてありえないわけで、あっという間に噂が立ってしまう。右翼団体関係構成員が一流企業の幹部になどなれない。この手の繊細な問題にうるさい外資系企業ならきっとバイトすら不穏なつながりがバレたら一発でアウトだ。それでも「地域が極右に牛耳られている」「財界のバックに極右がいる」と陰謀論の言い訳をするなら、あなたの方が異常だ。

 

 ここ数年一気に膨れ上がっているのは「自民党は極右だ」という一方的なレッテル張りで、それはリベサヨたちが行っているものだ。どうも世の中の見え方が単純すぎやしないか。

 自民党が戦後一貫して政権与党でいられるのは、各地の「街の影響力のある人」と「日本社会全体に影響力を持つ有名企業の幹部」のようなアルファ的な人たちが支持者に多いからだと思う。それは、社会党(今の民主党社民党)と違って資本主義を是認し、現実的な経済政策をとることができ、かつ外交安保の力もあることが支持されたのだと思う。その面であれば私も自民党を評価している。個別の議員には立派な人もいるし、小泉政権はあまりに偉大だった。

 

 私の友人に「親が地元の共産党議員」と言う子がいる。彼の家にはるばる遊びに行ってみると、壁に志位委員長のポスターが貼ってあっていかにもアレな感じだったが、出迎えた親御さんはどこにでもいる普通の中年だった。寧ろ人情味があり、自主的に民生委員みたいな活動を熱心にしている人のようだった。知り合いから譲ってもらい、困っている人に渡すための家具で部屋中がいっぱいだった。退職公務員で地域の教え子の面倒見をしていた死んだ祖父みたいだった。

 テーブルに置かれた赤旗を読むと、確かに紙面には「勇ましい話題」が多い。私はあくまで個人ブログでネタで社会論評をしていて、自民党や行政や大企業やどこかのよその国家にあれこれ言及しているが、赤旗の記事は「ですます調」をである調に書き換えれば完全にアジりの連続である。

 しかし、友人の親御さんはあくまでよくある「普通の大人」であり、私に対して政治的な話をすることはなかった。むしろ政治の話は一切しておらず、こちらがリップサービスで野田政権(当時)の批判をしてみたくらいだった。本棚にマルクス毛沢東不破哲三矢や宮本顕治の本も見当たらなかった。

 おそらくは、純粋に面倒見のいい大人なのではないか。仕事熱心だからこそ職場の待遇の問題に気づいて労働運動をしたり、プライベートでも地域活動に従事するからこそ地域全体の課題に気づいて、その有効な解決手段として共産党から出馬したんではないだろうか。

 

 きっと創価学会も、社民党も、民主党も、維新だって、そんなもんなんじゃないかと思う。

 どんなに小政党でも、組織としては大きいわけである。「生活の党と山本太郎となかまたち」だって、国会議員はたった5人でも、衆参議院選挙区支部長(次の選挙の地元候補者)は全国に数十人いて、その後ろには彼らが党公認で選挙に出れるためにバックアップしている地元の支援者がいるというわけである。

 小沢一郎氏といえば右翼からは「左翼政治家」と呼ばれ、左翼からは「昔タカ派だった右翼政治家」と見なされ、政界の黒幕呼ばわりされたり、逆に陰謀論をふりかざす「熱心な小沢信者」がいたりもするが、別に彼はありふれた普通のベテラン政治家なんじゃないか、と思う。

 

 問題は「プロレス感覚で政治に接する人」が増えてしまったことにあるのだ。

 バブル期に朝生やテレビタックルなどが切り開いた「言論プロレスとしての政治」の流れだ。妙にキレまくってテレビ映えのしているハマコーは明らかにヒール役だったし、それに抗う福島瑞穂田嶋陽子はベビーフェイスだった。あくまでその番組の枠内にしかなかったはずの娯楽として作られた正義(あるいは悪)の像に魅せられ、それをきっかけに政治を考えるようになった人たちがたぶん40代前半~30代後半あたりには多いのだと思う。多感な青少年の頃にこれらの番組を見た人たちだ。スポーツ新聞が政治家をスポーツ選手とまるで同じ感覚でネタにする記事を消費しているのも彼らだろう。

 

 彼らがそのまま2000年代にネットデビューすると、スポーツチームや選手について駄弁る感覚そのままで政治・社会を語る空間に居ついてしまった。選挙の際にやたら注目を浴びる人間と言えば又吉イエスマック赤坂のような泡沫候補である。通常のテレビ番組なら許されない過激なパフォーマンスを「政見放送」と言う聖域でやってしまい、公共の電波に乗せることにプロレス好きが熱狂したのだ。テレビと違って放送コードなどがないから、「在日特権」のような陰謀論ネトウヨもリベサヨもどんどん作るようになり、アンチのレスラーやその所属チームを罵る際には制限のない感情的でセンセーショナルな憎悪表現が飛びかようになった。これが10年続いて2010年代になったら、今のような混迷の政治状況につながってしまっている。

 

 去年末の選挙ではネトウヨ界が全力でゴリ押しした次世代の党が大幅落選で国会議員が激減した。もっというと、ネトウヨが10年くらいずっと支援し続けている極右系の政治団体はただの一人の比例候補者も当選できていない。一方「リベサヨ」も市長選挙のたびに共産党などの候補者をネット上で煽っては落選させ続けている。

 でも、冷静に考えてほしい。いったいどれだけの政治家がそもそも、朝生やテレビタックルに出ただろうか。どれだけの政治家がツイッターで積極的に投稿しているだろうか。メディア(テレビやネット原住民のSNSバズ空間)に露出する政治家は、そもそもがその政党内でも尖った存在で、出しゃばりで、極端な正確と考えの持ち主であり、右であれ左であれ大半の政治家はそうではないのである。後ろにいる党員なり支援者はなおさらそうで、ましてやどこの政党にも所属しない有権者は、もっとずっと冷静で、落ち着いてじっくりと投票先を選んだりしているのだ。

 

 「自民党は極右ではないし、共産党も活動家の集まりではない」ということ。

 これは改めて意識し続ける必要があると思う。

 今の日本は新聞やテレビは国民のマスメディア離れで発行部数や視聴者をつなぎとめるのに必死になっていて、以前よりも扇動的な報道が増えている。NHKであってもまともな公共放送ではないし、朝日新聞ももはや高級紙ではないと思った方がいい。たとえば硬派な社会ニュースの枠で堂々とAKB48の選挙を扱うのも見境なく話題性を煽るようになった特徴だ。モー娘。おニャン子の流行った時代にそんなことはありえなかったし、他国でも絶対にないことだ。そんな媒体が政治を冷静に扱えるわけがない。もっと部数の低い東京新聞産経新聞の政治報道が左右にぶっ飛んでしまうのは当然のことだろう。

 そして、そうした報道に都合良く煽られ「マスコミが言うんならこれはやばいことだ!」とオオカミ少年のように騒ぐネット原住民が増えている。彼らはその報道の内容が自分にとって不都合だと「マスコミは捏造報道をした、これは一大事だ!」とやっぱり騒ぐのだ。ネトウヨもリベサヨも、「マスゴミ」叩きをしたがるくせにその投稿のほとんどは一次ソースがマスメディアの報道である。彼らこそマスメディアがなければ生きていけない、パソコンや携帯電話の使えない高齢者と同じくらいの情報弱者たちだ。扇動的な紙面には必ず補聴器や老人向けの健康グッズやお墓の広告が掲載されているのも今の紙媒体の当たり前だ。

 多くの国民は老人と違ってデジタルツールが活用できるし、「ネットで真実」にも目覚めずまともである。しかし、マスメディアにもネットにもこれほど刺激的な情報があふれている。それが自分の中の「隙」に入り込むリスクはかなり高まっていて、これが厄介なのだ。理屈に基づいた主義主張としてではなく、プロレスにのめり込む感覚で左右に偏ってしまったら、抜け出すのはなかなか難しい。

 

 極論の煽りから距離を置いて考えれば、自民党共産党も立派な議員はいて、素晴らしい取り組みや実績はいくらでもあるわけで、そういうことを知りやすくなったと言う点はネット時代の魅力だと、私は思う。そういう見聞を広めていった方が建設的ではないだろうか。