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戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。

第10回は、宮内庁・前侍従長の渡辺允氏。現役の方を除き、唯一存命の侍従長職経験者です。一般には知ることのできない天皇陛下の普段の姿を見続けた氏は、「無私の心」がこの国に求心力をもたらしていると訴えます。

天皇家の執事
渡辺允(わたなべ・まこと) 1996年から2007年まで、「天皇家の執事」たる侍従長。曽祖父の渡辺千秋氏は明治天皇崩御時の宮内大臣。父は「昭和天皇最後のご学友」として知られる渡辺昭氏。現役の川島裕氏を除き、唯一存命の侍従長職経験者。「畏れ多いことながら」としつつ、両陛下の普段の姿を広く知ってもらうため、退任後は講演などを重ねる。1936年5月生まれ。(写真:後藤麻由香、以下同じ)

 10年半、宮内庁の「侍従長」を務めました。侍従長とはどんな仕事をするのかとよく聞かれるんですが、陛下の秘書官とか、執事とか、そういったイメージをもって頂いてよろしいんじゃないかと思います。一般の方々に比べて、普段の陛下のお姿を拝見する機会が多かったわけですけれども、その10年半で私が感じたことというと、やっぱり一番は天皇陛下の無私の心です。一言で言ってしまえば、そういうことなんだと思うんですよ。

 陛下は日本国の象徴であり、国民統合の象徴であるというお立場でいらっしゃいます。これは寝ても覚めてもそうで、一時たりともそのお立場でない時間は無いわけですね。朝起きても夜でも、一日中そう。次の日もそう。どなたにお会いになられるのでも、そのときにどうするのが一番ご自分の立場に求められていることであるか。それを考え続け、行動し続ける。そうやって日々過ごされている方が、本当にいるんです。

 もう少し説明が必要でしょうね。例えば、若い時に親兄弟とも隔離されてしまったハンセン病患者の方がいらっしゃいます。時代が移っていわゆる隔離された状況でなくなっても、いまさら受け入れてくれる故郷もない、親族もないという方たちです。両陛下は全国の療養所などを回られて、そうした方たちの老後を非常に心配してお言葉をかけ続けてこられたんです。私も何回かお供したけど「本当に寂しいでしょうね」と。そして「どうか元気で」といったことを言うわけです。

周囲に伝わる陛下の人柄

 陛下がそうされることを、もしかしたら当然のように思われている方もいるかもしれません。ですが、少し想像していただけたら分かりますが、これは肉体的にももちろんだけど、精神的にも非常に大変なことですよね。報道されるのはそのほんとに一部だけど、現場で、1人ひとりお話を聞いて、その苦労を察してお言葉をかけるわけです。相手の方はみんな違うんですよ。

 そうしたお姿を見て、周囲の看護師の方なんかが感激してもらい泣きされたりします。それはもちろん、陛下という他にはないお立場がなすことでもあるでしょうが、それ以上に、ご本人のお人柄が周囲に伝わるからこそだと思うんです。

 もう少し具体例を挙げましょう。宮崎県に西都原というところがあります。私も帯同したんですが、そこにある古墳群をお訪ねになって、当時の知事さんがそこの説明をされていたんです。そこは地下に古墳があるという場所で、小屋なんかの上に普通の地面があってもともとは隠れていたんだそうです。それが数十年前のある日に、地元の人が何かで通りかかったら突然土地が陥没したので、地下に古墳があったと分かったそうなんですね。

 その説明をお聞きになった陛下はね、すぐさま「その通りがかった方に怪我はありませんでしたか」と尋ねられたんです。普通の人だったら、そのまま地下の古墳のことについて質問すると思うんですよ。僕にとっては、これはものすごく印象に残った出来事でね。

 ある意味ではとても小さいことだけど、だからこそ、普段からそういう発想をしていなければ出てこない言葉だと思うんです。とっさのことですよ。意識してそういうことを言おうと思っても、なかなかそうはいかないと思うんです。だからその時にね「ああ、この方はこういう物の考え方なんだな」と納得したんですよね。


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