斉藤教学部長が質問状 「日精の問題を質す」 日顕の邪義を厳しく破折  日顕が謗法法主である日精を擁護し、日精問題を取リ上げて学会を批判する悩乱説法を繰り返している。日精は、日興上人が厳しく禁じられた「釈迦仏像の造立・安置」という大謗法を犯した大石寺十七世法主。堀日亨上人が邪法・邪義を宗内に持ち込んだ張本人であると破折した日精の、その大罪を破すどころか、擁護するとはどういうことか。斉藤教学部長は、1月9日、「日精問題を質す」と題する質問状を送リ、精神的・教学的破綻の謗法法主・日顕を徹底して糾弾した。ここに、その全文を掲載する。 --------------------------------------------------------------------------------  平成二年以来、十五年を経過する今回の宗門事件は、すべて貴殿の嫉妬を淵源とする謀略「C作戦」から始まったことは明らかであるが、貴殿は本年年頭、法華講等を前にしての挨拶において、この十五年の貴殿らの所業を「破邪顕正」とこじつけ、事実を捻じ曲げながら学会批判を繰り返している。  貴殿の学会批判は、知性も宗教性も感じられないオカルトまがいの話を中心とする、感情むき出しの狂乱説法に終始し、当然、教学的にも見るべきものは何もない。頭破作七分さながらの貴殿の悩乱説法は今さらながら驚くことではないが、その中で、“創価学会が日精に対して罵詈讒謗している”などと繰り返しつつ、“学会は僧に背いているから謗法である”と主張している点は見過ごすことができない。  学会による大石寺十七世・日精法主への批判は、貴殿らが掲げる法主絶対論を破折して、貴殿らの蒙を啓くためのものであり、日興上人が「遺誡置文」で仰せのとおり、法主も己義を構え謗法を犯すことがあることを示す典型的な例として指摘してきたのである。これをもって学会は、貴殿が言うごとく“僧に背いた”のではなく、“法に背く僧を破折した”のである。  貴殿の言い振りから見て、貴殿が日精の誤りを認めていないことは明らかであるが、もし、これほど明確な日精の謗法が分からないのだとすれば、それは貴殿の脳中にある唯一の教義といってよい法主絶対論・僧俗差別義の毒に貴殿の精神が狂わされているからであると忠告する。  実は、貴殿はこれまでも、日精の弁明に異常な執着を見せてきた。私の知るところでも、平成三年以来、三回にわたり、配下の坊主に書かせた稚拙な論文を「大日蓮」「大白法」などの機関誌・紙に正式に掲載させている。まさか、それらの作文で日精が正しいと証明されたと考えているわけではあるまいと思っていたが、今回も懲りずに日精擁護を繰り返しているところを見ると、もはや貴殿には、謗法の毒気が余りに深く入りすぎて、正しい判断力が失せ果てている可能性が大きいと考える。とすれば、今後も日精をめぐる貴殿の愚論が繰り返されることが予想される。  それを予め遮するために、日精の謗法、および日精擁護への異常な執着に見られる貴殿の精神的・教学的破綻をめぐって、ここに質問状を起こし、貴殿を糺しておきたい。 (1)日精の謗法について貴殿の認識を問う 一、今なぜ貴殿は、問題のある日精をわざわざ学会批判の根拠として取り上げたのか。この点に関して、昨今、宗内で取り沙汰されている貴殿の「除歴」問題と重なりあっての発言であるという見方があるが、どうか。  法主であり続けることが生き恥をさらし続ける地獄の責め苦となっている貴殿にとって、その次に訪れる永劫の責め苦は「除歴」問題、すなわち歴代法主から永久に取り除かれることであろう。  貴殿の除歴を求める声が、宗内に根強くあることを存知か。例えば、平成四年の教師講習会の折、貴殿の盟友・河辺慈篤が周囲の僧に対して、「アレ(=貴殿のこと)は除歴しなきゃならん。六十七世はいないんだ!」と発言したと聞くが、貴殿はこの事実を承知しているか。  また、今も貴殿に怨嵯する宗内僧侶の間で除歴の声が広がっていることについて、どのように思っているのか。 一、また、貴殿の除歴を求める声の根には、貴殿の法主詐称問題がある。これについて貴殿自身からの弁明は何一つないが、後世、詐称の事実が宗内にあって確定された場合は、偽って登座した法主が除歴されることは至極当然であると思われる。そのような日蓮正宗における除歴の可能性について貴殿はどのように考えているのか。その意味で、日精よりも貴殿の方がはるかに除歴に近いと考えるが、どうか。 一、日精は京都・要法寺の出身で、要法寺流の教義であるいわゆる造仏読誦論、すなわち釈迦仏像を造立し、法華経一部八巻二十八品を全部読誦するという教義を強く主張している。特に釈迦仏像は、実際に大石寺の末寺に安置されるに至っている。日興上人が厳しく禁じられた釈迦仏像の造立・安置という大謗法を犯したわけであるが。このことを貴殿はどのように理解しているのか。  ことは、謗法であるのか謗法ではないのか、という重大問題である。是非、貴殿の認識を明言してほしい。  もし謗法ではないと認識しているのならば、その理由を明示せよ。また、謗法であると認識していながらの発言ならば、どうして日精を擁護するのか。行き詰まりを打開するために、日精とともに除歴を覚悟しての一か八かの賭けなのか。あるいは、それほどの覚悟もない迂闊な発言に過ぎないのか。 一、因みに堀日亨上人の日精評価は次のように実に厳しい。 日亨上人は日精について、「日精に至りては……遂に造仏読誦を始め全く当時の要山流たらしめたり」(「富士宗学要集」第9巻69ページ)とし、更に「日精の如きは私権の利用せらるる限りの末寺に仏像を造立して富士の旧儀を破壊せる」(同59ページ)とまで記されている。日精は、まさに要法寺の邪義、謗法を宗内に持ち込んだ張本人であるという認識である。  これら、日亨上人の日精に対する厳しい認識と評価には、教義を守るべき法主がとるはずの厳然たる姿勢が感じられるが、貴殿はどのように考えているか。 一、また、日亨上人が「日俊已来此を撒廃して粛清に努めたる」(同ページ)と述べられているように、日精の謗法は後の日俊法主になってから撒廃されていくわけであるが、この事実を貴殿はどのように思うのか。日精自身に謗法撒廃の意志がなかったのではないか。あるいは、日精在任中には日精の圧力で謗法の撒廃ができない状況が続いたからではないのか。 一、また教学的には、二十六世日寛上人に至ってようやく日精導入の要法寺流邪義を清算できたのではないのか。  日亨上人は「日寛の出世に依りて富士の宗義は一層の鮮明を加へたるを以って要山本末に不造不読の影響甚だしく通用に動揺を生ぜり」(同ページ)と言われている。日寛上人が造仏読誦論を破折する「末法相応抄」を著すに至って、要法寺の影響は教学的にも完全に払拭されたわけだが、この間、約四十年を要している。貴殿は日精が宗門史に残した悪影響についてどのように考えているのか。 一、また、日精は、彼の謗法について信徒から糾弾された時に、造仏読誦論を正当化する「随宜論」という書まで著している。貴殿が編纂した「富士年表」によると、「随宜論」が著された寛永十年(一六三三年)は日精が登座した年の翌年である。いわば法主としての最初の仕事として、臆面もなく造仏読誦論を展開し、しかも、それをもって宗内を説得しようとしたのである。まさに確信犯と言わざるを得ない。  この「随宜論」について、まず、貴殿自身は同書をどのように評価しているのか。因みに三十一世日因法主は、この「随宜論」について「精師御所存ハ当家実義と大相違也」と筆を加えている。教義を守るべき法主としては当然の言であると思うが、貴殿の所感はいかがなものか。いずれにしても貴殿自身の「随宜論」評価を是非とも明確にしてほしい。  また、法主が謗法を正当化する著作を著すということは、いかなる罪に当たるのか。私には、「除歴」に相当する計り知れない大罪であると思われるが、貴殿はどのように考えるか。また、仮にも現在、法主の座にいる者としてどう処置するつもりか。明確に答えてもらいたい。 一、平成二年以来、貴殿は時局協議会文書作成班一班(以下「時局班」と呼ぶ)なるものに幾度も日精擁護の文書を繰り返し作らせてきた。平成三年九月、平成五年二月、そして平成九年十一月と実に三回も機関紙誌に発表させている。日精の謗法問題の釈明についての貴殿の異常なる執着ぶりは宗内にも広く知られている。貴殿が日精に親近感を懐くあまり、歴代法主では考えられないほど突出して日精を擁護しているとも喧伝されている。  これについては、むしろ貴殿が日精をかばわざるを得ない理由があるとしか考えられない。  その一つは、日精の法主時代の謗法を認めれば、貴殿が言う法主絶対化が崩れるからであると思われるが、どうか。 一、また、奇妙なことに貴殿の配下の時局班は、日精の登座前の謗法については、あっさりその非を是認した。すなわち、日精が造仏読誦義を説いた「随宜論」を書いたのは登座前だからいいのだ、という極めて安易にして姑息な論を強弁している。  それによって、むしろ、“法主になる前にどのような謗法を犯しても、相承を受ければ何の問題にもならない”という貴殿の珍説を補強しているつもりのようである。  貴殿は、つねづね、“学があろうと、なかろうが、どんな僧でも相承を受けた以上は「生身の釈迦日蓮」である”と謬説を唱えている。日精の登座前の謗法を認めることで、たとえどんな謗法を犯した僧でも相承を受けることができる、という論を構築する意図がみえみえである。  先にも述べたように「随宜論」は日精登座後の書であるから、そもそも貴殿らの強弁は成り立たないのであるが、仮に百歩譲って、登座前の書であるという前提に立っても、だから何をやってもいいんだというのは貴殿を弁護するための詭弁にすぎない。  法主の座とは、大聖人の正法を護持し、一宗を統括し、門下を教導する立場である。それに相応しい人格・識見・信心の人物こそ、登座すべきであることは言うまでもない。  さらに、「随宜論」を書いたのは登座前で、法主になってからは「清書」したにすぎないという珍論を唱えている。あまりにも稚拙な弁明であろう。  仮に日精が登座後、富士の正義に目覚めて、自身の過去の誤りに気づいたならば、かつての邪論は破棄し人目にふれさせないようにするのが穏当ではないか。  またあえて後学のために前車の轍とするというなら、その内容を自ら徹底的に破折して宗内に開示すべきであり、せめて邪義の文書であることを当人が明記するのが最低限の配慮ではないか。日精が自らの誤りを改めると誓った文証があれば、後学の参照のために清書して残したというのもうなずけるが、あるなら出してみよ。 一、日精が生涯にわたり造仏義を捨てていなかったことは、彼が亡くなってはじめて、関係諸寺の造仏の撒廃が始まったことからも分かるのである。  謗法の執情は、登座した途端にすぐに消え去るようなものではなかろう。  貴殿にとっても登座前の謗法・悪行の問題は深刻な課題にほかならないであろう。シアトル事件しかり、河辺メモ発覚による大御本尊否定発言しかりである。そうした宗内からの批判に対して蓋をする意味でも、相承された法主に文句言うことはけしからんという理屈をつくるための日精擁護だと言われているが、貴殿はどう釈明するのか。  貴殿自身の仏法破壊という大謗法の執情は、登座してもなおますます盛んになり、広布の大功労者たる池田名誉会長の総講頭罷免、創価学会の破門、正本堂破壊と止まるところを知らない。  貴殿がいくら日精を擁護しようと、登座によっても妄執は断ち切れないどころか、権力・権威の魔性がいよいよ深く身に染み込んでいくことを、貴殿自身の所業が証明しているのである。 (2)堀日亨上人への無漸・稚拙な邪難を破す 一、貴殿が日精擁護を繰り返すことには、日精を厳しく糾弾した歴代法主をないがしろにできるという貴殿の思惑が見え隠れしている。とりわけ貴殿の標的は近代の大学匠である堀日亨上人であることは衆目の一致しているところである。  貴殿が、日亨上人の宗内における精神的地位を引きずり下ろそうと野卑な言葉を常々繰り返していることは、宗内僧侶のだれもが耳にしていることである。  平成四年八月、全国教師講習会で貴殿が「堀上人がね、チョットわけわかんないようなことをおっしやってる。こりゃそうなんだよ。堀上人はね、学者だから」と、堀日亨上人をくさしている。これは大勢の人々が直接に聞いたことである。  ここで“わけわかんないこと”とは、日亨上人が日精を生涯、造仏読誦論者であると批判したことにほかならない。日精をかばうことで、結果として、日亨上人の日精批判が過ちであったと言う効果を期待していると見られても仕方がない。 一、貴殿は常々、学会攻撃にかこつけて、正本堂をはじめとする先師・日達法主の種々の事績を破壊し、様々に先師違背を繰り返してきた。貴殿は先人の歴代法主を尊ぶどころか、反対に、幼稚なまでに自分が一番偉いように思わせることに異常な執着をもっている。貴殿における法主絶対論の本質は“自己絶対論”にほかならない。ゆえに貴殿は、自己顕示のためには、先師の業績であろうと、仏法そのものであろうと破壊することを辞さない。「天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ」(500ページ)と大聖人が仰せのとおりである。その「魔性」こそが貴殿の本質なのである。  貴殿の「自語相違」の体質も、その魔性から起こっている。例えば、貴殿は正本堂を破壊したが、そのために正本堂を将来、本門寺の戒壇となるべき大殿堂と定めた昭和四十七年四月二十八日の日達法主の訓諭をも簡単に覆したではないか。訓諭は宗門の公式見解ではないのか。  さらに言えば、その正本堂の意義を宣揚したのが当時の宗門の教学部長であった貴殿ではないか。自分の言葉も、自分が信ずる法理も否定し、覆していくのが魔性から起こる究極の自語相違である。正本堂をめぐる貴殿の自語相違は裁判所も認定したほど明確なのである。  同じ貴殿の魔性が、日精問題においても、日亨上人否定という形で現れたのである。大学匠・日亨上人を越えることで、学問のうえでも自分が偉いと皆に思わせたい。そうした魂胆があまりにも見え透いていると宗内でも言われているようだが、自分が刻苦勉励して先人の実績のうえに全体の水準を上げようと努力するのならともかく、自分を目立たせるために歴代法主をないがしろにしていくのは、あまりにも稚拙な手法であり、仏法者としてあるまじき不知恩の所為にほかならない。その結果、日精の謗法をも正当化してしまうという仏法破壊にまで至ったのである。  魔性から来る貴殿の先師否定・仏法破壊の態度が、時局班の作成した文書にも反映し、日亨上人軽視の無慚にして稚拙な文言があふれる結果となっていると思うがどうか。  貴殿の日精擁護はまさに「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(1618ページ)との日興上人の仰せに当たる。ゆえに、貴殿らの日精擁護、日亨上人否定の邪論を更に詳細に破折していくこととしたい。 一、時局班は、日精が編纂した「家中抄」に対して日亨上人が施した頭注を誤りと見なしている。しかし、その認識こそ誤りと断ぜざるをえない。  日亨上人は、日興上人以来の正義に反する記述に対して、頭注をもって非を示し注意を喚起されているのである。そして、それは同時に、邪義を紹介しながら、適確な破折を行わない日精に対して、その「底意」、すなわち奥底にある心根の歪みを喝破し、破折されたものと拝することができよう。 一、要法寺流を重視する日精の「底意」は、「家中抄」全体の構成にも表れている。「家中抄」は、日興上人をはじめとする富士門家の祖師の伝記を収集・編纂した書であることは貴殿もよく知っていよう。その上・中・下三巻のうち上巻は日興上人伝を納め、中巻は日興上人選定の本六・新六の諸師の伝を納める。問題は下巻である。下巻には、巻頭に要法寺の基礎を作った日尊の伝を掲げ、続いてその流れを汲む日印、日大の伝を続けている。巻末にやっと大石寺の歴代が続くのである。要法寺系の三師の伝記は分量も多い。  「家中抄」は、富士門家の伝記といいながら、要法寺祖師らを重んじ、大石寺歴代を軽く扱っている。あたかも日精が要法寺出身の自己を正当化するがごときの感が否めない。  歴代法主への尊敬を常に強調してきた貴殿は、日精のこの編集態度についてどう思うのか。日精の自己正当化を妥当と思うのか。それとも一族支配をもくろみ、縁故者のみを重んじる貴殿自身と似た体質を日精に見て、親近感を抱いているのか。 一、しかも、日尊・日印・日大の伝記は、日寛上人が六巻抄・文段等の随所で破折された要法寺系の論客・広蔵日辰の著「祖師伝」のほぼそのままの引用である。そのため、この三師の伝には、富士の立義と異なる記述が散在する。  中でも目立つのが、要法寺の造仏・読誦の義に対する破折がないことである。  富士と要法寺の立義が異なる点として、重要なのが、造仏・読誦に対する態度である。富士では日興上人の遺誡に従い造仏・読誦を禁じたのに対し、要法寺では容認しさらには勧奨した。  「家中抄」の日印伝には、日尊存命中に日印が造仏を主張した書状が転載され、それに対した西山の日代が反論した書状も転載され、造仏義が破折されている。  ところが驚いたことに、この後に、さらに日辰が自論を展開した部分も引用されているのである。  即ち「日尊立像等を除き久成釈尊を立ツる故記録に背かざるなり」(「富士宗学要集」第5巻238ページ)と。 <通解=要法寺の開基・日尊は釈迦の立像や十大弟子を取り除き、釈迦・多宝像の横に四菩薩の像を配置して久遠実成を表した本尊を立てたのであるから、日興上人が御遷化記録で言った、釈迦の立像は大聖人の墓所の傍に立てて置けという指南に背いていない>  ここでは、日代の書状で造仏義の破折のために引かれた「御遷化記録」の文を強引に会通して造仏を容認する主張を行っているのである。しかもここで伝記は終わる。日精自身による再反論やコメントは一切ないのである。  これによって、全体の結論は造仏容認・推奨へと反転してしまったままである。  これでは、読む人に造仏容認・推奨が是であるという誤解を与えてしまうばかりである。素直に読めば、この件だけでも日精が造仏論者であったことは明白である。  貴殿は、このように読む人を邪義へと導く書を著し平然としている日精に対して、どのように感じているのか。仮にも自ら法主と名乗り人々を教導すべき座にありながら、謗法を見て置いて呵責することをしないのか。もしそうなら、宗祖・日蓮大聖人の御金言に照らせば、謗法与同の罪は免れ難く、仏弟子としての資格を失うものではないのか。 一、貴殿は日精の邪心を破すどころか、時局班なる者に日精を擁護する論を張らせ、あまつさえ貴殿自らそれを賞賛し援用している。  先にも触れたが日精は、要法寺出身で日尊・日辰の流れを汲み、造仏・読誦をはじめ要法寺流の邪義・邪儀を盛んに行った者である。  「家中抄」という伝記の編纂を通じて、意識してか無意識のうちかは問わないが、自身の造仏・読誦等の謗法を正当化しようとする底意が働いて顕れ出たのがこの日印伝である。  日印伝に見られる日精の奥底の邪心を喝破した言葉が、そこに付された日亨上人の頭注なのである。即ち日く「本師造仏ノ底意ヲ顕ス」(同ページ)と。  にもかかわらず、時局班は、この個所が日辰の「祖師伝」の引用であることだけを根拠に、「日亨上人は、この部分が日辰の文章であることをつい失念されたために、批判の頭注を加えてしまわれたのである」との邪難を構えるのである。  稀代の碩学であった日亨上人の眼光紙背に徹する識見を、浅学非才な徒輩の上面だけを眺める凡眼でとらえた浅慮で壟断する暴挙を、貴殿はなぜ誡めないのか。それどころか、どうしてその尻馬に乗って稚拙な邪難を自ら喧伝するのか。  貴殿は、宗門の外にも広がる日亨上人の学識への名声を嫉むが故に、日亨上人への邪難を容認しているのか。  時局班の小僧に「日亨上人の失念」と言わせて、謗法の日精を守るために日亨上人を批判しているが、そこに日亨上人に嫉妬し貶めんとする貴殿の卑しい「底意」が表われていると思うがどうか。 一、時局班の邪難でいうごとく日亨上人が失念などされたことなどありえないことは、「富士宗学要集」の次ぺージに明らかである。  日大伝の後の末に「日尊日印日大ノ三師ノ伝は全く日辰上人ノ祖師伝を書写する者なり」(同239ページ)と日精の記述が納められている。  「富士宗学要集」は、日亨上人が精魂を傾けて編集し最晩年まで校訂を加えられたライフ・ワークである。隣接するぺージにあるこの記述を失念したという推論は、もはや推論というに値しない。日亨上人をあまりにも愚弄する“たわ言”と言うしかない。  日亨上人は貴殿に先ずる法主であり、貴殿の父・日開に相承を授けた当人である。その日亨上人を脆弱な根拠による支離滅裂な愚論によって非難中傷することは、全く以って先師違背、不知恩の極みではないか。このことを貴殿はどのように感じているのか。 一、それにもかかわらず、貴殿は時局班を使って、日亨上人が日精と日辰の文章を混同していると何度も言わせている。それ自体が全くのいいがかりであることを示す証拠はさらにある。  すなわち「富士日興上人詳伝」には、「家中抄」の日尊、日印、日大の伝記について、次のように仰せである。  「家中抄のこの下の記事の長句、まったく祖師伝の直写なれば、ここに重複を避けて贅記せず」(「富士日興上人詳伝」507ページ)  「長文はほとんど祖師伝の引文なれども、多少の補修がある分だけを記しておく」(同512ページ)  「これらは、文長けれども、貴重の文献なれば掲げたが、祖師伝の文とは多少の相違がある」(同516ページ)  このように、日亨上人は、明らかにこれら要法寺の三人の伝記が祖師伝の引用であると厳然と御存知なのである。しかも、両方の文に多少の相違があることまで熟知されているのである。  このように見てくると、時局班の考察の甘さが一段と浮き彫りになってくる。古文書を読解・分析する能力、論を組み立てる構成力、そして正法護持せんとの信心態度のいずれをとっても、力量の著しい不足が露呈している。  それを貴殿は「時局対策の文書班の一人偉いのがいますよ。よく勉強してね。ワシもあれ感心した」などと大層な評価をしている。この程度の稚拙な論に感心するとは、所詮、貴殿も同程度の幼稚なレベルにあると思うがどうか。  少しでも宗学を修める者であれば、日亨上人が日辰の書からの引用であるとわかったうえで頭注を付されていることは自明の理である。それをいまさら、“日辰の引用部分を批判している”などと鬼の首をとったかのように云々する。あまつさえ、堀上人を「失念」呼ばわりするなどというのは、時局班、すなわち貴殿の程度の低さを如実に物語るものではないのか。 一、さらに言えば、「家中抄」に対する日亨上人の頭注は、「祖師伝」の引用の部分だけでなく、日精本人が書いた文章の上にも及ぶ。  「本師造読家ノ故二誇大セルガ如シ惑フナカレ」(「富士宗学要集」第5巻176ページ)  「本師造像家ナル故二此ノ疑文ヲ依拠トスルカ」(同213ページ)等々。  貴殿ならびに時局班は、これらの個所では一体、日亨上人が何を“失念”したと言いわけするのであろうか。  日亨上人は、積年の精力的な研鑽による該博な知識を裏付けとし、類希な眼力によって文献を解読し宗史を明らかにされた。  そして、鍛え抜かれた本物の学者としての見識と、何よりも信仰者として大聖人・日興上人に対する真正の信仰に基づくがゆえに、途中の法主の邪義を冷静に批評できるのである。  それも分からないで時局班に論じウせ、「日亨上人の失念である」などという結論に悦にいる貴殿は、それによって日亨上人とは正反対の無見識・無信仰を暴露していることに気が付かないのか。 一、時局班は、日精の「日蓮聖人年譜」に対する日亨上人の頭注についても邪難を加えている。そして、ここにおいても、基本的に「家中抄」の場合と同じ過ちを犯している。  そもそも「日蓮聖人年譜」とは、その名が示すように、日精が編集した御本仏・日蓮大聖人の忍難弘通の御生涯を記す年譜である。  項目ごとに御書を引いて大聖人の御振る舞いと法義を示している。  ところが、文永九年の記述のうち、「一佐渡国より弟子共に内々申す法門とは何等の法門ぞや」(同117ページ)という問いで始まり三大秘法について論述した項において、日精は「或ル抄」なるものを引いて、富士の立義とは異なる要法寺流の邪義を延々と紹介して注釈としているのである。  確かに日精は、この書では一応、「或ル抄」の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない。しかし、その一方で、富士の正義を十分鮮明に示すまでには決して達していないのである。  「本師未タ富士ノ正義二達セザルナリ」(同118ページ)との日亨上人の頭注は、まさにこの点を喝破したものなのである。  この項に対する日亨上人の頭注は、いずれも、宗旨である三大秘法に関わる、その重大な邪義への破折である。それはまた、邪義を書き捨てにして人々を誤解へ導きかねない日精の態度と、要法寺流を引きずる日精の教学的な浅さへの破折なのである。 一、ところが、時局班は浅はかにも「これは日亨上人が『或抄』の引用であることにお気づきになられなかっただけである」と簡単に片付けてしまっている。即ち、「家中抄」の頭注を「日辰の引用であることを失念した」と見なしたのと全く同様の短慮にはまったのである。  一知半解の半可通が、自分がしばしば陥りがちな過ちを、大学匠もたびたび犯すだろう、と不遜にも考えているのである。  日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである。そのうえで、日精が長々と邪義を引用しているにもかかわらず、その邪義を十分に破折し、富士の正義を示しきっていないので、富士の正義との違いを明確にするために、三大秘法に関するこの項ではしばしば頭注を付けられているのである。不十分な破折は邪義を容認するものになるからである。  このように見てくると、日亨上人の頭注は、日辰の書からの引用文への破折の形をとっている場合でも、その真意は、邪義を引用しながら十分に破折できず、邪義から脱け出せていない日精を破折することにあることが分かる。このことに、「日蓮聖人年譜」を読んだ後世の人が富士の正義から寸分も外れないようにと配慮された日亨上人の慈悲を感じるものである。  このような厳格にして慈悲にあふれた智勇兼備の頭注に対して「或る抄への破折と気づかなかったための誤読」と時局班が評するのは、いかにも愚かであり、正法正義を守らんとする気概がいかに不足しているかを露呈するものではないか。  しかも時局班は、日亨上人が憤激の注を加えられているほど不十分な日精の破折に対して「要点をピシャリと押さえてこれを粉砕し、日辰の邪義に対する御自身の見解を表明しておられる」と最大級の賛辞を送っているのであるから、笑止千万である。  この日精擁護の愚論を賛嘆する貴殿は、日亨上人の如き峻厳なる護法の志を持たない者であることを図らずも露呈している。むしろ、日精のごとき邪義謗法を容易に容認してしまう程度の仏法理解であることを白日の下に曝してしまっているのである。それもすべて貴殿が天魔の魔性に狂っているからであると思うがどうか。 一、時局班は、一部読誦を容認する日精の発言を庇うため、「日蓮聖人年譜」の助行に関する記述に対する日亨上人の頭注にも難癖をつけている。  日亨上人の頭注に「助行ヲ広クシテ遂ニ一部読誦ニ及ブ正ク開山上人ノ特戒ニ背ク用フベカラズ」(同131ページ)と記されているように、日精はここで、大聖人自身が諸人に与えられた御書を引いて、大聖人御自身も法華経一部の読誦・書写を行い、御在世当時の門下たちにも積極的に行うことを勧めていたかのごとく見せているのである。  それを時局班は「日精の論旨」は「題目以外は皆助行であることを明らかにするところに主眼が存する」と誤魔化して、日精を正当化しようとする。  日精の悪意は明らかである。例えば、引かれている月水御書の御文では、授与者である女性が一部読誦を望んだので一応は容認するかのように語られつつも、大聖人の御本意は、一部読誦の必要はなく方便・寿量の二品を読誦すべきであることを教えられることにある。それにも拘らず、日精は二品読誦を臨時の簡便なものとしてとらえ、一部読誦を正式なものとして大聖人が示されたように記している。  このような姑息な記述であるにもかかわらず、一部読誦を主張したものではないと時局班が強弁するのは、読解能力が欠如しているのか、それとも自身が日精の一部読誦を容認しているのか、と疑問を抱かせるものである。時局班の作文を賛嘆する貴殿も、一部読誦論者と考えてよいのか。 一、さらに、この年譜は全体として多くの問題を孕んでいるので、日亨上人はこの年譜について、「又本師の宗義史実の誤謬は欄外に粗ホ批判を加ふれども、或は細密に及ばざる所あり、読者此レを諒せられよ」(同146ページ)と末尾に注記している。 <通解=本師すなわち日精の記述について、史実のみならず宗義の誤謬については、欄外にあらあらは批判を記されたが、細密には及んでいないので、読者は了承して欲しいという>  日亨上人は、日精の杜撰さにできる限りは手当てを施されたが、さじを投げざるを得ないものであったことが分かる。  このような悪文とその著述者を無批判に庇いつづけることは、むしろ多くの人を迷わす悪行ではないか。貴殿はその責任をどう考えるのか。 (3)むすび  以上、日精問題の詳しい検討によって、日精を擁護する貴殿と、日精を厳しく批判する日亨上人の違いを浮き彫りにしてきた。日蓮正宗の法主の座に就いた日亨上人と貴殿の二人が、日精という問題ある人物について全く相反する評価をしていることが興味深い。  その相違が何に由来するのかといえば、日亨上人がどこまでも法を守っていく透徹した「信心の眼」で日精問題を見ておられるのに対して、貴殿は自己絶対化・仏法破壊・先師否定という「魔性の心」で日精問題を見ているからである。  日亨上人はかつて、相承の権威は「実人」にあるのか、「型式」にあるのかという問題提起をされた。そして、実際に相承を受けて猊座に登った体験の上から、相承の形式よりも、実人にこそ権威があるというのが日亨上人の答えだったと拝察する。そして、その「実人」たることの究極の要件は「信心」である。それは、日亨上人の次の言葉に明らかであろう。  「口決相承等というものは信仰の賜じゃよ。信仰もなく学も行もない貫首がいったい、何を伝授するというのか」「口伝なるものは完器にして始めて可能なんじゃ。破器・汚器の者であれば、猊下と雖も何にもならん」「猊下というものは、法の取継に過ぎんのじゃよ。嘘をつく者、如才ない者は論外だよ」  実にうなずける一言一言である。  これに対して貴殿は、登座前にどんな謗法があっても、それが日精のように一宗を破壊するような大謗法であっても、登座後にはそれがなくなると論じて、日精を擁護した。これは先の実人か形式かで言えば、形式を重んじているといえる。形式にあらゆる罪、あらゆる悪を消す神秘的な力があることになる。  しかし、そのような法主観は全く誤りであり、信心なき者が形式によって権威を与えられると極悪になることを、ほかならぬ貴殿自身の登座後の貴殿の所業が証明してくれたのである。  日亨上人は、先に挙げた最後の言葉に続けて、「でもな、いずれそのうち、平僧や信徒を迫害しぬく猊下も出てくることだろうよ」と語られたという。まさに、貴殿のような極悪法主の出現を予言しているのである。  以上、貴殿の日精擁護にある「底意」──すなわち、日亨上人をはじめ歴代法主をないがしろにして“我一人尊し”という尊大さを示さんがための「我意の浮言」(122ページ)、「舌に任せたる言」(135ページ)の正体を暴き、日興門流の正義を闡明にするために、その主な問題点、疑問点を糾明した。ましてや、日精擁護にかこつけての学会誹謗の暴言は、大聖人の御遺命である仏勅の団体への誹謗であり、看過できない重要事である。「一期の大慢を以て永劫の迷因を殖ること勿れ」(185ページ)との御金言通り、貴殿が悔い改めなければ貴殿の堕獄は必定であり、その意味からも、以上の質問に対して、貴殿の誠意ある回答を求めるものであり、回答なき場合は、謗法法主である貴殿の永久除歴は必然であると勧告するものである。   二〇〇四年一月九日 創価学会教学部長  斉藤克司 阿部日顕殿 -------------------------------------------------------------------------------- 出典:「大白蓮華」2004年3月号 聖教新聞社発行