昭和52年前後の背景
昭和 日付 出来事
47 47.10.12 正本堂完成
48 48夏 宗務院の正本堂建設にまつわる土地の処理に法的ミスがあり、日達法主と池田先生への「告発状」が、富士宮市議により富士宮署に提出される。
49 49.1.2 池田先生、日達法主より「正本堂建立賞与御本尊」を賜る。
池田先生、赤沢朝陽に同御本尊の御謹刻を依頼。
49.4 御謹刻御本尊完成
49.5-7 学会の「国際センター」設立に対し、宗門側が猛烈に反対。
山友、法主及び宗門を批判した「北条報告書」 を作成。
また学会が大石寺の土地及び会計処理に助言するが、宗門側がこれを拒絶。
49.8 日達法主、妙縁寺所属の法華講「妙信講」(現顕正会)の講中解散命令をだす。
49.9.2 学会は連絡会議の席上宗門側に「本部常住御本尊の護刻」を申し出る。
(藤本メモに「本部3階の御本尊の件−板本尊にしたい−OK」とある。)
49.10.4 妙信講、学会本部襲撃事件を起こす。
暮れ 山友、大石寺の所有する未利用の19万坪の土地にゴルフ場建設を計画するが、翌年頓挫。
50 50.7.18 関西文化センターに常住板本尊が御安置される(聖教新聞大阪版に掲載)。
50.11 富士桜自然墓地公園計画スタート(総工費260億円)
山友、大石寺の土地売買にからみ巨額(約4億5千万円)の裏金を得る。
51 日達法主を「師僧」と仰ぐ僧侶グループ「妙観会」の動きが活発になり、個人的に学会批判をする者が次々と現れる。
52 52.1 学会青年部が学会批判をした「妙観会」の活動家僧侶を訪問し、「詫び状」を書かせる。(1月から3月までで8人)
52.1.15 池田先生、関西戸田記念講堂における第9回教学部大会での講演の中で「在家の身であっても供養を受けられる」「創価学会の会館・研修所は近代における寺院」という主旨の話をされる。
宗内機関誌「蓮華」6月号に、池田先生講演の批判論文が掲載される。
山友の情報操作により、週刊誌において「宗門と学会の抗争」の記事が次々と出される。また、末寺の御津で学会批判の週刊誌を読み上げる住職が現れる。
52.9.22 日達法主、「通達」をもって学会批判の自粛をうながすが効果無し。
年末まで「週刊現代」「週刊文春」「週刊新潮」などで意図的な学会批判キャンぺ−ンが続けられる。
52.12.4 池田先生、日向本山定善寺の新築落慶入仏式において、日達法主に対し「御寛恕願い」をし僧俗和合をはかる。日達法主も高座を降り、手をついて謝辞を述べる。
53 53.1.2 日達法主、僧俗和合して進む旨の「訓諭」を発する。
53.1.13 妙観会活動家ら、「訓諭」を無視して学会批判をする。
53.1.18 山友、「ある信者からの手紙」を浜中和道(当時妙縁寺執事、後に正信会の中核メンバーとなる。)を通して日達法主に渡す。
53.1.19 妙観会活動家140名がお目通りした際、日達法主の指示で「ある信者からの手紙」が読み上げられる。これを聞いた活動家140名は激高し、以前にもまして強烈な学会批判を始める。
53.2.13 御講において学会批判をする末寺が全国86ケ寺に急増。
2.12-2.14 大石寺において、池田先生と日達法主が話し合い、池田先生により僧俗分裂の危機が回避される。
53.3.14 「全国教師指導会」で日達法主は学会との僧俗和合を指南し、活動家をおさえようとする。 
53.3.28 宗会において9項目にわたる学会との「協調案」が可決される。
53.3末 山友は日達法主と極秘裏に会い「今後の作戦」と題する密書を渡す。
協調案は学会側に渡されることなく、以後宗門は「今後の作戦」にのっとり学会攻撃を強めていく。
53.4 山友のリークにより、「週刊新潮」「週刊文春」が学会批判記事を掲載する。
これらのマスコミの報道に勢いづいた活動家僧侶によって全国の寺院において檀徒作りが活発に進められ、「御講」の席では学会批判が激しく行われる。
53.5 学会は山友を宗門との仲裁役として起用する事を決定。
山友は、持病の心臓病治療のため入院をされた日達法主を2週間面会謝絶にし情報を操作する。
53.6.30 山友の仲介により、「教義上の基本問題」が聖教新聞に掲載され一応の解決をみる。
薮学上の逸脱を認めさせた後宗門は、以後檀徒作りを武器に学会への攻勢を強める。
53.9 妙観会活動家らにより、いわゆる「御本尊模刻」が問題にされる。
学会は宗門との折衝で、謹刻御本尊7体を大石寺奉安厳に納めることで事態の収拾をはかる。
53.9.25 山友、学会と宗門の和解に対処するため「現下の情勢について」「海外について」という作戦書を日達法主に渡す。
53.9.28 御謹刻御本尊7体が国立市の大宣寺経由で大石寺奉安殿に納められる。
53.11.7 「全国教師総会、創価学会創立48周年記念登山会代表幹部会」いわゆる「お詫び登山」が行われる。席上日達管長が「創価学会を攻撃してはならない」と指南。
しかし、日達法主の指南を不満とする活動家はマスコミに情報を流し続け、マスコミも学会攻撃を続ける。
54 54.1 年が明けても活動家による学会切り崩しの勢いは止まらず。
「第二回日蓮正宗檀徒総会」が大石寺でおこなわれ、日達法主は「今後、できるだけ間違った教義だけをどこまでも追求して…」と発言。
54.2.23 「第一回東京檀徒決起大会」が東京目黒区の妙真寺において、活動家300名、檀徒700名を結集しておこなわれる。
54.3.6 福島源次郎(当時副会長)が、福岡県大牟田会館において次のように発言。
一、池田先生が本仏だと創価学会で言っているのは、僧侶の邪推にすぎない。
一、猊下が通っても、どこのおじさんだという感覚しかない。それを、僧侶がやっかんで会長を本仏としていると邪推したものだ。
一、かつらをつけて遊んでいる坊主がいる。
一、本山は旅館業で収入がある。
54.3.12 宗務院より、福島の「大牟田発言」に関する「質問状」が学会に提出される。
3.13 内事部より同発言に関する「質問状」が出される。
3.31 法華諦連合会緊急理事会が開かれ、池田先生に対し「総講頭辞任勧告」を決議し、同「決議文」を学会に送りつける。
54.4.5 池田先生は「宗門問題」に決着をつけるために辞任の決意を固める。
池田先生は日達法主に会い、創価学会会長及び日蓮正宗法華講総講頭を辞任する意志を伝える。
54.4.8 「聖教新聞」紙上で、福島発言を北条理事長(当時)名で陳謝。
54.4.24 県長会で池田先生の勇退が正式に発表される。
54.4.28 妙観会活動家は「継命」新聞を創刊。紙上で池田名誉会長、創価学会に対して批判をする。
54.5.3 創価大学において、「第十四回本部総会」がおこなわれ、出席した日達法主が「今までの経緯は水にながして…」と発言
54.5.14 日達管長は、北条会長、森田理事長、和泉・辻・秋谷副会長とともに山友を日蓮正宗大講頭に任命する。
「細井日達殿は速やかに猊座を退くべし」との怪文書が宗内に出回る。
活動家による檀徒運動は止まらず。
54.7.22 日達法主が急逝。
54.8.6 阿部日顕が第67代大石寺法主に就任する。
54.8-9 山友、日顕に献言(この中で「檀徒が15万〜20万になれば猊下が学会をコントロールできる、そこで真の解決をすることができる。」と発言)
54.9 山友自作の「創価学会の公明党支援は謗法である」とのピラが、檀徒の手により全国に個別配布される。
同時期山友は学会に対し 「特別財務の返還を求める訴訟」をおこさせる。
(当時山友は学会顧問弁護士)
55 55.4 山友の経営する冷凍食品会社「シーホース」が45億円の負債を抱えて倒産。
55.4.21 山友、学会を脅迫。3億円を喝取する。
55.6.5 学会は警視庁に対し、山友を告訴する意志を伝える。
56 56.1.24 山友逮捕。
63 63.12.20 東京高等裁判所は山友に懲役3年の実刑判決を言い渡す。