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【正論】「和諧」を良しとする日本を誇る

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【正論】
「和諧」を良しとする日本を誇る

 □比較文化史家、東京大学名誉教授、平川祐弘

 ≪敵味方を超えて行われる鎮魂≫

 今年の御用始めの日、東京神田明神は善男善女であふれた。テレビは御利益を願う人々の参拝と報じたが、柏手を打つ人の多くはここに平将門が祀(まつ)られているとは知らない。京都北野天満宮の境内には元旦からお賽銭(さいせん)を投げる人があふれた。受験合格を祈る本人やその親である。ここに菅原道真が祀られているとは承知だが、しかし天神様が崇(あが)められたのは道真の祟(たた)りを恐れたからだとは知らない。

 平安朝の日本で皇位を奪おうとした将門は類を見ない悪人だが、その乱の際、八幡大菩薩が将門を新皇にする託宣を下した。それを取りついだのが道真の霊で『北野天神縁起』には道真は雷神となり、清涼殿に落雷し、廷臣を殺し、醍醐天皇も地獄に落ちたとされる。

 祟(たた)ると崇(あが)めるとは字も似るが、祟りが怖ろしいから崇めたのだ。だが、そんな荒(あら)ぶる御霊(ごりょう)が鎮魂慰撫(ちんこんいぶ)されて今では利生(りしょう)の神、学問の神として尊崇される。神道では善人も悪人も神になる。本居宣長は「善神(よきかみ)にこひねぎ…悪神(あしきかみ)をも和(なご)め祭る」と『直毘霊(なおびのみたま)』で説いた。鎮魂は正邪や敵味方の別を超えて行われてこそ意味がある。

 読売新聞の渡辺恒雄氏は宗教的感受性が私と違うらしく、絞首刑に処された人の分祀(ぶんし)を口にした。私は「死人を区別していいのか」と感じる。解決の目途(めど)も立たぬまま大陸に戦線を拡大した昭和日本の軍部は愚かだと思うが、だからといって政治を慰霊の場に持ち込むのは非礼だ。

 靖国神社は日本軍国主義の問題と決めてかかる人が国内外にいるが、そうした狭い視野で考えていいことか。非業(ひごう)の死を遂げた者はかつて外国では宗教的・政治的にどのように扱われたか。

 ≪ゴッドの敵は許さない≫

 聖徳太子は十七条憲法の第一条で「和ヲ以テ貴シトナス」と述べて複数価値の容認と平和共存を優先したが、これは世界史的に珍しい。大宗教はまず唯一神への信仰を求める。モーセの十戒は「わたしのほかに、なにものも神としてはならない」を第一条とする。それだから敵は地獄に落とす。ゴッドの掟(おきて)に背く者は許さない。

 キリスト教ではオフェリアの場合がそうだが、神の掟に背いて自殺した者の葬式を教会は行わない。オフェリアの兄は激怒して「土の中へ遺骸を入れい」と詰め寄るが僧院長は埋葬を肯(がえ)んじない。しかし作者シェイクスピアの同情は明らかにオフェリアの側にある。そして今では英国国教会も自殺者は地獄に落ちるなどとはいわなくなった。

 敵対者の墓は造らせない。遺骸は野辺に晒(さら)す。この仮借ない罰をくらった著名な例は『神曲』に登場するマンフレーディ王で、法王軍と戦って死んだ王はいわばA級戦犯並みの扱いを受けた。敗残の部下は一人が一個ずつ小石を遺骸に積んで戦場を去ったが、法王は葬ることを許さない。死骸を掘り出してヴェルデ川のほとりに捨てさせた。それで今も「雨に打たれ風に曝(さら)されている」。だが作者ダンテの同情は明らかに菩提(ぼだい)を弔ってくれと願うマンフレーディの側にある。敵の墓を暴(あば)くのは野蛮の残滓(ざんし)である。

 ≪「墓まで暴く」酷薄な国≫

 欧州も変わり出した。慰霊に際し戦争犯罪人や刑死者を除くべきではないとする考え方が受け入れられ始めた。

 第一次世界大戦では戦線離脱、利敵行為など軍紀違反で銃殺された兵士は英仏で2千人にのぼる。だが戦後70年がたつとフランスでは処刑された者も「苛酷な戦闘におとらぬ苛酷な軍紀の犠牲者」として「国民の歴史的記憶の中に迎え入れるべきである」という主張がなされ(ジョスパン首相)、軍法会議で銃殺された兵士を許すことにサルコジ氏は猛反対したが、大統領になるや同意した。

 次のオランド大統領は刑死者の慰霊は当然で左右両翼の合意ができた以上、軍事法廷の判決内容の是非は問わない、とした(『ルモンド』2013年11月9日)。

 だが中国では敵は死んでも許さない。日本と組んで大東亜共栄圏を確立しようとした中国人は漢奸(かんかん)として処刑され、日本の敗戦前に死んだ汪兆銘の墓は戦後ダイナマイトで爆破された。

 だが今はときめく共産党首脳とても将来は不安なのだ。周恩来もトウ小平も死ぬと空から撒骨(さんこつ)させた。墓を造ればいつか壊されることを懼(おそ)れてのことだと周総理を尊敬してやまぬ学生たちも言った(もっとも、死後も自分の思い出は同胞に愛されると確信した共青団の胡耀邦は墓を造らせた)。

 韓国も酷薄である。20世紀のはじめ、中露よりはましと日本と協力して国の近代化に努めた政治家の子孫は親日派として100年後も吊(つる)し上げられ、先祖の墓を暴くことを強要される。だが日韓併合にかかわった先祖の墓を暴くと、子孫はそれで許されるどころか、今度は不孝者の烙印(らくいん)を押される。

 私はそんな不寛容な国でなく、和諧(わかい)を良しとする日本に生まれて、まあよかったとこの戦後70年に思っている。(ひらかわ すけひろ)

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