東京新聞は2月1日付朝刊で、「本紙報道も軍の宣伝に」と見出しをつけ、昭和初期の東京新聞を含むメディアの戦争責任についての検証記事を掲載した。東京新聞は過去にも、前身の「都新聞」などの戦争報道を取り上げたこともあるが、「今回のように長期間にわたる本紙報道を網羅的に振り返り、検証したケースは最近では見当たらない」(同紙読者応答室)という。
検証記事は、1面、3面の「核心」、10面(特集面)に掲載された。東京新聞は「都新聞」と「國民新聞」が合併し、1942年10月1日に創刊。その1面に東条英機首相(当時)の祝賀や、「国家総力戦の一兵器たらん」という東京新聞の宣言文が載ったことなどを、写真つきで詳しく紹介した。前身の「都新聞」時代の1931年から1945年までの主な出来事と見出しをまとめた表も掲載。広島の原爆投下については「悪鬼爆撃に敗れず」「奮然戦争一本へ」という見出しで報じていたという。中国戦線の特派員の報告会を開催して聴衆4千人を集めるなど、「イベントを絡めて戦時色を過熱させた」とも指摘している。
瀬口晴義社会部長の署名記事も掲載。その中で瀬口氏は、「軍部の検閲もない。連合国軍総司令部(GHQ)の検閲もない。私たちは伝えなければならないことを本当に伝えてきたのだろうか。その自問はいま、さらに強まっている。本紙を含めて新聞は軍部の宣伝機関になった。メディアは今、教訓を忘れていないか」と問いかけている。
特集面では、戦時報道に詳しいジャーナリスト前坂俊之氏のインタビューをもとに、新聞が軍部の宣伝機関と化してしまった経緯を詳しく解説。「新聞は戦争で発展した。1942年の東京と大阪の主要紙の発行部数が15年前に比べて2倍近く増えたことに触れ、「大ニュースを届けてキャンペーンで熱狂を作り、部数は飛躍的に伸びた」などと指摘した。
東京新聞はこれまでにも、70周年企画連載(2012年8月)などで、戦時報道に携わった元本紙記者の思いなどを取り上げていたが、今回の検証記事は、隔月で掲載している企画「問い直す戦争 70年目の視点」の一つとして掲載された。その狙いについて問い合わせたところ、読者応答室は、次のようにコメントしている。
今回の「問い直す戦争」は戦後70年という節目にあたり、外部識者の眼で過去の教訓を振り返ってもらおうという狙いです。本紙の戦時報道を棚上げしたまま、当時の新聞全般の責任について識者に論じてもらうのでは、読者の信頼回復につながらないのではないか、という議論が担当者間でありました。そこで、限られた紙面ではありますが、本紙のありのままの報道ぶりを読者に知っていただいた上で、過去の反省を今後の報道に生かそうとの思いで取材・執筆に当たりました。
- (初稿:2015年2月3日 18:27)