ピンカーの本は、学問的には1990年代以降の「暴力史観」の集大成で新規性はないが、おもしろいのは、戦争より商取引のほうが相互に有利だから戦争がなくなったという見方だ。これは私も『資本主義の正体』で論じたが、20世紀に植民地がなくなった最大の原因は、そのコストが利益を上回ったからだ。
植民地支配の利益は投資収益だが、コストは戦争である。16世紀にスペインやイギリスが新大陸の植民地支配を始めたころは、相手は戦争をほとんど知らなかったので、コストは安かったが、19世紀には植民地戦争が始まり、20世紀の「帝国主義」は大赤字だった。イギリス議会では、財政赤字の原因になっている植民地を放棄せよという声が強く、第2次大戦後に植民地を失ったことでイギリスは財政破綻から救われたのだ。

このような国際協調をアクセルロッドの「しっぺ返し」で説明する話がよくあるが、これは間違いである。しっぺ返しは進化的安定戦略(ESS)ではないので、つねに裏切り続けるIS(イスラム国)のようなゲリラに負ける。これを一般的なタカ・ハト・ゲームで考えよう(利得は対称でc>0とする)。

タカハト
タカ1-c 2
ハト 0  1

戦争に勝った場合の利益を2、平和の利益を1とする。戦争のコストcが低い(c<1)ときは、このゲームは囚人のジレンマ(安全保障のジレンマ)になり、ESSは戦争(双方がタカ)しかない。これが人類の歴史の大部分を占める、ホッブズの自然状態である。

戦争のコストが大きくなる(c>1)と、このゲームはチキン・ゲームとなる。このゲームのESS(純粋戦略)は、どちらかがタカで、どちらかがハトになるしかない。弱い国にとっては、戦い続けるコスト(1-c)が降伏の利益0より小さいので、降伏したほうがいいのだ。これが植民地支配であり、強い宗主国がタカ、弱い植民地がハトの状態を続けることが安定した均衡で、相互協力(双方ともハト)は均衡にならない。

このジレンマは普通のナッシュ均衡で考えると絶望的にみえるが、進化ゲームで考えると解が存在する。このように平和が双方の利益になる共通利益ゲームで効率的な均衡を実現するには、ゲームの前にコミュニケーションがあればいいのだ。Kandoriから引用しよう(命題5.1):
事前にコミュニケーションのある共通利益ゲームには唯一のESSが存在し、それは効率的である。
具体的には「ゲームの前にメッセージを発し、それに返事した者とだけ協力する」という秘密の合言葉(secret handshake)という戦略を取ればよい。上の図でいうと、「私は仲間だ」というメッセージを出して相手が返事したときだけハトになり、何も返事しない相手に対してはタカになると、このゲームは3×3の協調ゲームになり、相互協力が唯一のESSになる。

このESSは効率的なので、いったん実現すると自分だけ逸脱するインセンティブがない。言語で相手を判別して協力(あるいは攻撃)するコミュニケーションは、トマセロもいうように、人類が進化で生き残る上で最大のイノベーションだった。このため人間には、食欲や性欲と同じぐらいコミュニケーションの強い欲求があるのだ。

ピンカーのいうように、商取引(貿易)という合言葉で緊密に結びつくと、共通利益が大きくなるので、このESSは安定する。条約も軍事同盟も(パレート改善的な)合言葉である。だから日米のように軍事も経済も緊密な同盟関係が望ましく、非同盟や中立はかえってリスクが大きい。中国のような合言葉を理解しない相手とは、TPPを拡張した経済統合で共通利益を高めることが合理的である。グローバル化は、世界を平和にするのだ。

ただしこの戦略は、ISのように合言葉を拒否する相手には役に立たない。そういう敵は徹底的に排除しないと、ハトの同盟にタカが侵入して大きな利益(2)が上げられるからだ。したがってISに敵対する安倍政権は正しい。