大阪市の難波宮跡近くで、地方の行政単位「五十戸」を記した木簡が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が3日までに明らかにした。
日本書紀には、難波宮に遷都した孝徳天皇が、646年に出した大化改新の詔の一つに「役所に仕える仕丁は五十戸ごとに1人徴発せよ」とある。しかし、五十戸と記した史料は、現在のところ天智天皇の時代の660年代のものが最古で、改新の詔の内容を疑問視する考えもある。
同研究所の高橋工調査課長は「木簡は書式が古く、孝徳天皇の時代にさかのぼる可能性があり、このころに『五十戸』があった証拠になるかもしれない」としている。
木簡は長さ15.5センチ、幅3.4センチ。「玉作五十戸俵」と記されていた。玉作という地名は陸奥(青森など)や土佐(高知)などにあり、地方から五十戸単位で税として米を納めた際の荷札とみられている。
木簡はごみ捨て場とされる谷で見つかった。出土品は古墳時代から平安時代と幅が広いため木簡の正確な時期を絞ることはできなかった。
墨で記された文字は読みにくく、奈良文化財研究所が赤外線撮影した。〔共同〕
大化の改新後