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【国際】

ワイツゼッカー氏死去 元ドイツ大統領 戦争責任直視促す演説

戦後50年の1995年、来日して本紙と会見するワイツゼッカー氏=金沢市で

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 ドイツ大統領府は三十一日、元ドイツ大統領のリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が死去したと発表した。九十四歳だった。ドイツの戦争責任やユダヤ人迫害の歴史と向き合うよう国民に求め、「ドイツの良心」とも評された。ガウク大統領はメッセージの中で「過去と立ち向かうドイツの立場を世界中で代弁してきた」と死を悼んだ。 

  (ベルリン支局長・宮本隆彦)

 一九八五年五月、「荒れ野の四十年」と題したドイツ敗戦四十周年の連邦議会演説で発した「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」との言葉は有名だ。ドイツ国民が犯した罪と歴史を直視しなければナチス・ドイツが迫害したユダヤ人や近隣諸国との真の「和解」はできないとの訴えで、国内外で大きな反響を呼んだ。

 九〇年十月の東西ドイツ統一でも「統一することとは、分断を学ぶこと」と演説し、過去を真摯(しんし)に振り返ることの大切さを主張した。

 戦後五十年の九五年夏には、本紙の招きで来日。記念講演で「過去を否定する人は過去を繰り返す危険を冒している」と訴えた。

 二〇年、南部シュツットガルトで貴族の家に生まれた。第二次大戦に従軍し、ポーランド戦線で一緒に戦っていた次兄は戦死した。戦後のニュルンベルクの戦犯裁判でナチスの外務次官だった父親の弁護に加わった。

 中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)に入党し、連邦議会議員(六九〜八一年)、西ベルリン市長(八一〜八四年)をへて、八四年に連邦大統領就任。党派を超えて国民から広く信頼を集め、八九年には史上初めて無投票で再選され、東西ドイツ統一を挟んで大統領を務めた。

 九四年の退任後も、欧州委員会から「三賢人」の一人に任命されて欧州連合(EU)の機構改革を提言するなど活躍した。

 

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