被爆手帳:「証人なし」で長崎県が交付 本人証言認め

毎日新聞 2015年01月28日 08時20分

苦労して取得した被爆者健康手帳を手に思いを語る松本さん=長崎県長与町で2015年1月26日午前10時48分、樋口岳大撮影
苦労して取得した被爆者健康手帳を手に思いを語る松本さん=長崎県長与町で2015年1月26日午前10時48分、樋口岳大撮影

 長崎原爆で被爆したことを証明する「証人」を捜し出せないまま被爆者健康手帳の交付を申請した長崎県長与町の男性に対し、長崎県が被爆者と認め、手帳を交付したことが分かった。国は「第三者2人以上の証明」などを要件としており、原爆投下から70年を経て証人を得るのは極めて困難となっているが、県は本人の証言などを基に被爆者であることを認めた。県が今月13日に本人に通知した。

 男性は松本兼敏さん(86)。原爆投下翌日の1945年8月10日、爆心地から約33キロ北にある川棚海軍工廠(長崎県川棚町)で勤務中、列車で運ばれてきた被爆者を川棚海軍共済病院へ搬送した。

 同県原爆被爆者援護課によると、救護時や準備に関する松本さんの証言の中に本人しか知り得ないものがあった。また、文献やこれまでに交付した他の被爆者の証言とも一致したことから、被爆者を救護したことが確認できたとして手帳を交付した。

 松本さんはこれまで「直接被爆していない自分は無理だろう」と思い手帳を申請していなかった。しかし、2013年12月の毎日新聞記事で被爆者との接触などの要件を満たせば交付されることを知り証人捜しを始めた。川棚町や長崎原爆資料館に足を運んだり、当時の上司や同僚らを捜したりしたが証人は見つからず、記憶を頼りに申請書を作成。絵なども交えて救護時の様子を説明した申請書を昨年6月に提出していた。

 松本さんは「やっと被爆者と認められ感無量。県は正しい判断をしてくれた」と喜ぶ。手帳取得を支援している長崎市の市民団体「在外被爆者支援連絡会」の平野伸人共同代表は「これまでは証人2人が見つからず、申請自体をあきらめていた人も多い。被爆70年になって、やっと本人の証言を重視して被爆者を救済する流れができてきたのではないか」と話している。

 毎日新聞が昨年、47都道府県などに実施したアンケートでは、04〜13年度に全国で少なくとも8766件の被爆者健康手帳の交付申請があった一方、4294件が却下されていた。被爆者の高齢化で記憶があいまいになっており、証人捜しが困難になっていることが指摘されている。【樋口岳大】

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