どうしてお金がないんだろう?
先日、久しぶりに銀行口座が3650円になってました。もちろん定期も何もありません。へそくりもゼロです。
確定申告の時期が近づいていますが、これはべつに税金対策のお話でもないのです。夢のない話で申し訳ないのですが、もう、自分でもびっくりするくらい、本当にお金がないんですね。
昨年は本を4冊も出しているのと、今年から連載が次々と始まっているので「上原は売れている」と思っている方も多いと思いますが、連載は昨今の雑誌不況もあって、原稿料を下げられているので、バイトなみの月収なんですよ。2誌合わせても。
昨年の刊行も、増刷なしで(これは初めての体験でびっくりしました)、そのうち2冊は、前年にすでに印税を前借していたので、実質的には昨年は2冊分しか印税がないのですね。
今年は本格ルポの大型連載が3本始まる予定なので、昨年下半期はその準備で、取材費の仮払いで食っている始末で、身内から100万円ほど借りて、何とかしのぎました。
それで、最近は飲みにも行ってないし、性風俗にはもはや縁がないし、美食にも走っていないのに「なんでこんなにお金ないのかなー」と思って、いろいろと考えてみたのですが、まず、生活に計画性がないのが響いているようです。
それに関連してですが、ぼくの悪いクセといいますか、とにかく事前取材に時間とお金をかけ過ぎてるのが、後々ボディ・ブローのように効いていることがわかりました。これが元々の原因なんですね。
もちろん取材費は出ているのですが、それ以前に企画を通す数年前から、自分でいろいろと仕込んだり、仕掛けているのです。何と言うか、「考えるより先に動け」といえば聞こえはいいのですが、とにかく勝手に興味あるテーマについ、自腹をつぎ込んでしまうのです。体育会系なので(関係ないか)、利害関係を考える前に、先に動いてしまうんですね。
資料も、最近は図書館にもない希少本が参考資料となることも多くなり、これがまた高いのです。また、これは取材の裏話になるので具体的に書けないのですが、他にもいろいろと仮取材として動くので、お金がいくらあっても足りないんですね。
しかも、それだけの年数と自腹、他腹を駆使して書いても、まったく売れないんです。ノンフィクションの悲しい性というか、ぼくの書くのは暗いテーマが多いので、このご時世、ほとんど売れないのです。
これが売れてくれれば、また次のテーマにお金を賭けることもできるのですが、
「お金を賭ける→売れない→次のテーマにお金を賭ける→これもやっぱり売れない」
という、負の悪循環に陥っております。
「賭ける」っていうのは、正確には「掛ける」だと思うのですが、もう出版てバクチみたいなものですからね。
出す前は「絶対いける、かも?」と思うのですが、いまところ売れてくれてるのは『日本の路地を旅する』と『被差別の食卓』だけですから、10発中、2回しか当たってないんですね。競馬みたいなものです。
しかも、どちらも10年以上かけて取材して書いた本なので(特に『被差別の食卓』は、駆け出し時代なのでほぼ全て自腹)、それでも3万〜5万部なので、けっこう、人知れず「ダメ男」だなーとしょげております。
だって10年かけてそれですからね。「ノンフィクションのわりに売れてますよー」と言ってくれる人もいますが、ハッキリいってこれじゃあ食えませんよ。
先日も、掛かり付けのドクターと次のような会話をしました。
「どうも最近、ストレスがあるんじゃない?」
「うーん、忙しいのに、お金がないですね。ぼくの書くのは暗いものが多いから売れないんです」
「じゃあさ、もっと明るいテーマの書いたら?」
「(簡単に言ってくれるなーと思いつつ)でもそれは、先生に例えたら、心療内科を止めて内科になれ、と言われるようなものだから無理ですよ」
と反論したら、笑われてしまいました。
まあ、ぼくも仕方なく笑ったんですけどね。ホントは「美容整形」と言いたかったのですが。。。
「売れるものを書こう」と思ったこともあったんですけど、べつにそれは改めて決心するまでもなく、そこは一応プロですから、無意識化に以前から、いつもそう思ってたと思うんですね。
だけどやっぱり、そのさらに根底には、「自分の納得した仕事だけをやろう」と思っているようなんです。そんな大そうな自覚は自分にはないんですけど、振り返ってみたら、どうも、そうなっているようなんです。
それで思ったんですけど、この「自覚のなさ」が問題かと。。。
だから今年(もう2月ですが)は、しっかりと「自分は売れない物書きで、取材経費もすごくかかる人間で、ダメ男なんだから、しっかりとそれを自覚して節制しよう」と決めました。
と言いながら、つい先日も、数か月の海外取材をOKしてしまいました。
そう言うと、これまた格好良く見えるかもしれませんけど、よく考えてください。その間、無収入ですからね(そういうぼくも、決まってから気付いたのですが)。
もちろん、経費は出ますよ。だけどそれは日々の取材経費で消えますから、収入にはならないのです。しかも、その本が出るのは2年後なんです。
しかし、これは刊行が確定しているからまだマシで、ぼくの場合は刊行も決まっていないことも珍しくないですから(というか、まったく素の状態で事前に決まったのはこれが初めて)、我ながら「あれ、なんで受けたんだろう?」と自問自答しています。
グチはこれくらいにして、まあ、最初から食べようと思ってこの世界に入っていないので、自転車操業でも、それができるだけまだマシだと感謝しています。
というのも、先日、ちょっと調べものがあり、そこに土門拳が絡んできたので知ったのですが、彼のある写真集なんか、戦前に3年かけて取材・撮影したものが刊行されたのは、何と昭和47年なんですね。出るまで30年かかっているのです。ちょっとビックリしました。
やっぱり、上には上がいるもんですね。
だからぼくのように、10年やそこらでウンタラ言ってるようではダメだと思った次第です。これからは清貧で、さらに良い作品を出すよう、頑張りたいと思います。
とりあえず、家計簿つけます。
確定申告の時期が近づいていますが、これはべつに税金対策のお話でもないのです。夢のない話で申し訳ないのですが、もう、自分でもびっくりするくらい、本当にお金がないんですね。
昨年は本を4冊も出しているのと、今年から連載が次々と始まっているので「上原は売れている」と思っている方も多いと思いますが、連載は昨今の雑誌不況もあって、原稿料を下げられているので、バイトなみの月収なんですよ。2誌合わせても。
昨年の刊行も、増刷なしで(これは初めての体験でびっくりしました)、そのうち2冊は、前年にすでに印税を前借していたので、実質的には昨年は2冊分しか印税がないのですね。
今年は本格ルポの大型連載が3本始まる予定なので、昨年下半期はその準備で、取材費の仮払いで食っている始末で、身内から100万円ほど借りて、何とかしのぎました。
それで、最近は飲みにも行ってないし、性風俗にはもはや縁がないし、美食にも走っていないのに「なんでこんなにお金ないのかなー」と思って、いろいろと考えてみたのですが、まず、生活に計画性がないのが響いているようです。
それに関連してですが、ぼくの悪いクセといいますか、とにかく事前取材に時間とお金をかけ過ぎてるのが、後々ボディ・ブローのように効いていることがわかりました。これが元々の原因なんですね。
もちろん取材費は出ているのですが、それ以前に企画を通す数年前から、自分でいろいろと仕込んだり、仕掛けているのです。何と言うか、「考えるより先に動け」といえば聞こえはいいのですが、とにかく勝手に興味あるテーマについ、自腹をつぎ込んでしまうのです。体育会系なので(関係ないか)、利害関係を考える前に、先に動いてしまうんですね。
資料も、最近は図書館にもない希少本が参考資料となることも多くなり、これがまた高いのです。また、これは取材の裏話になるので具体的に書けないのですが、他にもいろいろと仮取材として動くので、お金がいくらあっても足りないんですね。
しかも、それだけの年数と自腹、他腹を駆使して書いても、まったく売れないんです。ノンフィクションの悲しい性というか、ぼくの書くのは暗いテーマが多いので、このご時世、ほとんど売れないのです。
これが売れてくれれば、また次のテーマにお金を賭けることもできるのですが、
「お金を賭ける→売れない→次のテーマにお金を賭ける→これもやっぱり売れない」
という、負の悪循環に陥っております。
「賭ける」っていうのは、正確には「掛ける」だと思うのですが、もう出版てバクチみたいなものですからね。
出す前は「絶対いける、かも?」と思うのですが、いまところ売れてくれてるのは『日本の路地を旅する』と『被差別の食卓』だけですから、10発中、2回しか当たってないんですね。競馬みたいなものです。
しかも、どちらも10年以上かけて取材して書いた本なので(特に『被差別の食卓』は、駆け出し時代なのでほぼ全て自腹)、それでも3万〜5万部なので、けっこう、人知れず「ダメ男」だなーとしょげております。
だって10年かけてそれですからね。「ノンフィクションのわりに売れてますよー」と言ってくれる人もいますが、ハッキリいってこれじゃあ食えませんよ。
先日も、掛かり付けのドクターと次のような会話をしました。
「どうも最近、ストレスがあるんじゃない?」
「うーん、忙しいのに、お金がないですね。ぼくの書くのは暗いものが多いから売れないんです」
「じゃあさ、もっと明るいテーマの書いたら?」
「(簡単に言ってくれるなーと思いつつ)でもそれは、先生に例えたら、心療内科を止めて内科になれ、と言われるようなものだから無理ですよ」
と反論したら、笑われてしまいました。
まあ、ぼくも仕方なく笑ったんですけどね。ホントは「美容整形」と言いたかったのですが。。。
「売れるものを書こう」と思ったこともあったんですけど、べつにそれは改めて決心するまでもなく、そこは一応プロですから、無意識化に以前から、いつもそう思ってたと思うんですね。
だけどやっぱり、そのさらに根底には、「自分の納得した仕事だけをやろう」と思っているようなんです。そんな大そうな自覚は自分にはないんですけど、振り返ってみたら、どうも、そうなっているようなんです。
それで思ったんですけど、この「自覚のなさ」が問題かと。。。
だから今年(もう2月ですが)は、しっかりと「自分は売れない物書きで、取材経費もすごくかかる人間で、ダメ男なんだから、しっかりとそれを自覚して節制しよう」と決めました。
と言いながら、つい先日も、数か月の海外取材をOKしてしまいました。
そう言うと、これまた格好良く見えるかもしれませんけど、よく考えてください。その間、無収入ですからね(そういうぼくも、決まってから気付いたのですが)。
もちろん、経費は出ますよ。だけどそれは日々の取材経費で消えますから、収入にはならないのです。しかも、その本が出るのは2年後なんです。
しかし、これは刊行が確定しているからまだマシで、ぼくの場合は刊行も決まっていないことも珍しくないですから(というか、まったく素の状態で事前に決まったのはこれが初めて)、我ながら「あれ、なんで受けたんだろう?」と自問自答しています。
グチはこれくらいにして、まあ、最初から食べようと思ってこの世界に入っていないので、自転車操業でも、それができるだけまだマシだと感謝しています。
というのも、先日、ちょっと調べものがあり、そこに土門拳が絡んできたので知ったのですが、彼のある写真集なんか、戦前に3年かけて取材・撮影したものが刊行されたのは、何と昭和47年なんですね。出るまで30年かかっているのです。ちょっとビックリしました。
やっぱり、上には上がいるもんですね。
だからぼくのように、10年やそこらでウンタラ言ってるようではダメだと思った次第です。これからは清貧で、さらに良い作品を出すよう、頑張りたいと思います。
とりあえず、家計簿つけます。