あまりに非道な行為が、無事解放の願いを打ち砕いた。
過激派組織「イスラム国」が拘束していたジャーナリスト後藤健二さんを殺害したとする映像を公開した。湯川遥菜(はるな)さんに続く無情の殺害宣告だ。
1月20日に明るみに出た人質事件は、安倍首相の中東訪問をとらえた脅しだった。「イスラム国」のために住む場所を失った難民への人道支援を表明した日本政府を責めたて、身代金や人質交換に応じなければ殺害するという主張は、独りよがりでおよそ道理が立たない。
残虐きわまりない犯人と組織を強く非難する。
■責任追及と処罰を
最悪の事態を避けられなかったことは、国際社会や日本が向き合わなければならない多くの課題を突きつけた。
「イスラム国」の特徴の一つが、外国人を拘束して予告した上で殺害し、その様子をインターネットで公開するむごたらしい手口だろう。
この上ない人権侵害であり、国際犯罪である。このような行為を続ける組織との対話や交渉の困難さは想像にあまりある。
しかし、米国が主導する空爆などの軍事行動では解決できない側面がある。そもそも「イスラム国」のような理解しがたい組織がなぜ台頭してきたのか。米英が中心となって強行したイラク戦争が中東地域の宗派間の対立を生み、情勢をいっそう複雑にしてきた経緯に思いをいたさざるをえない。
国際社会は国連などを中心に国単位での問題解決を基本としてきた。「イスラム国」のように国家を名乗りながら、近代国家の常識からかけ離れ、暴力的に支配地域を広げようとする組織とどう対峙(たいじ)していくか。そのことが改めて問われる。
国連の調査委員会が昨年まとめた報告書は、「イスラム国」による思想統制や女性への組織的な性暴力などの残酷な統治の実態を指摘し、戦争犯罪や人道に対する罪で司令官らを国際刑事裁判所(ICC)で訴追するよう促している。
たやすいことではないだろう。それでも2人の日本人のほか、人質となった米国人、英国人が殺害された事件も含め、訴追と処罰を求める国際社会の圧力を高めていくべきだ。
■政府の対応、検証を
安倍首相らの国会などでの説明によると、湯川さんの拘束事件を受けて昨年8月に首相官邸に情報連絡室などを設置。11月には後藤さんの行方不明を把握し、政府が対応する事案に加えたという。
それでも2人を救出できなかったという現実を直視しなければならない。
最初の脅しの映像がネット上に出たとき期限とされた72時間は短かったが、政府が2人の拘束を知ってからでいえば、すでに相当の月日がたっていた。
ジャーナリストらが拘束されたものの解放されたフランス、スペインのケースでは殺人予告などに至る前に解放に向けた交渉が進んでいたとされる。
今回の日本政府の対応について、菅官房長官はきのうの会見で「(「イスラム国」とは)接触しなかった」と述べた。それはなぜなのか。昨年、新設された政府の国家安全保障局は、どのように機能したか。
同じ被害を繰り返さないためにも、政府は事実を最大限公表し、検証する責任がある。
■互いを知り合う必要
冷戦後、中東は戦争や紛争の現場となってきた。日本政府は欧米主要国とは一線を画し、抑制的なかかわり方をしてきた。非軍事で、難民らへの人道支援に重きをおくものだ。
「イスラム国」は後藤さんを殺害したとする映像で、安倍首相を名指しし、日本を敵とみなすメッセージを送りつけてきた。しかし、「イスラム国」に対する軍事作戦に日本は参加していない。人道支援を重視する日本の姿勢は、いまも中東地域に広く浸透している。
「イスラム国」から筋違いの脅しは受けたが、これからも家を失い、苦境に立たされている人たちの生活を支える姿勢を守り通すべきだ。
紛争地の取材を重ねてきた後藤さんが心を寄せていたのも戦闘の帰趨(きすう)ではなく、現地の人たちの暮らしぶりや、喜び、悲しみだったという。
殺害宣告は理不尽きわまりない行為である。中東ではこのような理不尽が日々積み重ねられている。それらは「対岸」の出来事ではなく、日本が向き合わねばならないことである。
周辺の国々にはシリア、イラクから逃げる人たちがあふれ、欧州各国も含め、難民受け入れの負担が増している。今こそ日本政府が難民に門戸を広く開くときではないか。
ほとんどのイスラム教徒は穏健で命を大切にする人たちだ。互いをもっと知り合う。そして必要な助けの手をさしのべる。
悲劇を乗り越え、その原則を貫きたい。
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