第48話 二股
俺が気絶から目覚めたのは昼過ぎだった。
付きっ切りで見ていてくれたらしいアメリアが目の前にいる。
そして、腹の上ではリリーが丸くなってこちらを見ていた。
「よかったじゃない」
リリーから、俺の悲願成就に対してかけられた言葉はそれだけだった。
相変わらず人間の感情には無頓着な猫だ。
「クロエは?」
「泣き疲れて私のベッドで寝てるわ。ちょっと話したんだけど、なんだかクロエは本当にカエデのことが好きみたいよ。混乱じゃないような気がするわ。その気持ちが私にはよくわかるもの。彼女は本気なんじゃないの?」
目覚めた俺にアメリアは、まるで錯乱した死体に共感したようなことを言った。
今まで気持ちを言い出せなかったことで、変な同情心でも持ったのだろうか。
はあ、それにしてもこんなかわいい彼女ができるなんて俺は幸せだ。
「鼻の下が伸びてるわよ」
俺の上から動こうともしない猫がそんなことを言った。
邪魔だなあと思うが顔には出さない。
「ホント、にやけてるわ」
そう言うアメリアの方もにやけていた。
「そりゃあね」
言いつつアメリアの手に自分の手を乗せるが、そげなく振り払われてしまった。
その態度に多少なりとも傷ついた。
「ちゃんとクロエのことも考えなきゃだめじゃない。なにか思わせぶりなことでもしたんじゃないの? それとも一緒にお風呂に入ったときに何かしたんじゃないでしょうね」
「いやあ、あいつは最初からあんな感じだったよ。それに自分のことについては何も話さないから、俺もよくわからないんだよね」
「ねえねえアメリア聞いて聞いて。こいつったらね、頭の中はキスのことしか考えてないわ。今も上の空で答えてるだけよ」
もう一度アメリアの手を握ったが、今度は振り払われなかった。
リリーに考えていたことを言われてしまって、さすがに顔が火照る。
アメリアの顔も赤いが、きっと俺も赤くなってるだろう。
だけど俺はキスがしたくてたまらなかった。
「そう、そういうことがしたいの……。で、でも、今は駄目なの。もうちょっと待ってね。それに、クロエのこともちゃんとしなきゃだめよ。あんなに軽く婚約を口にするのもよくないわ。私なんて、いきなり二股宣言されたみたいで嫌だったわよ。ああやって、その場その場で誤魔化すようなことばかりしてるからよくないんだわ」
アメリアに睨まれてしまった。
それにしても、どうして今はキスしちゃいけないのだろう。
リリーに見られていることを気にしているのだろうか。
「そうよそうよ。貴方は周りの女に見境がなさ過ぎるんだわ。アメリアも気の毒ね。こんな男と婚約してしまうなんて、私まで責任を感じてしまうわ」
「なあ、リリー。ちょっと二人きりにしてくれないか。後で串焼きでも買ってきてやるからさ。町で一番高級な奴を買ってきてやるよ」
「いやらしいわ。二人きりになって何をするつもりなのかしら。あら、聞くまでもないわね。まだアメリアの唇のことばかり考えてるわ」
「もう、今はだめって言ってるでしょ。どうしてもだめなの。ちょっとだけ待ってね」
「残念ね。じゃあ代わりに私がしてあげようかしら」
「猫とそんなことする趣味はねえよ」
「酷いわ。ところで高級店の串焼きを買ってきてくれる話は、まだ有効なのかしら」
恋人同士が話しているというのに、ここまで無造作に割り込んでくるとは、一体どういう神経をしているのだろうか。
俺がもう遅いよと言ったら、そんなのおかしいわと怒り出してしまった。
非常にめんどくさい奴である。
「ねえ、私もちょっと自由になるお金が欲しいんだけど、もらってもいい?」
アメリアがこんなことを言い出すのは珍しい。
俺はゲートを開いて、中に入っていたお金入れの袋をアメリアに渡した。
アメリアはそこから一掴みくらいのお金を取って、その袋を返してくる。
「もっと持ってた方がいいよ。何かあったとき、持ってないと困ることもあるかもしれないから」
俺はそう言って袋に入っていたお金を半分くらいアメリアに渡した。
農閑期の間だけはあまりお金も入ってこなくて貴重なのだが、監視業務のおかげで日用品を買うくらいは十分にある。
もっとも、監視業務があるのは農閑期の最初の方だけらしいので、これからは安い値でも戦利品を売らなければならなくなるかもしれない。
だけど俺はもうそんなこと半分どうでもよくなっている。
正直、迷宮とかよりも今はアメリアのことで頭がいっぱいだ。
これ以上考え事を増やしたくなかった。
彼女がいなかった35年間のおかげで、頭の中にはやりたいことが列を作っている。
その記念すべき第1陣がキスをすることなのだ。
「午後は休みにしましょうか。私は出かけるから、カエデはクロエとちゃんと話しをしなさいね。しっかりと向こうの言い分も聞いてあげなくちゃだめよ。カエデがちゃんと考えて選んだことなら、私はどんなことでも受け入れてあげるんだからね」
そう言って、アメリアは俺の頬にキスをしてくれた。
恥ずかしいらしく、そのままアメリアは足早に部屋から出て行ってしまった。
意外と大胆なことをするんだなと思う。
部屋にはアメリアの甘い匂だけがまだ残っている。
俺も一緒に行きたいが、いまだ黒い毛玉が、俺の上に陣取って不満を並べ立てているので動けない。
しばらくしてクロエが起きてきた。
凄い迫力の表情で部屋に入ってきたのでリリーすらも逃げ出した。
正直、俺も逃げ出したい。
「うまくいかなかったときは、お前と付き合ってやるって話だっただろ。どうしてそんなに怒るんだよ。しょうがないじゃないか」
クロエは何も言わずに俺に抱きついてきたので、しょうがなく俺も抱きしめてやった。
そのまま頭をなでて慰めてやる。
いつもこうなのだ。
言うべきことは何も言わずに、態度だけで俺に対する好意を表してくる。
だいたい死体に取り付いた魔力に好きだと言われても、まっすぐに受け止められるわけがない。
「二番目でもいいから、妾を妻にしておくれ」
不意にクロエがそんなことをつぶやいた。
うーん。
アメリアがなんて言うだろうか。
「今は人間になったような気がするだけで、そのうちそんなことには興味がなくなると思うぜ。もうしばらく、そのままでいいんじゃないか」
「妾は人間なのだ。本当は精霊ではない」
「そんなことあるわけないだろ。だって魔法を使うときに力を貸してくれたじゃないか。普通の人間にはそんなことできないんだぜ」
「もとは精霊だからできるのだ。それならば人間だと証明できれば結婚してくれるか」
「ああ、いいよ」
これは別に証明できないだろうと思って答えたのではなく、人間だったら結婚してもいいと思えたからだ。
だけど現実には無理だろうからしょうがない。
それに、そんなことをアメリアに言ったらどうなるか考えただけでも恐ろしい。
「本当だな?」
「証明できたらな」
「それでは、そのときまでに精々あの小娘に取り入っておこう。本妻にいびられてはかなわんからの」
やっと話が纏まって安心し、うたた寝をしていたらアメリアが帰ってきた。
色々と食べ物も買ってきてくれたようで、ちょっと早いが夕食を作ることになった。
そしたらクロエも手伝うと言い出して、アメリアと一緒に作り始める。
アメリアはクロエにびびっているのか及び腰な態度だ。
クロエが変なことを言い出さなければいいなあとぼんやり考えながらクロエの小さな背中を眺めていた。
「もし、其方とカエデが結婚するときには、妾が第2婦人になることになった。これからは、そういうことでよろしく頼む。料理なども教えてもらいたい」
その言葉を聞いたアメリアが振り返って俺を睨んだ。
ああ、俺ってやっぱり馬鹿なんだなと思うしかない。
どうして付き合いだした初日から修羅場を演出してしまうほど抜けてるのだろう。
こいつは最初から自分が精霊などとは疑っていないのだから、確定事項のつもりでいるのはあたりまえだ。
しかし、これ以上こじらせたくない俺はなんとも言えない。
またクロエが騒ぎ出したら大変だからだ。
「そういうことになったのよのう?」
「あ、ああ……」
「そう、本当にカエデはあなたとの結婚を約束したのね?」
「うむ」
「……いきなり浮気なの?」
俺がそうだとも違うとも言えずにいたら、アメリアは泣き出してしまった。
泣きながら、それならしょうがないわねなどと言っている。
それきり、ああいう甲斐性のない男は駄目ねなどとクロエと話し始めた。
俺としては話をまとめただけなのに、目の前で陰口をたたかれておもしろくない。
しかもリリーまで加わって、俺がろくでなしということで3人とも一致している。
大体、俺は精霊と契約をしただけで、浮気のつもりなど微塵もない。
そんなことを考えていたらいつの間にか夕ご飯ができあがった。
3人と1匹でテーブルを囲んでそれを食べる。
それで芋を食べていたら、俺はあることに気がついた。
「う、うそだろ……。ちょ、ちょっと、クロエ、お前……」
俺は慌ててクロエの胸に手を伸ばした。
横から見た感じ少し大きくなっていたのだ。
「きゃあ、なにしてるのよ!」
「いやっ、そのことはちょっと待って。おいクロエ、お前ここをどこかにぶつけたか?」
「いいや」
初めて会ったときよりも少しだけ大きくなっている。
そんな馬鹿な。
魂が死んでたら成長しないはずなのに、どうして成長しているのだ。
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