第34話 ルサルカ
翌日もダレンと共に地下8階へと入った。
俺は昨日ゲイザーと目を合わせすぎたせいで、まだ気分がよろしくない。
なのにダレンはなぜか平気な顔をしていた。
今日はなるべく地面だけを見てゲイザーの目を見ないようにする。
ライバルが多いせいかゲイザーの落とす魔結晶のドロップ率はよくない。
ドロップ率もよくないのに魔結晶自体も小さいものが多い。
ここまで降りてきたというのに地下5階での稼ぎとあまり変わらないのはそのせいだ。
アメリアと俺はマナの量も普通より多いので魔法抵抗もあるから、もう少し下に行きたいがダレンの方が敵の魔法攻撃に耐えられそうにないので見送った。
彼には敵の攻撃を避けるという選択肢がないのだ。
いくら広い迷宮内とは言っても、こうも同業者が多いと会わないようにするだけでも一苦労だ。
そんなことを考えながら地下8階での二日目を過ごす。
ゲイザーの攻撃自体は触手に触れたらしびれる程度なので大したものではない。
昨日と同じように昼飯時は算数の時間になり、夕方になってダレンに換金を任せて家に帰った。
そこで今日は竈作りを手伝う。
昨日で土台は終わったので、今日は煙突付きの竈の中身を買ってきた。
「この台座を上にのせて、その回りにアーチを作るように煉瓦を並べるの。粘土は間を埋めるように使ってね」
石窯というのは、ようは底の浅い焼却炉のようなものだ。
俺もピザ屋に置いてある、かまくらのようなそれを見たことがある。
俺が雑なのもあるだろうが、やはり二人で作業すると早い。
台座の上にのせた鉄製の竈に煉瓦を乗せていくだけなので、作業自体もそれほど難しいわけじゃない。
しばらくするとそれなりの形にはなってきた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
と言って俺は作業を抜け出してトイレに行った。
扉を開けるだけで小屋ごと揺れるいい加減な作りのあのトイレだ。
足の下を流れている水に向かって用を足し、尻を洗って風で乾かした。
そのあとは乾ききらないのをタオルで拭いた。
トイレには壁に打ち付けられた棚の上に二つのタオルが並んでいる。
俺用とアメリア用だと言ってアメリアが用意してくれたものだ。
そう、アメリア用のタオルが目の前にある。
さっきアメリアも用を足していたはずなので、使っただろうと思われる。
匂いはするのだろうかという恐ろしい考えがわき起こって、俺はそれを振り払った。
そんなことをしていたなんて知られたら、どんなことになるのか想像も付かない。
こんな事を考えて俺は頭がおかしいんではないだろうかという、別の恐怖もわき起こった。
でも濡れているのかなということが気にかかる。
ちょっとだけ触れてみようと恐る恐るアメリアのタオルに手を伸ばしたところでトイレの扉が開いた。
「なにしてるの」
普段よりも2オクターブくらい低いアメリアの声に、俺の背筋が凍る。
振り返ると感情が抜け落ちたような顔でアメリアがこちらを見ていた。
「それは私のタオルよ」
「ん? そうだっけ?」
俺はこんなにも役者だったろうかと思うほど会心の返しが出来た。
しかし、そんな俺の返しにもアメリアの表情に改善の兆しはない。
「ひどいわ。そんなものを触るような人とはもう一緒に暮らせない。出て行かせてもらいます」
目に涙を浮かべたかと思うと、そのまま俺から目線を外す。
そして肩を怒らせて家の中に入ってしまったので、俺はそのあとを必死で追った。
そのままアメリアの部屋に入る。
「ちょ、ちょっと待って。乾かすために広げておこうと思っただけだから」
「リリーが何かあったのかもなんて言うから行ってみれば、そんなことする人なのね」
「ちがう、誤解だって、なんで荷物をまとめてるの。まってよ、一緒に暮らすのが嫌なら今日から俺が外で寝るよ。それでいいでしょ?」
「もう無理よ」
「本当に悪気はないんだって、本当に濡れてたら乾かさなきゃって思っただけなんだ。本当に最近は真面目に生きようと努力してるんだよ。俺が外で寝起きしたら一緒に暮らしてることにはならないだろ。それで手を打ってくれないかな」
アメリアの軽蔑の視線が俺に刺さった。
その視線にゾクゾクして、また俺は自分の正気を疑わなければならなくなり、それでもひたすらに謝り続けた。
少しして、アメリアはため息をついた。
「こんな寒いのに外でなんか寝たら死んじゃうわよ。しょうがないから一度だけ許してあげる。次はないわよ」
俺は神妙な顔ではいと返事をした。
それきりアメリアは普段通りに接してくれる。
最近は真面目に生きようと努力はしているのに、どうも上手く行かない。
それにしてもアメリアはどうして許してくれるのだろうか。
「アメリアはいつもそんなこと言って許してくれるよね」
「そんなことないわよ。次はないんだからね」
「ブランドンの手下が俺を殺そうとした時も、前に出て庇ってくれたよね。もしかして俺のこと好きなんじゃないの?」
「そう、反省の態度も見せずにそんなことを言い出すのね。あれは魔法壁を作り出そうとしただけよ」
「じゃあなんで、そんなに顔が真っ赤なの?」
「恥ずかしい話をしている自覚もないのね。もう怒ったわ。絶対に許してあげない」
うーん、この反応はどういう意味なのだろうか。
リリーならなにか知ってるかもと見るが、アメリアのベッドの上で水に浮かぶ鴨みたいな格好をしながら静かにこちらを見ている。
夕日が入ってくるから、暖かくて心地がいいのだろう。
「怒るって事はあんがい図星なんじゃないのかな。あんまり田舎に引きこもってたから、もしかして好きって感情がわかってないとかなんじゃないの。気になるとか、そういうのが好きって事なんだよ。そういう感情に心当たりはない?」
「だから違うって言ってるでしょ。勘違いもいいとこだわ。もう怒った」
否定する態度に力がなくて、それがかわいい。
こんな話をするだけでアメリアはうろたえてしまうのだ。
なんでそんなに顔を赤くしてるのか小一時間問い詰めたい。
「その気になったらいつでも夜這いに来てよね。ウエルカムだから」
俺が調子に乗っていると、アメリアが俺の胸に手を当てた。
なんのつもりだろうと思って見ていたら、アメリアが魔法を唱えた。
「ルサルカズモス!」
俺の胸でアメリアの手が光り、衝撃と共に頭の中が停電した。
意識が真っ暗になって、あるのは豆電球くらいの光が一つだけ。
その光はアメリアだった。
暗闇の中で、その小さな光にすがりつくような気持ちが生まれた。
自分が今なにをしているのかもわからない。
不安に思っているとアメリアにそこに座りなさいと命じられた。
俺はそれが嬉しくて、言われた通り切り株で出来た椅子に腰掛ける。
命令がなくなると、なんだか凄く寂しいような気持ちになる。
アメリアに石窯を作りなさいと言われて、心の中にまた豆電球が光った。
暖かい光に包まれたような心地で、その指示に従って石窯を作り始める。
ここはこうしなさい、そんな風にしちゃ駄目よ、そんな指示を受けるだけで幸せな気持ちになる。
必死でアメリアの言葉を待って、その指示に従った。
石窯を一所懸命作って、それが終わったらお湯を沸かすように命じられる。
お湯が沸くまで命令がなくなってしまって、ひどく寂しい気持ちになった。
それでなにか話しかけて欲しくてアメリアのあとをついて回る。
しばらくして、アメリアが手を叩いて俺の頭の中で起こった停電は終わった。
「今のが人の心を虜にする魔法よ」
アメリアが目を細めて、ほら怖いでしょ、というような顔を作っている。
自分の意識が戻ってきて、俺はさっきまでの感覚が失われたことを寂しく思った。
なんだかアメリアの愛に包まれているような不思議な感覚だった。
全然嫌な感じはなくて、気に掛けてもらえることが嬉しくてしょうがないのだ。
「ねえ、もう魔法は解けたのよ。大丈夫?」
ボケッとしている俺の顔をアメリアが心配そうな顔でのぞき込んできた。
さっきまで自分の体の感覚さえ意識できなくなっていたのに、それがなくなって俺はひどく疲れを感じていた。
「体がひどく疲れてるんだけど、まさかこき使ったりしてないよね」
「なに言ってるの、ちゃんと覚えてるでしょ。石窯を作らせたり薪を運ばせたりしただけよ」
「ちょっと怒らせたら、人を奴隷にするなんて感心しないね」
「大げさに言わないで。途中になってた仕事をしただけでしょ。それにこの魔法を使ったのはこれで二回目よ」
「一回目は?」
「リリーが家の中にタヌキを引きずってきたことがあったの。私が卒倒したのに、まったく気に掛けずに、家の中を血だらけにしたのよ。それで燻製を作るとか言いだしたの。ひどい臭いだったわ。その時が一回目」
俺がリリーを見ると、まだベッドの上で目を細めながら気持ちよさそうな顔をしている。
特にその時のことについて言いたいことはないようだ。
俺はその様子に少し笑い出してしまった。
「なるほどね。それじゃ俺は浴場屋にでも行ってくるよ」
「ゆっくり行ってきてね。私が体を洗う前に帰ってきても外で待たせることになっちゃうわ」
俺はわかったと言って浴場屋に行った。
疲れた体にちょっと熱めのお湯が染み渡るようで気持ちよかった。
何度も浴びてたら店の親父に追加料金を取るぞと怒られてしまった。
それで帰ってきてから薪をいくつか家の中に移して、何時でもくべられるようにしてからベッドに横になった。
アメリアの前では言わなかったが、あの魔法は癖になる何かがある。
なんだかしっとりとしたものに守られているような、安心感があった。
命令を受けるたびにアメリアの愛が感じられるようで、その感じがたまらなかった。
それにしてもアメリアの気持ちはよくわからない。
まったく俺に気がないようにも見えるし、気に掛けてくれているようでもある。
まあアメリアはそういうことを曖昧にはしないだろう。
ひいき目に見ても友達として気に掛けてくれてるくらいかと俺は結論した。
打率ゼロが期待しても辛い思いをするだけだなと考えながら俺は眠りについた。
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