第8話 不浄の魔法とアメリア
朝、リリーの大きな話声に起こされた。
なにやらアメリアに話をしているようだ。
「昨日の夜はヘビとカエルを見つけて食べたの。カエルはとっても美味しかったわ。もう私が夜に起きてる必要はないかもしれないわね。誰かが追ってきているような気配はないもの。そういえばね、聞いてアメリア、カエデったら夜中に起き出してね、そこの岩陰でなにやらコソコソとよからぬ事をしてたのよ。何事かと思って眺めてたら、やっぱり男の子なのね。溜まってたものを出してたみたい。ほら、村のお婆さんが話してたじゃない。男の人は体に溜まった毒を定期的に出さなきゃいけないって、あれをやってたの。私、初めて見ちゃったわ。ねえアメリア、聞いてるの?」
もう勘弁してくれよ。
マジで勘弁してくれ。
百歩譲って見ていたことは許したとしても、どうして黙っていてくれないのだ。
見たこと、感じたこと、全てを報告しないでいられない病気なのかよ。
俺は眠気も吹っ飛んで、飛び起きると二人のもとへと行った。
いや、一人と一匹の元へ。
アメリアは顔を真っ赤にして、俺と顔を合わそうともしない。
朝の挨拶もしてくれない。
「おい、リリー! そんな話までしなくたっていいだろ! どうしてそんなことまで言うんだよ。だいたい起きてたんなら声くらい掛けろよ。のぞきなんて趣味が悪いぞ」
「あら。私、何かおかしなことを言ったかしら。だって本当の事じゃない。それに村のお婆さんは言ってたわよ。男の人なら普通のことだって。何をそんなに怒っているのよ。それに、のぞいていたなんて心外ね。貴方を監視していたの」
俺はショックのあまり言葉も出てこない。
これでアメリアに嫌われたらどうしようという思いで一杯だ。
昨日からリリーは昼間に寝てておかしいと思ったのだ。
夜中に起きて見張りをしてたのか。
それに気がついていればこんな事にもならなかったのに、どうして俺は気がつかなかったのだ。
「お前なあ。いくら猫の頭でも、言っていいことと悪いことの区別くらいつけろよ。俺は恥ずかしさで死にそうだよ。どうしてそこら辺がわからないんだ」
「ちょっと、乱暴に掴まないでよ。私はアメリアが男の人のことを何も知らないから教えてあげてるの。何も悪いことはしてないわ」
「私はリリーが悪いと思うな。はい、朝ご飯」
俺はアメリアからパンとお茶をもらった。
その時もアメリアは俺の顔を見てくれない
「そうかしら。ならどうして貴方はあんなところで人に言われたくないことをしてたのかしら、我慢すればいいじゃないの」
「お前だって言うほど男のことをわかってないな。もういいよ。その話はやめてくれ」
俺は心底ショックを受けて、絶望感とともにパンを食べ、お茶を啜った。
朝ご飯を食べても、何もやる気がわいてこない。
この世の全てが終わってしまったことのように感じられた。
つまらないことで女の人に嫌われたのは何度目のことだろうと思いを巡らせる。
「そうやって疲れたふりをしてれば、またアメリアに手を握ってもらえると考えているのね。いやらしいわ」
馬鹿な畜生がまだ何か言っているが、俺ははっきりと聞こえないふりをした。
こいつが悪魔だということをすっかり忘れていた。
ちょっとでも油断を見せれば、こうして牙を剥いてくるのだ。
俺は背後にあった大きな丸石に寄りかかって空を見上げた。
「そんなに落ち込まないで。もしかしてリリーに裸を見られちゃったの? それなら全然気にする必要ないの。私だっていつも見られてるのよ。精霊は人間とは感覚が違うから気にする必要なんてないの。私なんかいつも見られちゃってるけど気にしてないわ」
アメリアが俺を気遣ったのかそんなことを言ってくる。
顔は赤いままだ。
「いや、裸は見られてないけど……」
「それなら気にすることないじゃない。私もリリーから聞いたことは忘れてあげる。でも、裸を見られるより恥ずかしい事なんてあるのかな」
神様ありがとう。
彼女は何もわかっていない。
ただちょっと性的な雰囲気を感じているだけで、どんなことをしていたのかは知らないのだ。
彼女の純真さに俺の心は救われた。
「裸を見られるよりも恥ずかしい事なんて沢山あるじゃない。うんちやおしっこしてるところを見られたら恥ずかし────」
俺は即座にリリーの口を押さえた。
とりあえずこの話の流れに参加されるのはまずい。
「ちょっと、カエデ。近い近い!」
気がつけばアメリアの頭の後ろに腕を回していた。
確かにアメリアの顔が近い。
俺はアメリアのフードからリリーを引っこ抜いて、彼女から距離をとった。
「いいか、リリー。その話だけはもうやめよう。昨日のことを無かったことにしてくれたら、俺はお前に一生の感謝を捧げる。どうだ?」
「貴方に感謝されても迷惑なだけなのよね。でも私は好んで人の嫌がることをする趣味は無いの。だから忘れて欲しいと言うのなら忘れてあげてもいいわ。そのかわり、感謝はアメリアの力になることで返して欲しいわね」
悪魔の癖に殊勝なことを言う。
俺は、約束だ、と言ってリリーの腕を掴んだ。
握手のつもりだ。
「それじゃ、契約の成立を祝ってしばらく俺のフードに入ってろ」
「馬鹿ね。私がアメリア以外と契約なんてするわけないじゃないの」
「そっちの契約じゃないよ。アメリアの力になるって方だ」
「そう。じゃあ、しばらくここにいる事にするわ」
「二人で何を話してるのよ。私のこと仲間はずれにしちゃって、ひどいわね。それとこの毛布はカエデにあげるわ。だからカエデの異空間に入れておいていいわよ」
俺はアメリアから毛布を受け取ってボールのゲートを開いた。
リリーが力を貸してくれたので簡単に開くことが出来る。
使い魔というのは、こういう風に魔法をサポートしてくれる存在なのだ。
特に難しいイメージを必要とする魔法には大変重宝する。
「それにしても、リリーってカエルとかヘビとか食べてるんだな」
「そうよ。アカツチ蛇とグオグオ蛙が大好きなの。見つけたら教えてね」
パンとかお菓子とかも食べてたけど、やっぱり肉食が中心なのだ。
猫の体がそういうのを求めているのだろうか。
「それじゃあ出発しましょう。今日は街道まで出られるはずよ」
俺の使ったカップを川で洗っていたアメリアが言った。
家庭的でいいなあ、と無責任な感想が浮かぶが、その表情に疲れの色が見えて心配になる。
「アメリア、もしかして疲れてる?」
「ちょっとね。こんな風に足場の悪いところを歩くのって、魔力を沢山使うから大変なのよ」
「身軽だなー、とか思ってたけど魔力を使ってたのか。俺は山育ちだから身軽なんだと思ってた」
「そんなわけないでしょ。そんなことよりカエデは魔力も使ってないのに身軽よね」
「よく釣りをしてたから慣れてるんだじゃないかな」
そしてまた川下りが始まる。
川が近くにあるので日中でも暑くないのがありがたい。
今日は街道まで出るのが目標である。
「ところでさ、アメリアはなんであんな辺鄙なところに一人で住んでたの?」
「……私はね、村では悪魔の使いって呼ばれてるの」
「そ、それはひどい話だね。いくら何でもアメリアの親友に対して悪魔だなんて、俺はそういうの絶対に許せないよ」
「私が悪魔と呼ばれているみたいな勘違いをしてないかしら」
「えっ、リリーのことじゃないの?」
「本当に馬鹿なのね。アメリアの日焼けしない肌と美しい金髪を見て、本当に気がつかないの?」
「私のお父さんはエルフなの。お母さんは人間。だからああやって人里離れた所に住んでたのよ。この国は昔から種族間で仲が悪いから、私たち親子はエルフの里にも住まわせてもらえなくて、村の近くに住まわせてもらっていたの。異種族間で結婚したから色々ひどいことも言われたけど、それでも人の住むところから完全に離れてしまうと生活が出来なくなってしまうでしょ。あそこくらいしか住むとこがなかったのよ。だから酷いこと言われるのもしょうがないの」
二つの血を引き継いでしまったアメリアには、どちらの種族も味方をしてくれなかったということだ。
その孤独と悲しみを思うと、俺は胸が張り裂けそうなほど痛んだ。
「カエデは私にも普通に接してくれたよね。すごく嬉しかったよ」
「当たり前じゃないか。アメリアよりいい人なんて見たことがないよ。それに何で過去形なんだよ。これからだって変わらないからな」
「すごく不思議な人だね。……本当は言いたくなくて隠してたんだ」
俺は涙が溢れてきて、それ以上なにも言えなくなった。
本当にこの世界は度しがたいほどふざけた奴らで溢れかえっている。
教養がないからしょうがないと言ってしまえばそれまでだが、それで許してやる気にはなれない。
せめてこの子を守れるくらいの力が欲しいと思った。
命を救ってくれた恩を返すにも、今の俺には力がなさ過ぎる。
そのためにできる事と言えば、やはり魔法しかない。
「ところでアメリア師匠、次の奥義を伝授して欲しいのですが」
「奥義だなんて大げさすぎるわ。ただの生活魔法よ。絶対に無謀なことはしないって約束してくれるなら考えてもいいかな」
「絶対にしないよ」
こうしてまた魔法を覚えることになった。
しかし今回は前までの不純な動機とは違う。
「次は不浄の魔法かしらね」
肩の上でリリーが言った。
近いところで喋られるとリリーの甲高い声はかなり耳に痛い。
「それじゃあまず、指を伸ばして、そう、その指からちょっと離れたところに水の流れを召喚するの。ちょうど川があるでしょ。この川の水と自分の指の先を接続するようなイメージでやってみて」
俺は言われたとおりにやってみる。
リリーの力が借りられるので、なんということはなく成功する。
指の先から水鉄砲のように水が飛び出した。
「それじゃ駄目なの。もうちょっと指から離して水を出すのよ」
理由はわからないが言われたとおりにやってみる。
それほど難しいことはない。
それにしても、この魔法のなにが不浄なのだろう。
「これって何に使う魔法なの?」
素朴な疑問を発しただけなのにアメリアは言い淀んだ。
かわりにリリーが眠たげな様子で答えてくれる。
「うんちした後にお尻を洗い流す魔法よ」
「なるほどね。それじゃ乾かす魔法もあるのかな」
「あるわ。異空間を作り出すのと同じで、空間をイメージして、その空間の空気の流れに干渉するの。空間に変化を求めるようなイメージで、空間全体に薄く魔力を引き延ばすようにすると成功するわ」
これはちょっと難しかった。
干渉というものをイメージするのが難しいのだ。
それでもリリーの助けを借りているので一回で成功する。
「すごいじゃない。全部一回で成功したわ。治療は難しいから魔法になれてきたら教えてあげる。だからひとまず、これで生活魔法は終わり」
「なるほど。じゃあ歩きながらおさらいでもするよ」
俺は一通りの生活魔法をおさらいしてみた。
寝てしまったのかリリーからの助けが弱くなって、異空間の呼び出しと風を起こす魔法は成功しなかった。
仕方ないので、発火と水鉄砲だけを繰り返し練習することにした。
「ねえ、真面目に練習してるところ悪いんだけど、不浄の魔法は使ってるのを見るのがなんだか恥ずかしいわ。私以外の人の前で練習しないように気をつけた方がいいと思う。それに、そんなに強い水流だと……その、痛いと思う……のよね」
なるほど。
言われてみれば確かにそんな感じがする。
俺はおもしろがって、呼び出した水で虹を作って遊んでいたのだ。
俺は照れているアメリアの頭の上に向かって水を飛ばした。
「きゃあ! と、とんでもない不作法だわ」
俺は笑いながらアメリアの上に出来た虹を見ていた。
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