第5話 リリー
翌朝、目が覚めて辺りを見回すとアメリアの姿が見えない。
置いてきぼりにされたかと焦るが、すぐに彼女たちの話し声が聞こえてきた。
毛布を畳んで荷物を身につけ、声のした方へと向かう。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん」
「あ、毛布はそこに置いておいてね」
「信じられないわね。この状況でよくあれだけ無防備に寝られるものだわ。あたしなんか何度も目が覚めちゃって、もうくたくたなのよ」
明るい中で見ると、アメリアのフードから顔を出して肩の上に両手を伸ばしているリリーは可愛かった。
発育が悪いのか、やたらと小さい体をしている。
「お茶と、昨日のお昼に焼いたパンがあるわよ」
俺は適当な石に腰掛けて、アメリアからパンと鉄製のカップを受け取った。
パンだというそれは、確かに俺の知っているパンのような見た目をしていた。
食べてみると、少しだけ甘さがあっておいしい。
独特の風味があって小麦粉から作られるパンよりモチモチしている。
本当においしい。
お茶はハーブティーのような味で、慣れれば美味しいのだろうが、少し癖の強い風味がした。
新しい世界で、食べ物だけは割と心配だったのだが、この調子なら心配はいらなそうだ。
「ところでカエデはこのあとどうするの? このまま川を真っ直ぐ下っていけば街道に出られるわよ。もし食べ物が必要なら、カエデがバッグに詰めた食べ物は持って行ってもかまわないけど」
いきなりのお別れ宣言に、俺は動揺を隠せなかった。
確かに、これ以上傭兵団が追ってこないというのなら一緒に行動する理由はない。
しかしここで彼女と別れるというのはあまりにも嫌だった。
「その、アメリアたちはこの後どうするつもりなの?」
「私たちは隣のエレストリア王国に行こうと思ってるの。そこなら移民も受け入れてくれるし、私みたいな人でも普通に暮らしていけるって噂で聞いているの。そこには大きな迷宮がいくつもあるから、そこで冒険者の仕事をして、お金が貯まったらお店でも始めようって、前々から二人で相談して決めてたの」
「アメリアくらい魔法が使えたら、きっと冒険者としてもやっていけるわ。素質も十分にあるし、それにお店だって看板娘がいるんですもの流行らないわけないと思うの」
「そ、それに連れて行ってもらうことは出来ないかな。命を助けてもらったお礼もまだだし、わからないことだらけで困ってるんだ。連れて行ってくれたら、色々手伝えることもあると思うんだよね」
「別にお礼なんていいのよ。放っておけなくて助けただけなんだから。言ったでしょ。もともと、ここを離れなきゃいけなかったの。家が燃えたのは寂しかったけど、そうでもなかったら離れられなかったと思うし、それに私なんかといたら嫌な思いをすることも多いから……」
「君が困ってる人を助けずにいられないように、俺も恩を返さずにはいられないんだ。だから連れて行ってくれると嬉しい。それに迷宮ってのも気になるし」
ちょっと嘘くさい理由だけど、それしか思い浮かばなかった。
なんだか彼女の優しさに縋るようで後ろめたい思いはある。
「そうなの。それなら一緒に行きましょうか。ホント言うとね、二人きりじゃちょっと心細かったの」
「私がいて何を心細いことがあるのよ。それに貴方はアメリアに下心があるんでしょう。私にはわかるわ。そんなことがあったら、本当に灰にするわよ」
リリーに、そんなこと絶対にしちゃ駄目だよ、とアメリアが言い聞かせている。
まさか本気だったのかと俺は背筋が寒くなった。
一体この精霊とか言う生き物はなんなのだろう。
そこそこ知性もあり、結構鋭いものを持っているようにも感じる。
「それじゃあ、出発───の前に、カエデは川で顔を洗った方がいいわね。血と泥が混ざって凄く怖い顔になってるわよ」
確かに昨日から顔が突っ張ってしょうがなかった。
なるほど汚れていたのかと、俺は川まで降りていって、顔についた泥と血を洗い流した。
川の水は冷たく澄んで、あり得ないほどに綺麗だった。
服についた泥と葉っぱを落としながら、水を滴らせてアメリアの所に戻ると、彼女がタオルのような布を渡してくれた。
毛布と同じで甘い匂いがした。
「そのタオルはカエデにあげるわ。ないと色々と不便でしょう」
「うん、ありがとう。いい匂いがするね」
「それはね、メリネの花の匂いなの」
「そうなんだ。本当に凄くいい匂い。さっきのパンもアメリアが作ったの?」
「もちろん。ガルプを石臼で何度も挽いて、さらさらになったら蜜と混ぜて焼き上げるのよ」
ガルプというのは小麦粉のようなものだったのか。
てっきり俺は集魚材のほうを連想して、酷い味を想像していた。
ミミズとタニシをすり潰したようなものかと思っていたら、あんなに美味しいものなのか。
「無駄話は歩きながらにして。さっさと行かないと日が暮れちゃうわ。二人ともまったく危機感がないんだから」
「怒られちゃった」
そう言って、アメリアは小さく舌を出しておどけて見せた。
そんな仕草を見ただけで恋に落ちそうになる。
魔性の魅力のようなものが彼女からは溢れていた。
それから川沿いに山を下って歩いた。
川の周りは草もなくて、わりと歩きやすい。
「前から気になってたんだけどさ、リリーはどうして猫の姿をしてるのかな」
「リリーは、私が小さい頃に飼ってた猫なのよ。生まれつき体が弱くて、あんまり長く生きられなかったの。それで私がずっと泣き止まないから、見かねたお父さんがリリーの体を依り代にして精霊を宿したの。だからその頃からの付き合いね」
「じゃあ猫の死体って事?」
「違うわよ。私の体はちゃんと生きているわ。生命活動も続いているのよ。死霊のようなものと一緒にしないでほしいわね。今度そんなこと言ったら、貴方の方が死霊になるわよ」
「ちゃんとご飯も食べるし、たぶん生きているのよ。もとのリリーの記憶も少しはあるの。でも詳しいことは私もよくわからないわ」
「もとが雌の猫だから女の子みたいなしゃべり方なのかな」
「どうかしらね。リリーは水の精霊だからなのもあると思うわ。水の精霊と大地の精霊は女性的だってお父さんが言ってたの。火と風は男性的だとも言ってたわね」
「それにしてもさ、ペットなら飼い主にも責任があると思うんだよね。躾がなってないって言うか、俺なんかさっきから何度も命を脅されて、生きた心地がしないよ」
「ふふっ、それは口で脅してるだけよ。そんなことする子じゃないわ」
「あら、私は本気で言ってたわよ」
「こら、そんなこと言っちゃ駄目でしょ」
アメリアに怒られてリリーはシュンと小さくなった。
アメリアの肩に手を乗せてうなだれる仕草はとても可愛い。
これで性格がよかったら、俺にも一匹欲しいくらいだ。
「ねえねえアメリア聞いて聞いて、あいつったら私のことを愛欲にまみれた目で見てくるの。もうこんなの耐えられないわ!」
「ち、違うって、俺は猫が好きなんだよ。大の猫好きなの」
俺の言い分に、リリーははっきりとわかるほど狼狽えた仕草を見せた。
明らかに俺の言葉を勘違いした仕草だった。
とんでもない誤解である。
「それも違うって。俺が好きなのは喋らない猫の方! 喋る猫は大嫌いだから安心していいぞ」
「酷いわ……私の乙女心は弄ばれてしまったの」
「そんなもの、ありもしないくせに。普段の感じからして心があるとは思えないね。心がないよな、精霊って奴にはさ」
「そうなの。ときどき私もびっくりしちゃうくらい冷たいことを言う時があるのよ」
俺の言葉にアメリアも賛同してくれた。
やっぱり普段からそういう所があるのか。
人間とは違う心の構造を持っているのかもしれない。
「アメリアまでそんなことを言うのね。もういいわ。せいぜい二人で仲良くなさい。もう知らないからね」
「ごめんなさい。そんなに怒らないで。私はリリーが大好きよ」
「俺も見た目だけなら好みだぜ」
かっこつけた動作でリリーを指さしてみせる。
思った以上に単純な心の構造をしているのか、俺たちの言葉にリリーの機嫌は直った。
「俺も精霊と契約できるのかな」
何となく気になったことが、口からぽつりと漏れた。
それをアメリアは聞き逃さなかった。
「もちろんできるわよ。高度な魔法を使うならマナを節約するために精霊と契約する必要があるの。でも専門の人に頼むと結構なお金がかかるのよね。500シールくらいあれば契約できるわよ」
「いや、ちょっと訳ありでお金は持ってないんだ」
「少しも?」
「もう完璧な一文無し」
「それじゃあ、ちょっと難しいわね。私もそんなに大金があるわけじゃないの」
「でもさ、そこら辺にある動物の死体から作れたりもするんじゃないの?」
「それには、森の中で精霊を見つけて話しておく必要があるわ。それは大変だし、力のある精霊とも限らないから普通は持ち主のいなくなった精霊を魔法で呼び出してもらって契約するのが一般的ね」
「そうよ。私のような優秀な精霊をいきなり呼び寄せるなんて、とっても難しいことなのよ。高い霊話の能力が必要になるの。この力を得るには時間がかかるから、いくら才能があっても簡単に出来ることじゃないわ。それよりも、契約者の力に共鳴する精霊を呼び出す方が、自分の力にあった精霊と契約できていいのよ」
なるほど。
それならば、やっぱりお金を貯めて専門家に頼むしかない。
でもそうなると自分好みの精霊と契約するのは難しいよな。
喋る昆虫みたいな奴に四六時中つきまとわられるのは正直キツい。
できればリリーみたいに見た目だけでも可愛いのがいい。
でかくて足が遅くて運ぶのが大変とかだったらどうしよう。
「精霊ってのは、どんな依り代が一般的なのかな。それって、ある程度は選べたりするんだよね」
「精霊のことなら私に質問しなさいよ。いい、精霊というのは、貴方と相性がいいものを時空魔法で呼び寄せるの。だから呼び出したものが気に入らなければ帰ってもらって、次にまた違うのを呼び出してもらえばいいのよ。依り代として一般的なのは、そうね、鳥やネズミや猫が一般的ね。中には人間というのもないわけじゃないわ。特に大地や水の精霊は農家と密接につながっているし、精霊の数も多いから死んでしまった子供を依り代にして両親が心を慰めるなんて事があるのよ。でも、次の契約者のもとで何をされるかわからないのだけどね。あまりいいことではないの。他には物を依り代にするのも一般的かしらね」
「もとが死体だけあって、なんか色々とヤバい感じがするの多いな」
「それと精霊との契約は対等なのよ。だから力を借りる換わりに、貴方も精霊の面倒を見なければいけないの。しかも離れることも出来ないのよ。結構大変なんだから。貴方にそれが出来るとも思えないわ」
「なるほどね」
俺は何となくリリーという存在を理解できた気がした。
それにしてもアメリアの精霊というのは何とも恵まれた状況だ。
正直うらやましい。
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