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迷宮と精霊の王国 作者:塔ノ沢 渓一

第3話 少女と黒猫

 誰かの騒がしい声によって俺は起こされた。
 なぜか甘い匂いに包まれている。
 俺の上に掛けられていたゴワゴワした生地の毛布の匂いだった。

 あまりに気持ちよくていい匂いで、天国にいるような心地がする。
 周りの様子は暗くてよくわからない。

「あっ、目を覚ましたみたいよ」

 俺のことを助けてくれた女の子とは違う声だった。

「傷は塞いでおいたから、もう大丈夫だと思うけど。動ける?」

 俺のことを助けてくれたであろう女の子の声だ。
 天使のような顔が俺のことをのぞき込んだ。

「うん、大丈夫だと思う」

「そんなことよりも、さっきの奴らはいったい何だったの?」

 天使の方とは違う声が、俺の腹の上から聞こえた。
 声に反応して、そちらに目をやると、暗闇の中で小さな真っ黒い猫がこちらを見ていた。

「ね、猫が喋った!? ねえ、この猫、今、喋らなかった!?」

「そんなの喋るに決まってるじゃない。そんなことより、さっきの連中がなんだったのか聞いてるのよ。早く答えなさい」

「えっ、あっ……あ、あれはどこかの戦場に向かう途中の傭兵じゃないかな」

「ほら、やっぱり傭兵じゃない。アメリアったら。貴方、とんでもないことしたわ。きっと、あいつらの仲間がここにやって来るわよ。こんな所にいたら殺されちゃう!」

「そうだ。早く逃げないとまずい」

 俺はやっと今置かれている状況を思い出した。
 俺はどのくらい気を失っていたのだろう。
 それにさっきの奴らはどうなったんだ。

 山狩りに出ていた奴らが帰ってこないとなったら、そいつらの行った方に捜索が向かう可能性がある。
 俺はたぶん一直線に逃げてしまったから、追っ手が来るなら真っ直ぐにここへ向かってくるはずだ。

「だから、逃げる準備をしてるんじゃない。あんまり騒がないでよ」

「こんな奴を助けるから、こんな事になるのよ。放っておけばよかったのに」

「そんなの、見過ごせるわけ無いじゃない」

「貴方のせいでこんな事になったのよ。少しは手伝ったらどうなの」

 小さな黒い猫であろう何かが、俺にそんなことを言ってくる。
 いったいこれはなんなのだろう。
 喋る黒猫とくれば、その相方は魔女、そして生業は宅急便。

 いやいやそんなわけあるかと、頭を振って馬鹿な妄想を振り払った。
 いくら異世界だからって、そんな常識を無視した話があっていいわけがない。
 きっと進化の過程で喋る能力を獲得した猫なのだ。

 とりあえずそんなことを考えている状況でもないので、俺は異世界だからという言葉で無理矢理に自分を納得させた。

「で、手伝うって、具体的には何をすればいい?」

「とりあえずこの毛布をたたんでテーブルの上に置いて、それとあっちの部屋にタンスがあるから綺麗な服を選んで、こっちのテーブルの上に並べるの」

 相変わらず俺の上から動かない猫がまくし立てる。
 普通の猫よりも体のつくりが少し小さく見える。

「それは私がやるからいいわ」

「もう、わがまま言ってる場合じゃないのよ」

「わがままでも、私がやるの!」

 俺はとりあえず毛布を畳んでテーブルの上に置いた。
 服の方は、たぶん俺には見られたくないのだろうと察して手は出さないことにする。

「次はどうすればいい?」

「この鞄を持って私に付いてきて。こっちよ」

 俺は猫について家の外に出た。
 外の空気はひんやりとして少し肌寒い。
 俺たちが出てきたのは、二人組から逃げて最後にたどり着いた場所で見た小屋だった。

 こっちよ、と言って猫は家の裏手に回り込んで行った。
 暗闇の中で見失いそうなそれを、俺は必死で追いかける。
 猫は家の裏手にある物置のような所の前で止まった。

「この中にある食べ物を出来るだけそれに詰めて────、ちょっと待って、それは辛子じゃないの。そんなものたくさん詰めてどうするのよ。少ないけど魚の干物は全部詰めて。残りはガルプの粉袋を入れるのよ。あとはサモ芋を丁寧に詰めるの。ガルプの袋はこっちでしょ、何やってるのよ。サモ芋はあっちの袋に入っているわ。もっと丁寧に扱いなさい。傷がつくと痛みやすいの」

 俺は猫の言葉に従って、必死で食べ物を袋に詰めた。
 何とか詰め終わったところでアメリアと呼ばれていた少女が家から出てきた。
 なぜか大した荷物は持っていない。

 持ち出すために俺は毛布を畳まされたのではなかったのだろうか。

「リリー、準備は出来た?」

「ええ、今終わった所よ。近くに人の気配がするわ。さっさと逃げましょう」

 リリーと呼ばれた猫はアメリアの着ていたローブをよじ登り、後ろに垂らされたフードの中に滑り込んだ。
 俺はアメリアのあとに付いて家の裏にあった坂を下る。
 暗闇の中で、アメリアのローブに浮かぶ刺繍の模様だけが頼りだった。

 谷間に入ったので月の光もほとんど差してこない。
 そのとき突然止まったアメリアの背中に、見失わないことに必死だった俺はぶつかってしまった。
 アメリアは短い悲鳴を上げて、突き飛ばされた勢いで窪地の中に落ちる。

 幸いにも窪地は低く、下に落ち葉もたまっていたらしく、聞こえてきたのは柔らかい着地音だった。
 俺が引き上げようと手を伸ばしたが、アメリアはその手を無視した。
 まるで俺の手など見えてなどないように、彼女は自力で這い上がる。

 その態度に苛立ちのようなものが混じっていて、俺はうろたえた。

「もう、危ないじゃない。もうちょっと離れてついてきなさいよ」

「それは無理じゃないかしら。だってこんなに暗いんですもの、少し離れただけで見失ってしまうわ」

「そ、それはそうだけど……」

 助けてくれた時は優しかったのに、急につんけんした態度をとられる。
 俺が持つ天性の女難がまた発動したかと背筋が冷たくなった。

「確かに、あいつのせいで私たちは大変な目に遭っているわ。でもそんな態度、貴方らしくないじゃない。何があったのよ、アメリア」

「何もないわよ。それよりも早く逃げるわよ」

 彼女はまた小走りに、木々の間を進み始めた。
 俺は狼狽する心を押さえながら、そのあとを追った。
 すぐに人の手が入っていないであろう森に入り、下草が足に絡まり始める。

 谷を越え十分に距離を稼げたところで、彼女はもう一度立ち止まった。
 今度は月の光があったおかげでぶつかることはなかった。
 どうして逃げるのをやめたのだろうと考える俺の前でアメリアは振り返った。

 月の光に映し出された彼女の顔は、やはりこの世のものとは思えないほど愛らしかった。
 長くて美しい金髪が風に吹かれてさらさらと揺れる。
 こんな山奥に一人で住んでいるのだとしたら、妖精かなにかみたいだ。

 しかし振り返ったその顔にはどことなく不機嫌そうな色がある。
 こんなかわいい子に睨まれるような目に遭うなんて、自分の天稟を恨むしかない。
 彼女は油断のない表情で俺のことを見ている。

「俺、何か怒らせるようなことしたかな……」

「あなたもあいつらの仲間なんでしょう。それで仲間割れをしたんじゃないの? この辺りで見たことない顔だし、理由もなく追われてた訳じゃないんでしょ」

「そうよ。きっと仲間なのよ。私もそう思うわ」

「ち、違うよ。全くの誤解だよ。今朝起きたら、何故かあいつらの虎車の中にいたんだ。それで村を襲うって言うから、殴り倒して逃げてきたんだよ」

「嘘ね。あなたに殴り倒せるなんて思えないわ」

「う、嘘じゃないって。あんな奴ら、今日会ったのが初めてだし、それに後ろから棒で殴ったんだよ。それでもう一人は村の近くの崖から突き落としたんだ」

「本当に? 本当に仲間じゃないの?」

「信じちゃだめよ。武器も持ってるし、きっと貴方を連れ去って人買いに売り払うつもりなんだわ」

「武器なんて持ってないよ」

「その腰に差してるのはなんなの」

 そう言って、アメリアは俺の腰のあたりを指さした。
 慌ててそこに手をやると、布に包まれた堅い感触が伝わってくる。

「えっ、あっ、これは……ぶ、武器……かな?」

「ほらやっぱり嘘をついてたわ。ね、私の言った通りだったでしょう」

 黒猫は得意げな様子でアメリアの肩からこちらを見ている。

「そうじゃなくて、これは家に飾っておく物なんだ。武器として使ったことなんかないよ。それにこれは俺のじゃなくて爺ちゃんのものだし。逃げ出す時に使えるかなと思って、ここに差しておいただけだから」

「本当に傭兵じゃないの?」

「違うって。ほら、腕とかに傷跡もないし、これで戦った事があるように見える?」

「そう。なら、ごめんなさい。私のお父さんは傭兵に殺されたの。だから、ちょっとイライラしちゃって……ごめんなさいね」

 顔をうつむかせて、アメリアはそう言った。
 何を契機にして不機嫌になったのだろうと怯えていた俺にとって、理由がわかったことは心底俺をホッとさせた。
 そんな理由があるならしょうがない。

「本当に馬鹿な子ね。そんな簡単に言いくるめられてどうするのよ」

「いいえ、嘘をついてる感じはしないわ」

 リリーの方は俺の説明に全く納得していない様子だった。
 しかし、たかが猫一匹に嫌われたくらいで落ち込むような理由が俺にはない。
 なので、それ以上弁解する気も起きなかった。

「細かい話はあとでいいから、今は先を急ごう」

 先を促したところで、突如として周りの景色が赤色に染まる。
 後ろを振り返ると、さっきの小屋が燃え上がっているのが見えた。
 同時に男たちの下品な笑い声か風に乗って聞こえてくる。

「あぁ────」

 それを見たアメリアは膝を抱えてしゃがみ込み、弱々しい泣き声を漏らした。
 しかし今はそんなことをしている場合じゃない。
 俺は彼女の手を引いて強引に森の奥へと引っ張った。

 間に谷があった分、直線距離としては小屋からそう遠く離れていたわけじゃない。
 傭兵団の奴らが小屋まで来ているのだとすれば、早くこの場から離れた方がいい。
 俺は必死で彼女の手を引いて、森の奥へと走った。

 しばらくすると彼女も自分の足で走り始める。
 そんな彼女の手を引きながら、俺は森の奥へ奥へと入って行った。
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