第1話 いきなり戦場
思い返せばひどい人生だった。
初恋の人に書いたラブレターはクラスで読み上げられたし、必死に勉強して入った会社は「この人、痴漢です」の一言でクビになった。
もちろん俺は痴漢なんてやってない。
やったのは隣にいたおっさんだ。
女と関われば不幸になると分かっていて、誰が尻など触ろうものか。
いくら抜けていると言われ続けてきた俺でも、それくらいのことは学習している。
だから死んだところで、何か思い残すことがあったわけではなかった。
冤罪のはずなのに何故か有罪判決が出た俺は、東京での仕事を失い田舎に帰ってなるだけ人に会わないようにひっそりと暮らしていた。
そんな俺は、あと数ヶ月で35歳という時、祖父に頼まれたお使いの帰りに、胸が苦しいなと、ぼんやり考えているうちに死んでしまった。
死んだ時は、こんな世の中とおさらば出来るなら、むしろ清々するとさえ思った。
ただお使いを果たせなかったのが唯一の心残りである。
胸が苦しくなり視界が暗くなって死んだ後、なぜか神様の声を聞いた。
自分は全知全能の神であると俺に告げて、いくらなんでも悲惨すぎる人生だから、もう一度だけチャンスをやると言われた。
正直に言って、そんなものを貰っても困るなあ、めんどくさいなあとしか思えなかった。
ただ出来ることなら、彼女が欲しい、彼女が欲しいとうわ言のように繰り返した。
女には懲りていたのに、なんでそんな言葉が出てきたのかわからない。
神様は願いなど聞かなくてもわかっていると言ったが、俺はひたすらに彼女が欲しいを繰り返した。
性格が良くて、かわいくて、関わっても不幸にならない女の子がいい。
それが叶わないならチャンスとは名ばかりで、拷問人生の第2ラウンドになること間違いなしだ。
不安を抱える俺に、神様は前世でツキがなかった分、多少の手心は加えると約束してくれた。
それを聞いて、俺は安心して死んだのである。
むしろ生まれたといってもいい。
目を覚ました時、そこは異世界だった。
「このガキがいつまで生きていられるか賭けでもしようぜ」
「くだらねえ。そんなの明日までだって生きてないだろ。賭けになってない。いくら退屈だからって何を言い出すんだよ。馬鹿馬鹿しい」
俺は馬車に揺られながら目の前にいる同僚らしき男の話を、遠い世界で起きている事のように思いながら聞いていた。
この世界に来た時、最初は真っ暗な闇の中にいた。
そろそろ到着だ、と告げる声とともに、上を覆っていた布が剥ぎ取られて姿を現したのがこれだ。
どう見ても山賊か何かにしか見えない、この同僚たちが目の前にいた。
傷跡だらけの体に鎧を着て、兜を被り、腰には物騒な刃物や斧などをさげている。
そして目の前に仲良く座っていた二人が、俺を見て先ほどの話を始めたのである。
さっきから物色するような目が俺に注がれているのを感じる。
俺は擦り切れたブルージーンズに灰色スウェット地のパーカー、背中にはリュックサックを背負っている。
手には爺ちゃんに頼まれて取りに行っていた、細長い木箱を持っていた。
死んだ時の格好そのままである。
そして今、俺はこの粗野な同僚たちと共に、戦地に向かって運搬されている最中ということになっていた。
馬車を引いているのは、見たこともないような大型のトラだ。
後ろには、真っ黒なガチャピンが引いているのもある。
テレビで見るのとは違い、このガチャピンは生々しい緑の鱗に覆われていた。
少しベルトが緩かったので、俺はベルトの穴を二つ分締めた。
そして、どうやら俺のことをガキと評しているらしいことを感じ取って、自分の体に意識を向ける。
確かに死ぬ前よりも若返っているなと確認できた。
薄くなっていた髪の毛はフサフサと風に揺れ、中年太りが始まっていた腹は引き締まって軽い。
悪くしていた視力も、眼鏡を掛けていると景色を見ているだけで気持ち悪くなるほど良くなっていた。
俺は眼鏡をはずしてリュックサックの中にしまった。
目に見える景色はのどかではあるが、明らかに見たことのない植物ばかりである。
遠くには、まだ山頂に雪が残る山々が見えた。
「それで、おめえは見ねえ格好だけど、いったいどうやって戦うつもりなんだ」
「まさか、剣も鎧も買う金がなかったんじゃねえだろうな。そんなことなら足引っ張られてもかなわねえ。俺たちの近くには近寄るなよ。命がけのヤマだってのに、まともに装備も揃ってねえような奴とは組めないからな」
「ま、武器だけなら現地でどうとでもなるがな。あそこにいるヒョロっちい奴なんざ、いの一番に狙われて一巻の終わりだぜ。そのくせ結構いい武器を持ってたから狙い目だな。頑張って拾えよ」
二人は自分たちの言葉に声をあげて笑った。
いきなりこんな目に遭わせておいて何が神様か。
このままじゃ、状況もわからないまま死んで終わりだ。
俺みたいな素人が戦場で生き残れる可能性があるとしたら、もう逃げ出す以外にないだろう。
そんなことを考えていると心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
心臓の鼓動が大きくなりすぎて、息苦しささえ感じられるようになった。
果たしてそんなことが本当に可能だろうか。
さっきから戦争という言葉が飛び交っているので、逃げ出したところで戦場の真っ只中である。
そこから逃げ出すなどということが俺に可能とはとても思えない。
しかも下手に動いて、どちらの陣営からも敵扱いされれば、さらに生存は絶望的だ。
ぎらぎらと眩しい日差しが照りつける中、そんな現実感のない思考が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
情報収集しようにも、話が出来そうなのは目の前で俺の生死を賭け事の対象にしようとした二人しかいない。
他は青い顔をしてうつむいているようなのばかりで、とても話しかけられる雰囲気ではない。
幸いにも、なぜか言葉だけはわかるので、意思の疎通は出来るだろう。
もしかして神様は言葉が通じることをもって手心と考えているのではあるまいな、という不吉な考えが俺の頭をよぎる。
まさかね。
「ところで、この馬車はどこに向かっているんですかね」
俺は何気ない調子で二人に話しかけてみた。
二人は、お前しゃべれたのか、という感じの顔をする。
「これのどこが馬車だってんだ。寝ぼけやがって、ここには虎車と竜車しかないだろ。それにしても、行き先も知らねえで、よくそんだけ余裕ぶっこいていられんな。明日にゃ戦場だってのに、どこで戦うかも知らねえのかよ」
「まあまあ、いいじゃねえか。明日のことなんか話すのはやめようぜ。そんなこと話したって、気分が滅入るだけだ。それよりも、今日の村にはいい女がいると思うか?」
「稼ぎの悪い農村に、いい女なんか残ってるかよ。みんな売られちまうか、どっかの金持ちにでも嫁がせてるに決まってる。おまえの話題はそれしかねえな。それよりも酒があるかの方がよっぽど重要だぜ。酒さえ入りゃあ多少の醜女も気にならねえからな」
「今は村に向かってるんですか」
「チッ、本当にとぼけてんな。一昨日も村で色々と調達したじゃねえか。今日もそれだよ。明日は戦場なんだ。その為の最後の景気付けじゃねえか。そういや昨日、一昨日とお前の顔は見なかったな。いつの間に合流しやがった」
急にそんな話が出てきて俺は驚いた。
俺は今さっき、この世界に放り出されたのだ。
それまでのことなど知るわけがない。
同僚ではないと知られたら何をされるかわかったもんじゃないので、俺はとっさの嘘でのごまかしを試みる。
「ほ、他のところに乗ってたんでしょう。昨日まで腹痛がひどくて、寝込んでたんです」
「そうかあ? お前みたいな変な格好した奴がいたら、普通は気付くはずだがな。おい、もし敵方の工作員か何かだったら、わかったその場で首をはね落とすからな」
俺の目の前にいた男たちの目つきが変わった。
戦争がどうのこうの言う前に、これでは全員の顔を把握してる奴に知れただけでも殺されかねない。
俺は今すぐ飛び降りて逃げ出すか、それとももう一度だけ嘘でのごまかしを試みるか頭を巡らせた。
しかしそんな暇もなく、さっきから俺の話に興味のなかった奴の言葉に救われる。
「よせよ。そんな間抜け面した工作員がいるかよ。さっきまで青い顔してブルってた奴が、潜り込んだスパイのはずねえじゃねえか。それよりも女のことでも考えてようぜ。俺は今日の村にいる女を、全部相手にするつもりだぜ。子供から何から全部だ。こんな事、戦争でも起きなきゃ出来ねえからな。せいぜい楽しまねえと」
「馬鹿な話だな。これから行く村にしたって、一応は俺たちの雇い主側の奴らなんだぜ。あんまり無茶なことはやめとけよ。それに年取った婆さんでも出てきた日にゃ目も当てられないぜ。まさか、そんなのまで相手にするつもりか」
「そんなのが出てきた時はあれよ。殺しちまえばいいのさ」
「そんなことに俺を巻き込むなよ。無事に戦場から帰って来て、そこで縛り首になるなんて御免だぜ。せっかく儲けた金だって、使う暇もねえじゃねえか。そういうことは敵国に行ってからやるもんだ。あっちなら、それこそ何したって平気なんだからよ」
こいつらは、いたって真面目に、これほど馬鹿ことを相談をしている。
いくら学がないにしたって、敵と味方の区別もつかないようなことがあるのだろうか。
しかも、口振りからすると徴用におとずれる村で、手当たり次第に強姦して回るというような内容を、はばかることなく話しているではないか。
それでも、こいつらの話している内容からして逃げ出すチャンスはまだ残されていることになる。
周りを見回してみても50人にも満たない人数での移動である。
山にでも逃げ込めれば、そうそう追っては来れないだろう。
戦争に使うはずの人員を山狩りなどに使うとも思えない。
それにこいつらは金のために戦争に出るというような意味のことを言っているので、金で雇った傭兵ということなら、尚のこと追ってきたりしないだろう。
出来ることなら、その村の人たちが酷いことにならないようにしてあげたいが、今の俺の力じゃどうにもならない。
もしかしたら神様から何か特別な力を授かっているのかも知れないが、どうも、そんな実感とは全く無縁の感じしかしてない。
だいたい死に際に聞こえた声だって、こうして異世界にでも飛ばされてなければ、到底、本当の話だと言える内容じゃない。
半ばあきらめにも似たような心境で、俺はそのあとの一時間ばかりを虎車に揺られて大人しくしていた。
日も傾いてきた頃になって、目的地であろう村の入り口らしき三叉路にたどり着く。
俺たちが乗っていた虎車は、その三叉路を細い方の道に向かって曲がった。
その道を曲がってすぐに虎車は止まり、全員降りるように命じられる。
どうやらここからは道が細すぎるので、歩きで行くことになるらしい。
俺はゆっくりと周りを見渡して、傭兵団の様子を探った。
楽しそうにしている奴もいれば、浮かない顔をしている奴もいる。
さっきの二人組などは、残忍な楽しみを待ちきれないといった様子である。
しかし点呼などをする様子などはなく、俺はひとまず安心できるらしいことを知り、胸をなで下ろした。
「さあ、お待ちかねの村ももうすぐだ。今夜はとことん楽しもうぜ」
「まったく、長い一日だったぜ。金目のもんでもあれば、儲けもんだな。馬くらいはあってもおかしくないはずだ」
傭兵たちはすでに村にある物を自分たちのもののつもりで、皮算用を始めている。
抵抗されたり、その場で戦いになるような可能性はまるきり考えていないようだ。
俺としては混乱に乗じて逃げるのが一番の目的なので、出来れば多少の騒ぎになってくれた方がありがたい。
そんなことを期待してた俺に、虎車の中で一緒だった二人組が声をかけてきた。
「俺たちが偵察に行くことになった。兵隊でも隠れてなけりゃ、一足お先に村ん中を物色できる。お前もついてくるか」
俺はチャンスとばかりに、その話に乗ることにした。
兵隊がいなければ、その場で逃げ出すのが一番いい。
二人だけなら、報告やら何やらで逃げる時間は十分に稼げる。
「ええ、是非とも連れて行ってください」
「それじゃこっちだ。さっさと済ませちまうぞ」
男たちは細い道を小走りに進んでいく。
俺もそのあとを追って道沿いに進んだ。
しかし先導する二人はなにやらコソコソ話していて、あまり思わしくない様子である。
俺は用心のため、木箱から中身を取り出して腰に差した。
布の袋に入ったずっしりと重たいそれは、紛れもない本物の日本刀である。
古刀を集めるのが趣味だった爺ちゃんに頼まれて取りに行っていた物だ。
これさえあれば万事うまく戦えるとは思えないが、無いよりかはマシなはずだ。
刀の入っていた桐の箱は、仕方が無いので、ここに捨てていくことにする。
証明書などは箱と一緒に捨てて、手入れ用の道具だけはリュックの中に移した。
布袋から出さずに腰に差したのは無用な警戒を招かないようにするためだ。
俺は袋に付いている紐さえほどけばすぐにでも取り出せるような形でベルトに差した。
+注意+
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