過日、「信念を貫き不服従で闘う」と題する記事を書き、東京新聞の「トルストイと生きた北御門二郎」(上)という記事を紹介したが、続編となる「トルストイと生きた北御門二郎」(下)が、今日の東京新聞朝刊に掲載された。今回の記事の場合、以下の行に目が止まった。
(北御門)二郎が50歳になるころ、トルストイの訳書が誤訳だらけであることを知った。「これではトルストイがかわいそうだ。読者にだって通じないだろう」。しかし、地元同人誌に載った二郎の文章が新聞に取り上げられるや、「そんな文句を言うならお前が全部訳してみろ」と大家と言われる翻訳者に反撃された。二郎は決意する。「このままにはできない。トルストイの作品は膨大だが、残された時間、命ある限り翻訳をやってみよう。トルストイと喜びや悲しみを分かち合おう」
もしかして、「大家と言われる翻訳者」とは、あの中村白葉のことではないだろうか思い、ネットで確認したところ、北御門が訳した『アンナ・カレーニナ』の「あとがき」が見つかり、そこには以下のように書いてあった。
それは旧制高校二年の頃だったと思う。『人は何で生きるか』や『イワンの馬鹿』でトルストイにめぐり合った私は、或る日友人のうちを訪問したら、彼が悠々と『アンナ・カレーニナ』を読んでいるのにぶつかった。岩波がトルストイ生誕百年記念に発行した全集本で、中村白葉訳だったと思う。私は何だか出し抜かれた気がして、早速私自身それを手にすることになった。まさにその訳文を、数十年後の私は烈(はげ)しく批判することになるのであるが、それでもやっぱり私は、『アンナ・カレーニナ』に感動を覚えた。
実は、拙ブログで一度だけだが中村白葉について取り上げたことがある。
人生は冥土までの暇潰しということで、いずれは英語版ではなく日本語で、『戦争と平和』を読みたいと思っているんだ。訳者が中村白葉だから安心な上に、今は一日中英語に接する仕事をやっているので、仕事以外で英語に接したくないというのが本音だからだ。 戦争と平和 01
無知とは恐ろしいもので、中村白葉がそんなに誤訳だらけのトルストイ文学を世に出しているとは知らなかった…。それにしても、〝誤訳だらけ〟とあるが、どれほど酷いのか、最初に北御門訳の『人は何で生きるか』を読み、それから中村白葉の『人は何で生きるか』に目を通すことで、二人の翻訳にどの程度の違いがあるのかを確認してみたくなった。何故なら、一応は亀さんも翻訳者の端くれだからだ。
 左は北御門二郎訳、右は中村白葉訳


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