サムスン電子のテレビに直接、コントローラーをつないでゲームを楽しめる「プレイステーションナウ」。米家電見本市でも注目度が高かった=1月7日、米ラスベガス
1983年のファミリーコンピュータ(ファミコン)発売以来、熾烈な開発競争が繰り広げられてきた据え置き型ゲーム機が、転機を迎えている。「プレイステーション(PS)」を展開するソニー子会社、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は米国で、テレビに直接コントローラーを接続し、PS3のゲームを楽しめるサービスを始めており、今年前半には韓国サムスン電子のテレビも対象にする。実現させたのは、ネット上にデータを保存する「クラウド」技術だ。将来はこうしたサービスが定着し、ゲーム機が存在しなくなると予想する関係者も少なくない。
◆ネット上でレンタル
1月に米ラスベガスで開かれた「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」。サムスンのブースでは、テレビに直接つないだコントローラーでゲームをする来場者の姿があった。横には「ノー・コンソール・リクワイアド(ゲーム機を必要としない)」という説明が掲げられていた。
ソニーは1年前のCESで、新サービス「プレイステーションナウ」を米国で始めると発表。これは、インターネット上でゲームをレンタルする仕組みだ。動画配信サービスなどでお金を払うと一定期間、映画などを視聴できるサービスがあるが、そのゲーム版といえる。ソニー以外の会社のソフトを含め、200本以上が対象という。
当初は利用者を限定してサービスを開始。昨夏には、ソニーのテレビ「ブラビア」向けにサービスが始まった。そして昨年12月下旬、ソニーとサムスンは同じく米国で2015年前半にサムスンのテレビ向けにもこのサービスを始めると発表。CESの会場で展示されていたのは、そのデモンストレーションだ。
プレイステーションナウでは、クラウドでネット上に保存されているゲームのデータを「ストリーミング」で楽しむ。動画サイトなどで使われているストリーミングは、データを受信しながら再生する技術。ゲームがどこまで進んだかもネット上に保存できるため、ゲーム機に遜色なく楽しめるという。
日本ではまだ、プレイステーションナウのサービスは提供されていないが、ゲームソフトのダウンロード販売は徐々に増えている。これはネットに接続してゲーム機内のハードディスクにデータを転送することで、小売店などでパッケージのソフトを買う必要がない。メーカーからみると、在庫を抱えるリスクがなくなる利点がある。
各社は、ダウンロード販売の特徴を生かした取り組みを進めている。スクウェア・エニックスの人気シリーズの新作「ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城」に関しては、ソニーがゲームに出てくる人気キャラクターをかたどったPS4を昨年12月に発売。この購入者に提供された特別なパスワードを利用すると、一般のゲーム発売日である2月26日の前日に、ひと足先にゲームをダウンロードすることができる。小売店を通した流通では難しい、ネット販売ならではの特典だ。
カプコンはPS4など複数の据え置き型ゲーム機向けに発売する「バイオハザード リベレーションズ2」で、2月18日から毎週水曜、エピソードごとにダウンロード販売を行う。利用者は、テレビの連続ドラマのように次週を楽しみにしながらゲームを進めることができるという。1エピソードは800円で、特別編を含めて6章で構成。配信後には全エピソードが入ったパッケージ版も発売する。同社は「ゲームを楽しむ新たなスタイル」と強調する。
◆一気に普及可能性も
「日本の消費者は米国などと比べてパッケージソフト志向が強い」(関係者)が、今後ダウンロード販売が定着したところにストリーミングサービスが始まれば、一気に普及する可能性もある。
ソニー以外のテレビ向けにこのサービスが提供されるのは今回が初めて。それは、ソニーとサムスンの両者にメリットがあるからだ。
薄型テレビの普及で、電機各社は、画質以外の分野でも差別化する必要がある。その方向性の一つが、ネットに接続し、映画などさまざまなコンテンツを視聴者に届ける「スマートテレビ」だ。サムスンからみると、PS3のゲームという付加価値で、テレビ販売を強化できる。
サムスンは米国で液晶テレビのシェア首位。ソニーからみると、ゲーム愛好家だけでなく、テレビ視聴者に幅広くサービスを提供できる。収益基盤が強固になるだけでなく、利用者の裾野を広げることにもつながる。
最新機種のPS4の世界累計販売台数は、1月4日時点で1850万台と、同世代の他の据え置き型ゲーム機に差をつけている。プレイステーションナウのサービスは現在、一世代前のPS3のソフトが対象だが、いずれは最新のゲームが提供される可能性もある。仮に「PS5」が発売されなければ、それはソニーのゲームがテレビを通して、世界中に行き渡ったことを示すのかもしれない。(高橋寛次)