沿革

永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。

平等院の文化財

国宝 鳳凰堂(中堂・両翼廊・尾廊)4棟
木造阿弥陀如来坐像 1躯
木造雲中供養菩薩像 52躯
木造天蓋 1具
金銅鳳凰 1対
梵鐘 1口
鳳凰堂壁扉画 14面
重要文化財 観音堂 1棟
木造十一面観音立像 1躯
浄土院養林庵書院 1棟
史跡名勝 平等院庭園

阿弥陀如来坐像

像高277.2cm
髪際高242.3cm
木造、漆箔

鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像は、日本の仏像作家を代表する仏師定朝によって平安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものです。その構造技法は日本独自の寄木造りの完成した技法を示します。また表現の上でも日本独自の様式、いわゆる和様の完成を見せる点がたいへんに重要です。 頬がまるく張った円満な顔。伏目がちですが意外に大きな眼は拝む者を静かに見つめ、その表情はかぎりないやさしさにあふれています。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、いかにも自然で、どこにも硬い緊張感がありません。

雲中供養菩薩像(全体)

木造、彩色・漆箔・截金

鳳凰堂中堂内部の長押(なげし)上の小壁(こかべ)に懸けならべられている52躯の菩薩像。この群像も定朝工房で天喜元年(1053)に制作されたものです。 南北コの字形に阿弥陀如来を囲んでならんでいます。南北半数ずつに分けて懸けられ、各像には南北1から26までの番号をつけています。 各像はいずれも頭光(輪光)を負い、飛雲上に乗ってさまざまの変化にとんだ姿勢をとります。5躯は比丘形(僧形)で、他は菩薩形です。それらはいろいろな楽器を演奏したり舞を舞ったり、あるいは持物をとったり、合掌したりしています。

雲中供養菩薩像 舞う像

南20号

右方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に正面を向いて立ち、踊る姿です。比較的厳しい表情をしていますが、腰を捻って舞う艶麗なさまは平安時代後期の美意識をうかがわせます。

北9号

左右に湧き上がる雲に置かれた蓮華座の上に立ち、踊る姿です。両手で天衣をとりながら腰をやや左に捻り、右の足先を上げています。音楽に合わせてリズミカルに踊る姿が印象的な作品です。

雲中供養菩薩像 楽器

南4号

右方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に左を向いて坐り、左手に均子(きんす)、右手に撥(ばち)を持っています。 ふくよかな体の肉付きが自然で美しい作品です。

南21号

右方になびく雲の上に正面を向いて坐り、笙(しょう)を奏する姿です。やや張りのつよい肉付けがみられます。

南1号

左方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に膝をついて座り、両手に拍板(はくばん)を持っています。豊かな頬やくっきりした目鼻立ち、稜がある唇など古様な雰囲気を残しています。

雲中供養菩薩像 持物

南3号

左方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に坐り、華鬘(けまん)を持っています。目、口など顔の造作が中央に寄った特徴のある容貌です。

南10号

左方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に正面を向いて坐り、何も持っていません。顔の表面が荒れているのが惜しまれますが、難しい姿勢をどの角度からみても破綻なく造る技量は秀逸です。

南2号

左方になびく雲の上に置かれた蓮華座の上に座り、天蓋をかかげています。全体的に彫りが浅く、おぼろげな表情で観る者を瞑想に誘います。

北25号

左方になびく雲の上に右膝を立て、左膝をつけて坐し、左の掌に蓮台をのせ、これに右手を添えています。その華やかな姿は群像中もっともすぐれたものです。

雲中供養菩薩像(僧形)

南12号

僧形で、左方になびく雲の上に正面を向いて坐り、衣で覆われた両手をあわせる姿です。
衣の一部に截金文様が残っています。